必定の兆し
12
倉橋の手を借りて扮装を解いた海藤は、その合間にあったらしい綾辻からの伝言を聞いた。
「尾高が真琴のバイト先に?」
「ええ。丁度綾辻が出くわしたそうで」
「・・・・・」
何も無かったということにはもちろん安心したが、男がそこまで行動したという事実に眉を顰める。実際、真琴と会ってどうするつも
りだったのか、ただ顔を見るためか、それとも・・・・・。
(念を押した方がいいな)
綾辻がそのまま連行しないということは、尾高に敵意を感じなかったという証拠ではある。しかし、だからといって自分の大切なも
のを脅したり、怖がらせたりしたことを見逃すことは出来なかった。
今回はたまたま事件が起きなかったが、今後もそうだとは言えず、自分の恋人に手を出したらどうなるのか、この世界の人間には
知らしめておく必要性があると感じた。
「八塚組の後見人の名前は分かっているな?」
「はい」
「資金源のリストは何時までに出せる?」
「今日中には主な所をリストアップ出来ます」
「頼む」
「はい」
その返事を聞きながら、海藤は今しがた脱いだ背広のポケットにあった万年筆を取り、倉橋に渡す。
「上手く撮れているといいんだが、それに映っている男の身辺を調べてくれ。高橋というよりも、もっと別の組織が関係している気
がする。それでも警察の上部にいる男らしいからな」
「警察の・・・・・」
「宇佐見の上司だ。今回のことに、多分一枚噛んでいる」
「分かりました」
綾辻とは違い、倉橋との会話はごく端的だ。しかし、お互いが信頼しあっているからこそ、言葉数など全く気にならない(綾辻を
信用していないわけではなく、彼は元々言葉数が多いだけだ)。
倉橋が出来ると言えばそれ以上念押しをすることも無く、海藤はすっかり元の自分に戻った顔に何時もの眼鏡を掛けた。
綾辻が戻ってきたのは、それから30分も掛からない時間だった。
「失礼しま〜す」
相変わらずの口調で部屋に中に入ってきた綾辻の姿を見て、海藤も直ぐに席を立ち、ソファへと移動した。
「今朝はすまなかったな」
海藤は先ず、今日宇佐見と会うための変装の手配をしてくれたことへの礼を言った。海藤自身も手を回せば準備できないこと
も無かったが、これだけ短期間のうちに一流の職人が捕まったのは、間違いなく綾辻の人脈のおかげだ。
「いいえ〜、お役に立てたのなら良かったです」
「・・・・・」
にこやかに笑みを浮かべる綾辻の表情は何時もと変わらない。
真琴のもとに現れた尾高の報告を今から受けるつもりだったが、案外それは海藤が危惧するほどのものではなかったのかもしれな
いと思った。
「どうだった」
綾辻がソファに座るのを見てからそう切り出すと、なぜか目の前の顔は面白そうに綻んだ。
「モテますね、社長」
「ん?」
「社長の気を引きたかったそうですよ。引退する理事の代わりに、自分の後ろ盾になってもらいたかったんじゃないでしょうか?私
見ですが、マコちゃん自身に含むものはないと思います」
「・・・・・」
「確か、あの高橋も、社長と昵懇になりたかったと言ってましたよね?」
綾辻の言葉にその時のことを思い出し、海藤はしんなりと眉を顰めた。
まだ真琴と共に暮らし始めて間もない頃の事件。ようやく自分の方へと心を傾きかけてくれた真琴を攫われたと知った時、海藤は
相手を殺してもいいとさえ思った。
実際は、真琴の目の前で血を流すことは無いかと思い、個人的な問題で権力を行使することを良しとしなかったが、今となって
はあの時無傷で(身体的には)解放してしまったことを後悔している。命を奪うことまではしなくても、二度と表舞台に立てないよう
にしておけば良かったのかもしれない。
「高橋よりは多少利口ですね。マコちゃんとウサちゃんの携帯の件と言い、実行力や人脈はありそうです」
「取り込めというのか?」
「今回のことを社長がどう思うかですけど」
「・・・・・」
「どうします?」
今の八塚組ならば、そのまま解散に追い込むことは容易いだろう。幾ら大東組の理事に男を後押しする者がいたとしても、海藤
の勢いからして、どちらを取るのかは火を見るより明らかだ。
(真琴をターゲットにしたことは許せないが・・・・・)
多分、それは高橋の助言からだとは思うが、実際に行動したことは許しがたい。それでも、一時の感情で動いていいものかという
のも考えなければならない。
「・・・・・」
「・・・・・」
一瞬、目を閉じた海藤は、再び綾辻を見た時にきっぱりと言った。
「時間を作って欲しい」
「会われるんですか?」
「時間と場所はこちらが指定する。向こうは本人1人だ。条件をつけることは許さないと」
優位なのはこちらの方だ。綾辻の言葉で相手の思惑は了解したが、海藤は自分も実際に尾高に会い、相手の本心を見極めた
いと考えた。
話が終わった頃、倉橋がコーヒーを運んできた。
先ず最初に海藤の顔を見たことに内心苦笑が漏れたものの、綾辻はそれにたいして倉橋をからかうことなく(言えば怒ることは目に
見えているので)、今度はと自分の方が海藤に聞いてみた。
「ウサちゃ・・・・・彼、どうでした?」
「・・・・・」
「・・・・・」
(あら)
宇佐見の話題を出す時は何時も無表情に近い顔だったのに、今目の前に浮かんでいる表情は僅かながら柔らかい。
複雑な出生と、ヤクザと警察という立場の違い、そして、真琴を挟んでの関係。条件はどんどん厳しくなっているというのに、海藤
がこんな表情を見せることが綾辻には意外だった。
今回会った時、何かあったのだろうか?
(あ〜ん、実際にそこにいたら見れたのに〜)
海藤は絶対に何があったのか言わないだろう。変化を知るにはその場にいることが絶対的な条件だが、それももう無理だと思うと
余計にうずうずとしてしまった。
しかし、
「綾辻」
静かに、いや、むしろ凍えるほどの響きの自分を呼び声に、綾辻は内心では〜いと答えた。自分が一番弱い相手が海藤の味方
なのだ、度を過ぎた好奇心は持たない方が懸命だろう。
「心配を掛けたが、向こうもそれなりに動いているようだ。決着は早いと思う」
「そうですか」
「名前を借りた相手は大丈夫か?」
「ええ、それは心配ありません。ちゃ〜んと手綱を握っていますから」
宇佐見の同期で、キャリアの富山。相手が裏切らないようにしっかりと周りを固めることは怠っていないし、一度正規の道から外
れてしまった者がその甘さを忘れることは出来ないだろう。
「分かった。倉橋に色々と頼んであるが、お前も手が空くようなことがあったら手伝ってやってくれ」
「もちろん!任せてね、克己」
どんなに手一杯の仕事があったとしても、倉橋の仕事を手伝うことが最優先事項の綾辻は嬉々として言うが、海藤の後ろに静
かに控えていた倉橋が大丈夫ですと言い切った。
「1人で十分出来ますから」
「そうか?」
「克己〜」
「・・・・・」
もちろん、それが強がりではなく、優秀な倉橋ならば当たり前のことかもしれないが、それでも手伝いたいのが綾辻の偽らざる本心
だ。
(男心が分からないんだから〜)
それでも、そこがいいんだけどと、内心にやにやしながら考えている綾辻だった。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
その夜は少し早めに帰宅した海藤は、丁度夕食作りをしていた真琴を早速手伝おうと直ぐに着替えた。
「ゆっくりしてていいんですよ?疲れてるでしょう?」
「一緒に作っていれば話も出来るだろう?お前がちょこちょこ動く後ろ姿を見ているのも楽しいけどな」
「チョコチョコって・・・・・俺、そんなに忙しないですか?」
少しだけ眉を下げてしまった真琴に、海藤は笑って違うと言った。
確かに、まだまだ料理を勉強中の真琴はその動きに迷いがあるのでそう見えるが、海藤にとってそれは楽しくて、ずっと見ていたい
姿でもある。
ただ、見ているよりは隣に並んで一緒に作業している方が話も出来る。どちらにしても海藤にとっては楽しい時間なので、俺の楽
しみに付き合ってくれと真琴に言った。
「今日は何だ?」
「オムライスなんです。デミグラスソースの作り方、今日本で見て作ってみようかなって。でも、海藤さんが帰ってきてくれて良かった
な。卵、自信なかったから。海藤さんが作るの、何時もふわっとして、トロッてなってるでしょう?」
「じゃあ、卵は俺が作るか」
「お願いします、先生」
きちんと頭を下げる真琴に、海藤は目を細める。
その前に、チキンライスを作っている真琴を手伝ってやりながら、海藤は今日変わったことは無かったかと聞いてみた。
「あっ、今日、綾辻さんが来て!海藤さん、聞きました?」
「少し、な」
「それで、何か妙なことになっちゃって」
真琴の話してくれる今日の出来事というのは、綾辻から聞いた話と変わりなかった。ただ、そこに真琴自身の感想が加わってい
て、海藤は真琴から見た尾高の姿というものをそこで知った。
「綾辻さんみたいに派手な感じの人でした。あ、綾辻さんの方が若く見えるけど」
「・・・・・」
「行き違いがあったって言ってましたけど・・・・・あの、海藤さんの方は大丈夫なんですか?」
手を止め、自分の方を見る真琴に、海藤は強く頷いた。真琴に影響が無いのならば、それは海藤にとっては大丈夫だということ
だ。
「・・・・・それなら、いいですけど」
あきらかにほっと安堵したような表情になった真琴に、海藤は悪かったと声を掛ける。今回のことは本当に自分のとばっちりを受け
てしまったからだ。
しかし、その自分の言葉に、真琴は不思議そうな表情を向けてきた。
「悪いことなんて無いですよ?当たり前のことだし」
「当たり前?」
「す、好きな人を心配することは当たり前でしょう?だから、何でもないのならいいんだし、もしも、何かあったら、俺には話して欲
しいです」
「真琴」
「でも、今回は大丈夫なんですよね?・・・・・あ、宇佐見さんも、ですよね?」
少しだけ言い難そうに宇佐見のことも確認してくる真琴に、海藤は苦笑しながらああと頷いてやった。自分の周りにいる誰をも心
配してしまうのは、優しい真琴ならば仕方が無いことなのだろう。
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