必定の兆し




26








 これだけの上層部の人間が勢ぞろいするなど、新年の挨拶を含めて数回、片手で数えられるほどしかないだろう。
事情を全て分かっている海藤さえも緊張しているのだ、理事の中には今夜の集まりがどういった意味を成すのか分からない者も
いるようで、代表するように、以前理事選の時に、清竜会(せいりゅうかい)の藤永清巳(ふじながきよみ)の後見人になった檜
山明弘(ひやま あきひろ)が口火を切った。
 「組長、今夜はどんな御用件で私達を招集なさったんです?」
 「九鬼(くき)」
 「はい」
 檜山の言葉に、永友が呼んだのは若頭である天川会(あまがわかい)会長、九鬼栄(くき さかえ)の名前だった。
九鬼は45歳、3年前に前若頭の引退で、選挙ではなく永友の指名で大東組のNo.2の地位に就いた男だ。大東組の変
革を推し進める永友の片腕となって尽力した彼は、身長も高く、体もがっしりと鍛え上げたものだった。
一見、武闘派に見える男だが、実は彼は東大の経済学部を出て、大蔵省に入省していたという異例の経歴を持っている。
 九鬼の持っている雰囲気に、年上であるはずの檜山も、眼差しを向けられるだけで動揺を見せていた。
 「才川理事の処遇を話し合うためだ」
 「才川?」
 その名前に一同の視線は才川に向けられ、才川の顔色はますます白くなっていく。
 「これはここだけの話だ。今後、外に漏れた場合、この場にいた者達全員に何らかの制裁を与えることを覚悟していてくれ」
 「・・・・・っ」
前置きだけで、今回の緊急の呼び出しが大東組にとって大きな問題であることをその場の者は皆感じた。

 九鬼はけして声を荒げることなく、まるで朗読するように才川の悪行を言いあげた。
既に破門になっていた男への援助。
薬物売買への関与。
そして、上納金の着服疑惑。
 かなり上手くやっていたらしい才川の悪行に気付いていた者は理事の中には・・・・・江坂は除いていなかったようで、かなり動揺
した様子が海藤にも見て取れた。
 「その証拠は・・・・・っ」
 「・・・・・」
 九鬼が眼差しで指図すると、控えていた男がそれぞれに文章を配り始めた。それには理路整然と、今九鬼が口にしたことが証
拠と共に書かれてある。
証拠は、海藤達が示したものの他にもかなりあり、前々から永友が才川に目を付けていて、内密に調べさせていたのだということが
分かった。
 「才川」
 「は・・・・・い」
 「申し開きは」
 「わ、私は、あの男、高橋に脅されて・・・・・っ」
 「大東組の理事ともあろう男が、あんな小物に脅されたと?それこそ、今後陽の下を歩けないほどに恥ずかしい話だな」
 冷淡に言い放つ九鬼は、才川の言葉を全く信じていないようだ。いや、傍で聞いている者達も、才川の言い訳が明らかな虚言
だということを感じていて、その眼差しが徐々に厳しく変化してきた。
 「若頭」
 「なんだ」
 「ここに海藤がいるのはどういうわけですか?」
 そう聞いたのは、一番新しい理事の竹島会(たけしまかい)、木佐貫庸一(きさぬき よういち)」だ。
海藤とは理事選で競い合い、結果的に勝ちを譲ってもらった形で新理事となったのだが、今の彼の言葉には非難するような響き
は無い。
理事になって一年以上経ち、厳しい世界で揉まれた木佐貫は、昔の武闘派の顔から一変した雰囲気になっていた。
 「今回のことは、海藤も関係がある」
 「海藤に?」
 「破門した高橋が海藤を逆恨みして、色々な策を練ったらしい。それに、才川が金と人手を貸した。そうだな?」
 「・・・・・」
 才川は答えないが、言い訳をしないことこそが肯定の証になった。
 「・・・・・」
(言わないのか・・・・・)
自分の関与を説明する時、真琴や宇佐見の名前も出るかと思ったが、九鬼はその辺は一切口にしなかった。
意外に思ったが、大事の前の小事として、そのことは議題に上げることもないと思っているのかもしれない。自分の異母弟である
宇佐見のこともそうだが、真琴の名を出さないでいてくれたことに、海藤は深く感謝をした。




 江坂は九鬼の横顔にじっと視線を向ける。
(海藤に対しては不問、か)
元々、今回の騒動を好んで起こしたわけではないだろうが、それでも原因の一端となった海藤にも何らかの処分が言い渡される
かと思ったが、今の話しぶりではまず、それはないだろう。
 たとえ才川が訴えたとしても、もはや負け犬の遠吠えだ。
 「才川」
九鬼の話が終わると、永友が口を開いた。
 「今この場で、お前には引退してもらう」
 「そ・・・・・っ」
 「本来なら除名も当然の行状だが、理事にまでなった男にそんな処分をしてしまえば、他の組織からいい笑いものになってしまう
しな」
 「く、組長・・・・・」
 「ただし、その身柄、こちらで預かる。畳で死ねるだけ、いい待遇だと思え。お前が力を貸した男は、二度と日本の地を踏めない
んだからな」
 その瞬間、才川の身体がどんっと前のめりに倒れた。まるで見張るように傍にいた男達が数名駆け寄って身体を起こすと、才川
は白目を向いていて、ピクリとも動かない。
男がその首筋に指先をあて、永友に言った。
 「生きています。失神したんでしょう」
 「・・・・・連れて行け」
 苦々しく眉間に皺を寄せる永友の気持ちは江坂もよく分かる。こんな処分で気を失うくらいなら、始めから引退まで何もせずにそ
の地位にしがみつくだけで良かっただろう。
 どちらにせよ、才川は引退だ。多分、その行動は24時間監視され、気が弱い男であればかなり寿命を縮めるはずだ。
そして、諸悪の根源である高橋は今現在表面上では大東組とは無関係であるので、男の存在も名前も、今後一切世に出てく
るような処分はしないだろうと、江坂は厳しいこの世界の掟を考えていた。




 才川を連れ出し、他の理事達も退出させて、その場に残ったのは、永友と九鬼、そして、今回この件に係わることになってし
まった江坂と自分だけになった。
 「海藤」
 永友に名を呼ばれた海藤は、深く頭を下げた。
 「今回は、大変申し訳ありませんでした」
 「・・・・・」
 「どんな処分でもお受けしますが、どうか私の部下と、私の・・・・・恋人には、寛大な対応をお願いします」
街中で銃を撃った綾辻と、否応無く騒ぎの中心に据えられた真琴。しかし、2人共海藤にとっては大切な存在であるし、なにより
全て自分が悪いのだ。
 「・・・・・お前の女に関しては、一般人に手を出すような真似はしない」
 「組長」
 「どんな女でも選び放題のお前が決めた相手だ、大事にしろ」
 「・・・・・ありがとうございます」
 「綾辻に関しては、今回のことは不問だ。警察に目を付けられるようなことは無いように、お前が厳重に注意しておけ」
 「はい」
海藤が頷くのを見て、今度は九鬼が言った。
 「高橋の身柄は香港へ預ける」
 「香港?」
 さすがにそれは予想していなかった海藤は、少しだけ口調を揺らした。
香港には、大東組と一部で提携を結んだ香港伍合会(ほんこんごごうかい)のロンタウ(龍頭)、ジュウがいる。真琴のことを気に
入り、そのまま香港へと連れ出そうとした男、その男のもとにあの高橋を預けるというのか。
(もしも、あいつが真琴に手を出したと知ったら・・・・・消される)
 「若頭、それは・・・・・」
 「イタリアのカッサーノも考えたんだがな、観光目的で行かせるわけじゃない」
 「・・・・・」
 「今の世の中、人間1人を葬り去るのは簡単だ。いや、簡単だからこそ、しない方がいいと考えている。幾ら外に向けては隠して
いても、身内には広まってしまう話だろうから、それならば価値の無いあいつの存在を利用して、組に背くようなことをしたらどうなる
か、見せしめにした方が効果的だろう」
 「・・・・・」
 「ただし、向こうがどう扱うかはこちらは関知しない。荷物になると思えば、勝手に掃除をしてくれる」
 高橋だけでなく、今回彼と行動を共にした者達全員を、そのまま香港行きの船に乗せたらしい。多分、高橋は傷の手当もろくに
されず、日本よりも過酷な地で、その一生を過ごすことになる。
 「・・・・・」
もう二度とその顔を見ることは無い・・・・・海藤は静かに目を閉じた。








 「あ」
 「上がりましたか?どうぞ、ミルクティーを入れました」
 バスルームから出てきた真琴は、直ぐに差し出されたカップをすみませんと受け取った。
 「温まりましたか?」
 「はい、あの、俺だけゆっくりさせてもらって・・・・・」
 「ここはあなたの家なんですから当然です」
それに、笑っている顔を見ると私も安心ですしと言う倉橋の顔を見た自分こそ、ほっと安心出来ていた。

 「直ぐにバスルームにどうぞ。シャワーじゃなく、ゆっくりと肩まで浸かってくださいね」

 マンションに着いた早々倉橋にバスルームに急き立てられ、真琴は戸惑いながらも言われた通りにゆっくりと湯に浸かった。そうす
ると、何だか肩から、いや、全身から大きな塊が落ちたように、安堵出来た。
 まだ海藤や綾辻は帰ってこないし、倉橋も落ち着かないままだというのは承知のうえで、真琴は深い溜め息をつくことが出来て、
そのまま上がってリビングにやってきたのだ。
 「真琴さん」
 「はい?」
 名前を呼ばれて顔を上げると、倉橋がじっと観察するように自分を見ている。整った、それでいて何時もほとんど表情の無い倉
橋の顔は、今日は深い気遣いの色を浮かべていた。
心配してもらってるんだなと、真琴は頬を緩める。
 「俺、大丈夫ですよ?」
 「・・・・・」
 「安徳さんがずっと一緒にいてくれたし、海藤さんと綾辻さんが直ぐに助けに来てくれたし。・・・・・あ、俺、倉橋さんに言いたいこ
とがあって」
 「私に?」
 真琴は頭を下げる。
 「ありがとうございました」
 「・・・・・え?」
 「海藤さんを止めてくれて。多分、俺じゃ出来なかった」
海藤と倉橋の深い信頼関係があったからこそ、海藤の激情が治まったのだと真琴は思った。自分だったら、海藤のその激情に引
きずられてしまい、一番大切な人に、一番辛いことをさせたかもしれない。
(本当に・・・・・良かった)
 海藤が人殺しになってしまうのはもちろん怖いことだが、それと同じくらい、誰かを傷付ければきっと心を痛めるだろう彼が後悔の
念に襲われることがなくて、本当に・・・・・嬉しい。
 「真琴さん」
 「・・・・・でも、少し、羨ましいです、海藤さんと・・・・・倉橋さんの関係。俺には、絶対・・・・・」
 「あなた以上に、社長を癒せる存在はいませんよ。・・・・・真琴さん、どうか、社長を赦して差し上げてください。一瞬でもあなた
の存在を忘れて、その手を汚しそうになったあの方を・・・・・どうか、全て赦すと、言って差し上げてくださいね」
 誰かを、それも、自分を助けようとしてくれた人を赦すなんて立場にないと否定したかったが、倉橋は真琴が頷くのをまるで懇願
でもするかのような眼差しで見つめてくる。
とても無理ですと言えなくて、戸惑いながら頷けば、倉橋は本当に嬉しそうに目を細めて微笑んでくれた。