必定の兆し
11
ピザ屋【森の熊さん】の店内は妙な雰囲気に包まれていた。
テイクアウトが主なのだが、周りにオフィス街や繁華街もあり、イートインのコーナーも作られて、昼時には行列も出来るほどに混む
こともある。
真琴は夕方からのシフトが多いので、その状況を数度しか見掛けたことは無いのだが・・・・・それでも、今店の外に鈴なりになっ
ているOLや、夏休み中らしい少女達のこの人数は、店の中にいる目立つ存在のせいだと思わずにはいられなかった。
「ねえ、モデルかな?」
「でも、雑誌で見たこと無いわよ?」
幸運にも店の中に入れたOL達は小声で会話をしているが、妙にテンションが上がっているのか自然と声は大きくなっていて、真
琴は苦笑を浮かべるしかない。
(綾辻さん、カッコイイもんね。それに、安徳さんや城内さんも目立つし・・・・・この人も・・・・・)
モデルのような華やかな容姿の綾辻。
その綾辻よりも少し硬質な感じがするものの、やはり垢抜けた容姿の安徳に、さわやかな印象の城内。
向かいに座っている男も、艶やかな微笑を浮かべる目立った男だ(他の男達は外の車で待機している)。
(あんまり、いないよな)
「マコちゃん、コーヒーおかわり、お願い」
「あ、はい」
「ほら、アンちゃんもキーチも食べなさいよ?ここのピザは美味しいんだから、ねえ?」
側の席のOLにウインクして話し掛けた綾辻に、彼女達は舞い上がってはいっと大きな声で答えている。
普段と全く変わらない様子の綾辻。これ以上目立たない方がいいのではないかと思うものの、綾辻が何を考えているのかは分か
らないので、真琴は言われた通りにコーヒーを持っていくと、自分はカウンターの中に戻った。
「おい、マコ、いいのか?」
「あ、店長、煩くしちゃってすみませんっ」
「それはいいって。彼らのおかげで、何だかテイクアウトの客が行列待ちしてるし」
確かに店長の言う通り、夏休みと昼時ということが重なったとしてもこの賑わいは、目の前にいる見目の良い男達の効力という
のは確かだろうと思えた。
「売り上げに貢献してくれてるんだから、サブメニューのサービスしてやって」
「は、はい、ありがとうございます」
(なんだか、変なことになったみたいだけど・・・・・)
丁度昼時でもあるし、お腹一杯になってもらおうと頭を切り替えた真琴は、店長の言葉に甘えてサブメニューの唐揚げやポテトを
注文しに厨房へと向かった。
「どう?」
「え?」
ピザを手にしたまま綾辻が声を掛けると、目の前の男・・・・・尾高は僅かに眉を顰めた。
自分の突拍子の無い行動に戸惑っていればまだ可愛げがあるものの、自分と同じように、平然とピザを口にしている尾高は相当
心臓が強い。
(そうでないと、ここまでやってこられなかったかもしれないけど)
「美味しいでしょう?」
「・・・・・まあまあ、食べれる、かな」
「言うわねえ。年上のおば様達にご馳走してもらって舌が肥えてるのかしら?」
「あいにく、俺の可愛い恋人達は若い子が多かったですよ」
「ふ〜ん。その方が楽しそうね」
実年齢で言えば尾高の方が年上だが、この世界は背負っているキャリアと立場が物を言う。
一つの組を背負っている尾高の方が、開成会の幹部という綾辻よりも立場的には上になるが、その背後にあるものを考えてこん
な下手に出るというのは、尾高が利口だということかもしれない。
(あまり、いい意味じゃないけど)
綾辻は汚れた指先をペロッと舐め、そのまま何気ない口調で言った。
「それで、マコちゃんをどうする気だったの?」
「会ってみたかっただけですよ、海藤会長の大事なものに」
「あなたの考えじゃないでしょ?」
「・・・・・どこまで知ってるんです?」
「・・・・・今この瞬間、全部知っているかも」
そう言ってわざとにっこりと笑うと、尾高は手を止め、黙ったままコーヒーを口にした。今、男の頭の中では様々な計算がされている
だろうが、綾辻はその答えを急がなかった。
既に終わっている男と、これからも上昇する男。
天秤に掛けるまでも無く、どちらに乗ればいいかというのは分かりきっている。
「・・・・・海藤会長に顔を売りたくてね。今の後ろ盾が近々引退するっていう噂を聞いて・・・・・そっちも知っての通り、俺は煙た
がられてるから」
「私は、面白いと思うけどね、あんたみたいな奴」
確かにやり方は好きではないものの、ホストからここまでのし上がってきた気概は買ってもいい。ただそれも、真琴にまだ害がいって
いなかった今の段階だから言えることかもしれないが。
「今なら間に合うかもしれないわよ?さっさと捨ててしまいなさい、高橋を」
海藤の意思は聞かずとも分かる。
真琴本人をターゲットにされたのならば容赦はしないだろうが、今回の目的はあくまでも海藤本人であったし、同系列の組を相手
に無闇に戦争を吹っかけることはしない。
真琴にだけ甘い海藤だが、彼は本来冷徹な、機械と呼ばれていた男なのだ。
「ね?」
「・・・・・確か、奴もあの子に手を出したんだっけ」
「ふふ、実害が無いだけまし。これでマコちゃんが怖がってたりしたら、この世界でのし上がるどころか、二度と足を踏み入れること
も出来ない場所になってたかもね〜。手足が無事な今、決めちゃいなさい」
後は、この男次第だ。
綾辻もこれ以上言葉を掛けてやるほど優しい性格ではない。
「綾辻さん、唐揚げ食べますか?」
「え?」
話が一段落した時、真琴がトレイ一杯のサブメニューをのせてやってきた。そして、それをテーブルの上に置きながら、綾辻の耳
元に口を寄せて小声で囁いてくる。
「店長の奢りです。売り上げに貢献してもらったからって」
「あら」
綾辻はレジに立っている1人だけ制服の違う男に、にっこりと笑いながらウインクをした。
(結局・・・・・何だったんだろ?)
真琴は店の前で思わずそう考えてしまった。
誰だか分からない電話と、メール。そして、いきなり目の前に現れた男達。
いったい何が起きているのだろうと、自分のことよりも海藤のことが心配でたまらなかった真琴だが・・・・・。
「あ、マコちゃん、この人が謝りたいんですって」
「え?」
「悪かったね。ちょっとした行き違いがあって、まあ、俺の方が全面的に悪かったんだけどさ、君に変なメールや電話をしちゃったけ
ど、今日限り何も無いはずだから安心していいよ」
「は、はあ・・・・・」
店を出てから男にそう言われ、どうしてそんなことがあったのかと理由を聞くのも変な気がして、真琴は結局今後は何も無いという
男の言葉を信じるしかなかった。
綾辻が隣にいて頷いていたのだ、その言葉はきっと真実なのだろう。
「お持ち帰りまで注文してもらって、本当にありがとうございます」
店長のサービスだと言っていたものも含め、一番大きく、高いピザの持ち帰りを10枚分も注文してもらって、何だか返って悪かっ
たような気がするものの、いいのいいの、ピザ好きだってと、綾辻は手を振った。
「私もこれで帰るわね。マコちゃん、残り時間頑張って」
「はい」
きっと、自分を心配してきてくれたであろう綾辻に丁寧に頭を下げた真琴は、その車に安徳と城内も乗り込む様子を見て、本当
にこれから何も無いんだなと安心することが出来た。
「・・・・・よし、仕事頑張らないとっ」
城内が車を走らせて間もなく、後部座席に綾辻と共に並んで座っていた安徳が呆れたように言った。
「良かったんですか?あれで」
「ん?」
「もっと厳しい態度を取った方が良かったんじゃないかと思うんですが」
「あれでい〜のよ」
綾辻は笑った。安徳の言う通り、面子を考えたとしたら・・・・・自分の所属する会の会長の恋人に手を出されたということで、目に
見えた制裁を加えることも出来なくも無いが、綾辻自身はそれは無駄な労力だと思ったし、ああいうタイプの男に対しては剛よりも
柔が効くと感じたのだ。
(そんなに馬鹿じゃないみたいだし、どうすれば自分にとって最良か、考える時間をあげてもいいと思ったのよね)
「綾辻幹部」
「芳(かおる)さん」
さらに言葉を言い掛けた安徳に、運転をしていた城内が声を掛けた。
「ユウさんがもう決めたことだよ」
「・・・・・」
「これ以上は俺達は・・・・・」
「お前は黙っていろ」
「・・・・・」
(アンちゃん、キーチには強気なんだから)
確か、安徳は29歳で、城内は26歳だった。歳の差もあるだろうが、安徳の方がこの世界にいるのも長く、綾辻と組んでいるのも
長いので、その分どうしてもこの世界の常識というものが身に付いているのだろう。
それが単に組としての見栄とかではなく、自分や海藤のことを思っての言葉だということも十分分かっている綾辻は、隣の安徳の
肩を抱き寄せると、ありがとうと言った。
「アンちゃんが私を怒ってくれるから助かるわ」
「・・・・・」
安徳はそんな綾辻の手を引き離す。
「倉橋幹部の言葉の方が効くでしょう」
「克己は別格」
「・・・・・」
「でも、頼もしい仲間がいると安心出来るし」
「もう、いいです」
止めましょうという安徳の耳元がうっすらと赤くなっているのが分かり、綾辻はこれ以上からかっても可哀想だと直ぐに身を引いた。
安徳の言葉と行動のアンバランスさは、倉橋に匹敵するほどに可愛らしい。
(それでも、私にとっては克己が一番だけどね)
微苦笑を浮かべた綾辻は、ふとバックミラー越しに自分を見ている視線に気付いて、ん?と首を傾げてみせた。しかし、城内は
いいえと口だけを動かして再び前を向く。
「・・・・・」
もしかしたら、安徳には聞かれたくない話かもしれない。
綾辻は無理に聞き出すのはやめようと、早速携帯を取り出した。今の尾高との会話を早く知らせなければならないし、声を聞き
たいとも思ったのだ。
「・・・・・あ、克己?社長は?まだ?・・・・・そう、あのねえ、私会っちゃったわよ、ホスト君に」
帰って報告するから待っててねと言えば、冷たい声が分かりましたと短く返ってきた。それに笑った綾辻は、電話を切りながら止まれ
と城内に告げた。
「後はよろしく」
「はい」
この車の後ろに付いていた車に乗り換えた綾辻は、再び真琴の護衛に戻っていく車を見送り、運転手に事務所に帰るように言
う。時間が空いたので真琴の様子を見に来たのだが、顔を出して本当に良かったと、自分の幸運に綾辻は笑みを漏らした。
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