必定の兆し
3
結局、真琴が試行錯誤しながら作った餃子のタネを冷蔵庫で冷やしている間、思ったよりも随分早く海藤が帰宅してきた。
夕方からの会議が2つほど延期になったということだが、多分それが自分を気遣ってのことだということには察しがついた。ただ、ここ
で謝るよりは嬉しいという感情をちゃんと伝えた方がいいような気がして、真琴は一緒に作りましょうと海藤を誘った。
「ニラが入ってないのか」
「海藤さん、明日も仕事だし、俺もバイトが入ってるし。今日のは豆腐が入っているヘルシーな餃子なんですよ」
キッチンのテーブルに向かい合って座り、それぞれが餃子を包んでいた。
部屋着に着替えた海藤は眼鏡も外していて、表情もとてもゆったりとしている。
真琴が1つ作る間に、海藤は3つほど作っていて、その手の器用さに感心するものの、真琴は自分の作ったものが横からはみ出
さないように気をつけることで精一杯だった。
それに、こうして2人で暢気に餃子を作っているのなんて平和でなければ出来ないことで、真琴は何だか顔が緩むのを止められ
なかった。
「あ、そう言えば、俺今日買い物の時に人とぶつかちゃって」
「買い物の時?」
真琴は自分の慌てぶりを一緒に笑って欲しかったのだが、海藤は今の時期に真琴がそんな接触をしたことに、一抹の不安のよ
うなものを感じたらしい。
「変わった様子は?」
「全然」
「・・・・・」
「本当に大丈夫ですよ?ぶつかったのは俺の方だし、相手の人は直ぐに行っちゃったし」
海藤の心配性を笑うことなど出来なかった。
こんな風に心配してしまうそもそもの原因は自分が作ってきたようなものだし、その前に宇佐見のことを海藤に告げたくらいだ。
海藤が商店街での小さな出来事にさえも反応してしまうことに申し訳なく思い、真琴は本当に心配しないでくださいと重ねて言う
ことしか出来なかった。
「少しでも気になることがあったら、真っ先に海藤さんに言いますから」
「・・・・・そうしてくれ」
海藤はようやく雰囲気を柔らかくすると、今度は真琴の手元から餃子の皮を取った。
(その相手というのは、多分問題は無いとは思うが・・・・・)
真琴の話を聞きながら、海藤は自分が思った以上に過保護になってしまっていることに苦笑が漏れた。
真琴が大学生で、しかも男だということは分かっているものの、どうやらジュウの残した不安感は半年くらいでは消え去ることは出来
ないらしい。
今も綾辻が香港の知り合いと連絡を取ってジュウの動向は可能な限り把握しているつもりだが、相手もマフィアだ、こちらが分か
らない行動というものもある。
どうやら、予定されていた結婚式は白紙に戻り、かなり大掛かりな内部の粛清が行われ、その建て直しもほぼ完了したということ
だが・・・・・。
(そろそろ、また真琴と接触を図るということはないだろうか・・・・・)
前回、彼が一滴の血も流さないままに日本を発ったのは、本当に運が良かったというだけだ。今度、彼が本気で真琴を奪いに
来たら、はたして自分は守りきることが出来るだろうか。
「あ」
「・・・・・」
「海藤さん、それ」
「・・・・・ああ、ぼうっとしていた」
手にしていた皮に山盛りにタネを入れてしまい、餃子ではなくシュウマイのような包み方をしてしまった。
海藤は目を丸くしている真琴の前でもう1つ同じものを作ると、2つだけを列から離す。
「一つ、付き合ってくれ」
「シュウマイみたい」
「味は餃子だが」
「何だか、当たりがあるみたいですね」
目で見て直ぐに分かるけどと笑う真琴は、海藤が何を考えていたのかは気付かないようだ。もちろん、真琴に余計な心配をさせ
るつもりのない海藤は、そのことに内心安堵しながら再び手を動かし始めた。
デスクの上に置かれた封書。
以前見せてもらったものと同じもののようだが、今回は宛名が自分になっている。
「・・・・・」
宇佐見は手袋を嵌めた手で慎重に封を切った。この後、顔見知りの鑑識の人間に指紋などを調べてもらうつもりなので、出来
るだけ慎重に手を動かした。
「・・・・・」
中から出てきたのは、これもまた同じような便箋・・・・・と、写真が1枚。
「・・・・・っ」
写真には、宇佐見が愛しいと想う相手が映っている。いや、これは、今日の昼間に自分が会った時のあの光景だ。
大学名と、映っている相手の顔がはっきりと分かるようなアングルなのに、宇佐見は後ろ姿で・・・・・そこに、写した相手の狡猾な
意図が垣間見える気がした。
多分、自分の顔がはっきりと映ったものもあるはずだが、あえてこれを選んだわけは・・・・・。
【開成会、海藤の弱点は分かっている。
あいつを潰すのならば、お前からは手を引こう】
理由も、何も書いていない。そもそも、ここに書かれていることが真実だと分からない。
(・・・・・前のは、フェイクということか。どうやってこちら側と連絡を取るつもりだ?)
最初は、自分が狙いかと思ったが、今回のこの文章で分かった。相手が潰したいと思っているのは自分ではなく、どうやら海藤の
方らしい。
それでも、所詮同じヤクザ同士の潰し合いかと楽観視することは出来なかった。
この手紙の主は、明らかに海藤と自分の関係を知っており、その上真琴の存在も認識しているのだ。
「・・・・・」
あの男がどんな敵を作っているのか全く興味はないし、組を解散させ、逮捕することをずっと願っている。ただ、そこに真琴が関係し
てくるというのならば話は別だ。善良な市民である彼を、こんな黒い霧の中に巻き込むことなど出来ない。
「・・・・・」
宇佐見は携帯を取り出した。
新しく買い換えたものだが、これも数日中にどこからか番号が流出するだろう。知られたくない相手との連絡を取るのならば今かも
しれなかった。
「・・・・・」
食事を終え、2人で一緒に食器を片付けていた時、海藤がふと顔を上げた。
「悪い」
「?」
水道を止めた真琴は、その時ようやく微かな携帯の音に気がつく。
(凄い、あんな小さな音が聞こえたんだ)
職業柄というのは変かもしれないが、海藤は本当に凄いなと思う。同時に、自分のために早く帰ってきてくれたので、その分仕事
が溜まったのではないかとも心配になった。
「俺が洗いますから、ゆっくりと話してきてください」
「そのまま置いておけ、一緒にしよう」
「後、乾燥機に掛ければいいだけだから」
「・・・・・ありがとう」
海藤は真琴の髪をクシャッと撫でると、そのままリビングのサイドボードに置いていた携帯をとって部屋から出て行く。
仕事のことを真琴に聞かせないようにする配慮のための行動だということは分かるので、真琴もその背が見えなくなると直ぐに洗い
物を再開した。
(あ、お風呂も入れとかないと!)
海藤は寝室ではなく書斎に入った。
ここは口外禁止の話をすることもあるので防音を施しているのだ。
「・・・・・」
非通知ではなかったが、番号は見たことの無いものだ。
それでも、これ程長い間鳴らし続ける相手が誰なのか海藤は分かっていて、躊躇うこともなく通話ボタンを押した。
「はい」
『もったいぶるのもいいが、俺は暇じゃない』
早々に口を開いて出てくるのは文句の言葉だ。
それは何時もと変わらないものだったが、海藤は返ってそこに違和感を感じてしまった。
(真琴が俺に報告をしたということは・・・・・予想しているはずだが)
真琴も、宇佐見が口止めをしていたと言うようなことは言っていなかったので、今回の自分の訪問を、宇佐見は真琴を介して自
分に知らせてきたのではないかと推測していた。
「用件は?」
『お前自身がどんな恨みを買おうとも全く構わないが、今お前の側には真琴がいるんだ。不本意だが、あの子がお前の側にいた
いと思っている間は、自分の身辺にも目を配ったらどうなんだ』
「・・・・・」
引っ掛かった言葉は2つ。
《自分の身辺》ということは、今回の宇佐見の不可解な行動は、宇佐見自身ではなく自分に関係があるということなのだろう。
そして・・・・・《真琴》。自分の愛する相手を、呼び捨てにされるのは面白くない。
「・・・・・」
そこまで考えた海藤は、ふっと唇を苦笑の形に崩した。こんな時にそんな個人的なことを考える自分が、真琴と出会う前とはかな
り変わったことがおかしかったのだ。
(今は、こんなことを考えている場合じゃないんだが)
『おい』
直ぐに反応を返さない海藤に、宇佐見が少し強い口調で言った。
『お前、今の状況を分かっているのか』
「・・・・・分からないな」
『・・・・・』
「こちらに情報はもらえるのか?」
甘いと言われるのを覚悟でそう訊ねると、意外にも宇佐見は分かったと言った。
『明後日正午、警視庁の食堂入口に来い。必ずお前本人が、絶対に開成会の海藤だと分からないようにな』
海藤自身が、海藤と分からないように、しかも、鬼門でもある警視庁に来いと言う。
一見、無茶な注文のように思うが、海藤にとってはそれほどに頭を捻る課題ではない。何より、宇佐見が用心のために警視庁に
来いと言っているわけではないと分かっているからだ。
(多分、そこでしか見せられないものもあるんだろう)
「分かった」
『時間厳守だ』
そう言って、電話は一方的に切れた。何時もの通り、別れの挨拶もない、呆気ないものだ。
海藤は直ぐに今の番号の履歴を消し、折り返し綾辻に連絡を入れた。
「悪いが、手配して欲しいことがある」
いきなり切り出した海藤に、電話の向こうの声は了解と軽く答える。この男に任せておけば間違いがないと海藤も信じているの
で、手短に明後日の段取りを話し、頼むと言って切る。
真琴はゆっくりしてと言っていたが、あまり長いと心配するだろう。海藤はそのまま携帯を持つと(常に連絡を取るために持っていな
ければならない)、愛しい相手の待つ場所へと足を向けた。
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