必定の兆し













 予約した焼肉屋の個室に足を踏み入れた時、海藤は真琴と並んで座っていた真哉を見て少し驚いた。
海藤の印象では、真哉は小学生で、しっかりしている反面、極度のブラコンといった感じだったが、今目の前にいる少年は既に外
見は真琴とそう変わらないほど大人びている。
(中学2年か・・・・・)
 それだけ、真琴と一緒に過ごした日々が長くなってきたのだなと、海藤も感慨深く思った。
 「よく来たな」
 「突然すみません」
真哉は立ち上がると、海藤に向かって頭を下げた。
 「今日は兄に会うだけで帰るつもりだったんですが」
 「せっかくここまで来たんだ。食事くらいは一緒にとってくれないと、真琴が寂しがるだろう」
 海藤の言葉に真哉は真琴を見下ろし、少し照れたように笑みを零した。以前ならばもっと子供っぽく、体全部で兄に対する独
占欲を見せ付けてきた真哉だが、今はそれを綺麗にオブラートに包んでいる感じだ。
 「注文はしたか?」
 「まだです。海藤さんが来てからって思って」
 「あの」
 「ん?」
 「俺達と一緒にいた人達は?あの人達も・・・・・」
 「彼らにはやるべきことがあるからな。俺1人だけで申し訳ないが」
 今日、真琴達に付いていた安徳と城内は、海藤と同行してきた倉橋と綾辻に合流している。真琴の携帯への電話やメールに
関して、早急に調べるためだ。
 「・・・・・」
 海藤は座椅子に座りながら真琴を見つめる。
不審な電話などを直接受けた真琴が不安定な心境ではないのかと危惧したが、見た限りでは大きな変化は見えない。
多分、ずっと側にいた弟の存在と、今合流した自分の存在で、真琴の中の動揺は何とか抑えられているのではないか・・・・・海
藤はそう思った。




 「真ちゃん、いい男になりそうね〜」
 海藤と同行した時、ちらっと見えた真哉の様子に、綾辻ははしゃいだように言った。綾辻の中でも真哉のイメージはブラコンの子
供で、それがこんなに成長しているとは驚きの方が大きかったのだろう。
 しかし、そんな綾辻に冷水を浴びせるかのように、冷たい声が背後から聞こえてきた。
 「今、そんなことを気にしている場合ではないでしょう」
 「せっかくなんだから、ご飯食べながら楽しく話しましょうよ」
 「・・・・・」
 「綾辻幹部、楽しくは無理ではないですか」
呆れて黙ってしまった倉橋の代わりに、安徳が冷静に突っ込んでくる。
基本的には綾辻班である安徳だが、性格的には倉橋寄りの真面目な人間なので、会うごとに苦言を言われることが多かった。
 「まあ、食事は楽しくしなきゃ、栄養にならないし」
そして、性格的にも綾辻寄りの城内がそう宥めるのも何時ものことだった。

 海藤と真琴達のいる部屋の隣に陣取った幹部達は、適当に注文した後早速真琴の携帯に不審な電話やメールを送ってきた
者を特定する話し合いに入った。
 「携帯の会社に調べてもらってるから、間もなく結果は出ると思うけど」
 「そんなこと出来るんですか?」
 「オトモダチがいるから。あ、心配しないで、克己、本当にただの友達だから」
 「・・・・・心配していませんから」
きっぱりと言い切る倉橋の横顔を堪能しながら肉を口に運ぶ綾辻の携帯が鳴ったのは、それから10分も経っていない。
 「は〜い、ごめんなさいね〜。・・・・・うん、あ、そう。ありがと、今度奢るから」
会話は思った以上に短く、綾辻は直ぐに電話を切った。
 「分かったわよ、相手」




(・・・・・良かった、海藤さんとご飯食べる約束をしてて)
 始めはこんな状態とは思わず、忙しい海藤の時間を割いてもらうことが申し訳なく思っていたくらいだが、あんな気になる電話の
後では、一番信頼する海藤といることに安心した。
 実際に、危険なものを向けられたわけではなく、脅しの言葉を言われたわけでもない。それでも、自分の知らない間に誰かが自
分の行動を見、それを写真にまで撮っているのかと思うと薄気味悪さを感じていた。
 「あ、真ちゃん、野菜も食べないと」
 「食べてるよ、真咲(まさき)兄が煩いから」
 「みんな、真ちゃんに大きくなって欲しいんだよ」
 「マコが小さいから?」
 「・・・・・別に小さくはないと思うけど」
 体格的に、兄弟の中では確かに上の2人の兄には遠く及ばず、弟の真哉にも抜かされる寸前だというのは分かるが、中学生の
弟に小さいと言われると、ズキズキと胸が疼く。
 それでも、ここで言い返してしまうとさらに大人気ない気がして、真琴は無言のまま肉を口に運び・・・・・すると、ふっと誰かが笑う
気配がした。
(海藤さん?)
 ここにいるのは自分と真哉と海藤だけだ。海藤が真琴以外の第三者がいるところで笑うのは珍しく、真琴は思わず目を瞬かせて
しまった。
 「似てるな」
 「「え?」」
 返す返事も真哉と重なってしまい、海藤はますます深い笑みを浮かべる。
 「兄弟だな」
 「似てる?」
 「どうかな?上の兄貴達とも似てないって言われるけど」
 「見た目じゃなくて、雰囲気がだ。ああ、家族皆同じ・・・・・優しい雰囲気だ」
呟く海藤の言葉に、真琴はふと海藤の家族のことを思い浮かべた。
自分の主だった菱沼を盲目的に信奉している父親と、その父親だけにしか目がいっていない母親。そして、父親が別の女性との
間につくってしまった、同じ歳の異母弟。母親の兄にあたる菱沼は、夫婦共にとても海藤を大切に育ててくれたらしいが、やはり肉
親の愛情がほとんど無かったというのは海藤の心に刻み込まれているのだろう。
 だからこそ、真琴の実家に来た時、海藤はその家族という空間に始めは慣れない感じだったが・・・・・。
(俺が、海藤さんの家族になれたらいいのに・・・・・)
男だから、海藤の子を生むことは出来ないが、共に側にいることは出来ると思う。
 「じゃ、じゃあ、もう直ぐ俺と海藤さんも似るかもしれませんね」
 「ん?」
 「だって、一緒に暮らしているんだから」
 真琴の思いは届いたのだろうか、海藤はふっと微苦笑を浮かべる。その笑みに強く頷き返すと、真琴はまた肉ばかりを皿にとって
いる真哉の皿に大きなピーマンを乗せてやった。




 「あ〜、腹いっぱい!」
 1時間半ほど、ゆっくりと食事を終えて店から出たのは、そろそろ午後8時になろうかという頃だった。
 「ご馳走様でした」
揃って頭を下げる西原兄弟に、海藤はいやと笑った。
 「せっかくだから、泊まっていってもらってもいいんだが」
 「ありがとうございます。でも、まだ電車の時間あるし、明日は友達と約束してるので」
 「え?遊びに行く?」
 「うん、プール」
 「じゃあ、お小遣い・・・・・」
 「いいって。マコはまだ学生なんだし、兄貴達からせびったから」
 真琴を気遣うように言う真哉に、海藤は改めて兄への愛情を感じて笑みを漏らし、車を回せと綾辻に言う。
車を待つ間、2人の兄弟達は学校のことなど、まだ話し足り無いように会話を続けていたが・・・・・。
 「待てよ!」
 「え?」
 いきなり声が聞こえ、その場にいた者・・・・・それは海藤達だけではなく通行人達もだが・・・・・皆、いっせいに同じ方向を見た。
すると、ちょうど学生らしき少年が目の前を走って行き、その後を1人の青年が追いかけるように走ってくる。
 「・・・・・」
 自然に、海藤や真琴、真哉の側には、それぞれ部下達が守るように立ち塞がった。どういった形で攻撃を受けるのかは分からな
いので、一応用心のためだ。
しかし、どうやらそれは本当に一般人だったようで、海藤達の前をすんなりと走り去っていく。
 「あっ」
 「どうした?」
 「今の人・・・・・あの先生だ」
 「先生?」
 真哉や、部下達は分からないようだったが、海藤は直ぐにそれが昨日の真琴の話に出てきた人物だということに気がついた。
真琴からは教師には見えなかったと聞いていたが、確かにちらっと見た横顔はまだ大学生のように若かったように思う。
 「生徒を追いかけてたんだろうな」
 「・・・・・そうみたいだな」
 夏休み、学生には様々な誘惑が溢れているだろう。それを取り締まるのが教師の仕事の1つであることは理解できるが、あんな
ふうに大声で追いかけていくのは返ってマイナスではないだろうかと海藤は思った。




(凄い偶然・・・・・)
 まさか、昨日ぶつかった相手に、今日また会うとは(見掛けただけだが)思わなかった。夏休みだというのに大変だなと思うが、夏
休みだからこそ忙しいのかなとも思う。
 「あの子、何したんだろ」
 「ゲーセンにでもいたんじゃない?見付かるなんて馬鹿だなあ」
 「真ちゃん、まさか・・・・・」
 「俺は大丈夫」
 にっこりと笑って言う、多分兄弟の中では一番しっかりしている末弟。あの父や祖父が側にいるのだから大丈夫だと思うものの、
やはり兄としては心配は消えないのだ。
 「・・・・・何かあったら、俺に言って来るんだよ?1人で色々考えたら駄目だからね?」
 「うん、頼りにしてるから、マコ」

 そのまま東京駅まで車を向けてもらい、ホームまで真哉を見送りに行った。恥ずかしいなと言いながらも、多分真哉もギリギリま
で一緒にいたいと思ってくれたのだと思う。
 滑り込んできた電車に乗り込んだ真哉は、真琴に・・・・・ではなく、海藤に向かって頭を下げた。
 「今日はありがとうございました。マコのこと、よろしくお願いします」
 「ああ、安心してくれ」
 「じゃあ、またね、マコ」
手を振ると同時に扉が閉まり、電車はそのまま走っていく。真琴は数メートル追い掛けるように足を動かしたが、やがて足を止めて
遠くに消えるその姿を見送った。
たった1日だったが、今日真哉が自分の前に来てくれたのは何だか運命のような気がする。真哉のおかげで、様々な不安なことを
忘れることが出来たからだ。
 「今度は、ゆっくりと呼んだらいい。夏休みはまだ長いしな」
 「・・・・・うん」
 真琴の気持ちを察してくれたかのようにそう言った海藤が、支えるように肩を抱き寄せてくれる。人前だと分かっていたが、真琴は
思わずその腕に寄りかかってしまった。