必定の兆し













 翌日、事務所に行った海藤は、直ぐに倉橋と綾辻の訪問を受けた。
一応会社形態を取っているものの、綾辻に関してはフレックスタイム制というか・・・・・はっきりとした勤務形態は取っていないので、
真面目な倉橋はともかく、こんなに朝早く(午前10時過ぎ)から綾辻が会社にいることは珍しかった。
 「今、よろしいですか」
 「ああ」
 2人揃って現れるということはそれなりに重要な話だ。いや、昨日倉橋に頼んだ件かと直ぐに思い当たった海藤は、ソファへと席を
移して先を促した。
 「宇佐見の件ですが、最近彼の周りをうろついている者がいました。八塚組(やつかぐみ)です」
 「八塚?・・・・・確か、新興の組だな」
 「そうです。以前は一条会(いちじょうかい)の下についていたらしいんですが、高橋の件でかなりごたついたらしく、今は若頭の今
井が一条会を背負っていますが、高橋派だった人間が何人か八塚組に流れているようです」
 「一条会か・・・・・」

 まだ、真琴と暮らし始めて間もなく、以前自分に言い寄ってきていたらしい(海藤は覚えていなかった)女が、金目当てに真琴を
連れ去った。
女ば馬鹿だが、それほどに性悪でもなかったが、その女の情夫であり、当時トップになったばかりの高橋が海藤の力を欲して、その
取引材料として真琴の存在を利用しようとした。
 結局、海藤達が、真琴が監禁されている場所に乗り込んでいって力で解決をし、女は地方へ、その女の兄で、真琴の救出に
協力した弘中禎久(ひろなか よしひさ)は今は海藤の運転手に。
 そして、甘い汁を吸おうとした高橋は、麻薬のルートを海藤によって警察に知られたことにより、同業者と警察双方から狙われる
立場となった。 《※ 「愛情の標」 参照》

 どうやら、まだどちらにも掴まったという報告はなく、海藤自身その存在さえ忘れていたのだが、今回のことはその高橋に関係する
ことなのだろうか。
 「八塚の組長は尾高(おだか)といって、今年38になる男です。良くも悪くも噂にはなっていない人物ですね」
 「元ホストなんですって」
 「ホスト?それが組を興したのか?」
 「上のおじ様の中に、彼を気に入っている人がいるみたいですよ。あ、その手の関係は無いみたいですけど」
 いったい、どこからそんな情報を仕入れてきているのか、綾辻はふふっと笑いながら言う。綾辻がそう言うのならば、それはきっと正
しい情報なのだろう。
しかし、その男と宇佐見がどう繋がるのだろうか。
(・・・・・確か、真琴とあいつが会ったのもあの時だったか・・・・・)
 普段でも顔を合わすことの無い異母兄弟。それが、頻繁ではないが電話をし、顔を合わせるようになったのは、自分達の間に
真琴という存在がいるからだ。
(いったい、目的は何だ?)




 眉を顰める海藤の気持ちはよく分かる。
綾辻も、最初に八塚組の名前と組長の経歴を聞いた時、どこをどうやって宇佐見と繋がるのか分からなかったからだ。ただ、一つ
だけ気になるとすれば・・・・・。
 「一条会から八塚組に移った者の中に、高橋の片腕といわれていた幹部がいます。その男が関係しているのかもしれませんが、
後もう少し時間を貰いたいんですけど」
 1日でここまで調べたということは自慢でも何でも無い。出来ればその核心部分までも揃えて報告したかったくらいだが、海藤に
伝えるには確固たる裏づけが必要で、そのための時間はせめて後1、2日は必要だった。
 「構わない。後、真琴に誰か付けることが出来るか?」
 「エビちゃんだけじゃ心許無いですものねえ。学校も夏休み中ですし、バイトの時間を重点的に気をつければいいですね」
 「・・・・・出来れば、何時もの生活を変えさせたくないしな」
 「当たり前ですよ〜。マコちゃんには何の関係も無いんですもの」
 「・・・・・」
 「社長のスケジュールは、克己が頑張ってね?」
 綾辻が笑みを向けると、倉橋は真面目な顔をして頷いた。
 「今回のことに決着がつくまで、出来るだけ真琴さんと共にいられるようにします」
 「すまない」
 海藤に眼差しで感謝され、倉橋はいいえと口の中で応えながら笑みを浮かべる。海藤の前だけで見せる素直なその反応に妬
かないわけではないものの、倉橋の中では海藤の存在は別格なことも理解出来ているので、まあしかたないかと綾辻は自分自
身を慰めた。




 何時もより少しだけ寝坊した真琴だったが、身体はそれほどにきついわけではない。
男同士のセックスという、普通からすればイレギュラーな行為だが、海藤は何時も優しく、丁寧に抱いてくれるので、翌日の身体へ
のダメージはほとんどないのだ。
 「バイトまでは時間があるかあ」
 今日は学校に行く用も無く、夕方バイトに行くだけだ。
洗濯と掃除も終わり、後はのんびりとマンションにいてもいいのだろうが、夕べ同じ時間を過ごした海藤が働いていると思うと自分
だけが楽をしているのは心苦しい。
 「どうしようかな・・・・・」
 何をしようかと思いながら何気なく視線を動かした真琴は、リビングのテーブルの上に置いていたままだった携帯が光っているのが
見えた。
 「電話?」
全く気付かなかったと思いながら携帯を取った真琴がそのまま操作をすると、見覚えの無い番号の相手からメッセージが残されて
いるようだった。
 「・・・・・」
 真琴は直ぐに自分の部屋に行き、何時も使っている鞄の中から財布を取り出し、その中に入れていた小さなメモを取り出した。
宇佐見から渡された彼の新しい携帯番号だが、海藤にそれを見せた後、そのまま返してもらっていたのだ。
 「・・・・・違う」
見知らぬ番号は、宇佐見の携帯番号ではなかった。真琴はメッセージを聞こうかどうか迷ってしまったが、もしも携帯を買い換えた
友人からの普通の電話だったら・・・・・そういう可能性も捨てきれず、思い切ってそのメッセージを聞いてみた。




 それから30分後 ------------------ 。

 真琴はマンションの部屋から出た。
 「もうっ、いきなり電話してくるなんて何考えてるんだろっ」
見知らぬ番号の主は、中学2年生になる弟の真哉(しんや)だった。
 夏休み、どうしても真琴に会いたくなったから電車に乗っている、もう直ぐ着く。そう、留守電に入っていたメッセージを聞いた真琴
は、慌てて折り返し電話を掛けた。
 電車の中だったからか、電話は取られなかったが、直ぐにメールが入り、それで到着時間を知った真琴は直ぐに迎えに行くと返事
を送ったのだ。
 「あ、海藤さんにも連絡しておかないと・・・・・」
 今日、泊まることは無いだろうが、それでも自分の身内が来ることは伝えておかねばならないだろう。
エレベーターの中で携帯を探っていた真琴は、1階に着いた音に顔を上げた。
 「あ」
 「お出かけですか?」
 エントランスには2人の男が立っていた。
名前は知らなかったが、事務所で何度も顔を見たことがある男達だ。
 「あ、は、はい」
 どうして男達がここにいるのだろうと思った真琴は、ハッと顔を上げる。もしかしたら海藤に何かあったのではないだろうかと思ってし
まったのだ。
 「あのっ、海藤さんに何か・・・・・っ?」
 「社長はお変わりありません。海老原は?」
 「あ・・・・・連絡してない、です」
 「・・・・・それでは、私の車に乗りましょうか」
淡々と告げる男の態度はそっけなく、何時もにこやかでハイテンションな綾辻と、生真面目だが、優しい倉橋に慣れていた真琴に
は戸惑いの方が大きかった。




 「・・・・・はい、多分、夕食を食べたら帰ると思います。すみません、いきなり迷惑を掛けて」
 車に乗り込むと、真琴は直ぐに海藤へ連絡した。
弟が来ることを伝えると少し驚いたようだが、それでも笑いながら夕食を一緒にとろうと言ってくれた。忙しい海藤に気を遣わせるの
は申し訳なかったが、どうやら海藤は弟のことを気に入っているらしい。
 「・・・・・はぁ」
(良かった)
 取りあえずはこのまま迎えに行ってマンションに連れて行き、夕方、海藤と時間を合わせて出かけようという話になったので、真琴
は安堵の息をついた。
 「・・・・・」
 安心すると、今度は側の男達のことが気になってしまう。
電話で海藤は、

 『そこにいるのは安徳(あんとく)と城内(きうち)という。綾辻が選んだ男達だから安心しろ』

そう、言っていた。
もちろん、海藤のところにいる者達を信頼することは出来るが、真琴としては別のことが気になった。何時もの海老原だけではなく
て、さらに2人もの人間が来てくれるということは、自分の周りで何かが起きようとしているのだろうか?
(宇佐見さんのこと・・・・・やっぱり、何かあったのかな)
 海藤は心配するなと言っていたが、どこかで引っ掛かることがあったのか・・・・・。
 「あ、あの」
 「私は安徳です。運転しているのが城内」
薄い唇で淡々と述べる安徳は、そう言いながら一重の目を僅かに細めた。ノーネクタイに、少し明るめのスーツを着ているのは真
琴のことを気遣っての格好かもしれないが、やはりその眼力は一般人とは少し違う気がする。
 名前を呼ばれて軽く頭を下げた城内は、長い茶髪を後ろで一本に縛り、耳にもピアスがしてあった。開成会の中で綾辻班と呼
ばれる者達は、皆同じような・・・・・つまり、一見ホストかモデルのように派手な格好と容姿をしているが、城内も例外ではなくアロ
ハシャツにジーンズ姿だ。
バックミラー越しにウインクをしてくる様も綾辻に似ていた。
 「安徳さん、もしかして俺、海藤さんの迷惑になっている、とか?」
 「どうしてですか?」
 「・・・・・安徳さん達がいるからです」
 「・・・・・確かに、私達が表立ってあなたにつくのは初めてですが、開成会の組員達は皆、あなたを守っている気でいますよ。あな
たは私達の親の大切な連れ合いですから」
(親・・・・・?)
 それが、ヤクザの世界の組長と組員の関係を示すことというのを真琴が知るはずが無く・・・・・多分、不思議そうな表情をしたの
だろう、安徳がすみませんと謝った。
 「つまり、社長は私達のこの世界での親なんです。その大切な親の大切な人を守ろうと思うのが子供でしょう」
 「・・・・・海藤さんのこと、大事に思ってくれているんですね」
 「当たり前です。社長も、そして幹部達も、私達にとっては大切な存在です」
 きっぱりとそう言い切る安徳の言葉に、真琴は嬉しくなってしまう。好きな人がこれ程に慕われているのだ。
(・・・・・あ、でも、理由・・・・・)
何だか、彼らが自分に付いてくれる理由を聞きそびれたことに気がついたが、また改めてというのも・・・・・何だか聞きにくい。
(仕方ないか)
理由は今夜、海藤に直接聞けばいいかと、真琴は今から久し振りに会う弟の方へと意識を向けることにした。