外持雨 ほまちあめ
3
「私の父親が、檜山理事と懇意なんだ」
藤永が教えてくれたのは、たったそれだけだった。
しかし、綾辻にとっては、いや、海藤にとってはそれは自分達がしようとしていることをはっきり方向付ける為にはとても重要な情
報だった。
藤永がたった一度のセックスでここまで教えてくれたのは、自分とのセックスがそれなりに満足だったのだろう。
「後3票ですね」
「今日中に取れるといいが」
「うちの申し出を断る理由がありませんよ。ただ、東京近郊じゃないので時間が掛かっているだけです」
「・・・・・そうだな」
海藤自らと、自分と倉橋。
3人が動いて、もう直ぐ最低ラインの委任状を手にすることが出来る。これで、海藤は自分が当初思っていた通りの行動が出
来る様になるのだ。
「お前もご苦労だったな」
一昨日昨日と、分刻みで九州と中国地方の有権者に会いに行っていた綾辻はいいえと笑った。
これくらいはたいしたことはないし、自分が飛び回っている時の通常の業務や雑事は、全て倉橋が取り仕切っているのだ。
既にこちらに傾いて歓迎してくれる相手から委任状をもらうよりもはるかに大変な仕事をさせていることに、何度か手伝うことを申
し入れたが・・・・・倉橋はばっさりと拒絶した。
(怒ってる・・・・・よな)
多分、倉橋は自分と藤永の間に何があったのかを正確に気付いているだろう。
改めて聞かれればきちんと答えるつもりだったが、倉橋は頑ななほどにその話題を避けている。
今は選挙のこともあるので、自由に動く時間も正直言って無いが・・・・・。
(とにかく、これが一段落したら・・・・・)
「綾辻」
考え込んでいた綾辻は、不意に海藤から声を掛けられた。
「はい?」
「無理するなよ」
「社長」
「お前が俺のことを考えてくれるのは嬉しいが、お前にはもっと大事なものがあるんじゃないか?」
「・・・・・そんなの、私にとって大切なのは社長とこの開成会ですよ」
「綾辻」
「本当です」
海藤がいなければ、この開成会が無かったら。
倉橋と自分が出会うことは無かったし、今の倉橋をこの場所に留めておくことも出来ないだろう。
少し情けない気もするが、今の倉橋にとって大切なのは確実に海藤だ。
(何時になったら俺が一番になれるのか・・・・・その前に、ちゃんと言っておかないといけないな)
忙しさにかまけて問題を先送りしていると、取り返しがつかないことになってしまうかもしれない。
いい加減覚悟を決めて倉橋と向き合わなければならないと、綾辻は内心深い溜め息をついた。
そして、いよいよ明日が選挙当日という日。
綾辻はじっと役員の部屋があるフロアーのロビーでじっと待っていた。
もう何本目になるかも分からない煙草の吸殻が目の前に積まれているが、何時もは気を付けている匂いが身体に付くことも構
わなかった。
「・・・・・」
倉橋のオフィスのドアはまだ開かない。
今日は海藤も少し早めに帰ったというのに、倉橋はまだ・・・・・。
「・・・・・1時か」
明日は海藤と共に大東組の本家を訪れることになっている倉橋。
まさかこのまま事務所に泊まる気なのだろうか・・・・・そう思った時、静かにドアが開いた。
「・・・・・」
少し俯き加減に出てきた倉橋は綾辻の姿に気付かない。
このまま逃げられないようにと、綾辻は足早に近づいていった。
「・・・・・綾辻さん?」
静まり返った廊下に響く靴音に顔を上げた倉橋は、自分に向かって歩いてくる綾辻を驚いたように見つめている。
その驚きのせいか、綾辻は容易に倉橋の腕を掴むことが出来た。
「な、何を」
「話がある」
「私は、明日社長と・・・・・」
「分かってる。でも、一時間でも一分でも早く、お前と話したいんだ、克己」
「・・・・・」
綾辻が何を言おうとしているのか倉橋は想像がついたのだろう。
口元を少し引き攣らせてしまった倉橋だが、直ぐに思い直すように一度目を閉じ、再び目を開いた時には、既に何時もの無表
情に戻っていた。
「本当に時間が無いんです。ここで聞いていいですか」
「お前が逃げないならどこでもいい」
今の時刻を考えれば、この階に誰かが上がってくることは考えにくい。1階で詰めている組員達も人数は少なく、声など聞こえ
ないだろう。
綾辻としては場所などどうでも良かった。とにかく明日の選挙が終わるまでは容易に動けないのだ。
「・・・・・煙草、吸い過ぎですよ」
服に染み付いたにおいに気付いたのか、倉橋が眉を潜めながら言った。
何時もの注意が心地良く感じてしまうとは、自分は相当倉橋に飢えているのだなと自嘲してしまうが・・・・・綾辻はじっと佇む倉
橋の横顔を見て口を開いた。
「お前、もう感付いてると思うが・・・・・俺、藤永さんと寝た」
「・・・・・っ」
「感情は伴っていなかったが、楽しんだことは間違いない」
「そ・・・・・ですか」
倉橋は口元を歪める。
「別に、私にそんなことを言う必要はないんですよ。私には、関係ないことなんですから」
「・・・・・関係ない?」
「ええ。話はそれだけですか?私、明日が早いので」
そう言うと、そのまま綾辻の横を通り過ぎようとした倉橋。
「!」
もちろん、このまま帰す事なんて出来るはずが無かった。
「痛・・・・・っ」
綾辻はそのまま倉橋の腕を掴むと、その身体を壁に押し付けるように自分の身体で押さえた。
ほとんど身長差が無いので、お互いの視線がしっかりと絡み合う。
「・・・・・何を、するんですか」
「お前が悪い」
「綾辻さん?」
「・・・・・」
(虚勢を張っているお前が、悪い。こんなに震えているくせに・・・・・)
冷たい言葉とは裏腹に、倉橋の目は怯えるように自分を見ていた。そこには、裏切られることへの恐怖が如実に表れている。
「俺に切り捨てられるのが怖くて、自分から切り捨てようとしているのか?」
「そ・・・・・っ」
「馬鹿だな、克己。俺がお前を捨てると思うか?」
「・・・・・」
「お前だけを、こんなに愛しているのに・・・・・」
「!」
ゆっくりと、倉橋の脳裏に刻み付けるように言いながら、綾辻は倉橋の唇に自分の唇を重ねた。
「・・・・・」
キスは、もう何度もしているはずなのに、今だ初な反応を返す倉橋。今も、しっかりと結ばれた唇は綾辻の舌の侵入も許さず、
綾辻は苦笑を浮かべてペロッと薄い倉橋の唇を舐めた。
「こんなの、キスって言えるのか?」
「・・・・・あなたにとっては、違うかもしれませんが」
その言葉が何を指しているのか、綾辻はもう知っている。
ただ、最初は謝ろうとしていたはずなのに、何時しか倉橋を追い詰めたいという思いへと変化している自分の心。
綾辻は追い詰められているはずの自分が反対に倉橋を追い詰めていることに気付いていた。
![]()
![]()