外持雨 ほまちあめ











 濃密な2週間がようやく終わる・・・・・。
倉橋は眼鏡を外して目を閉じると大きく溜め息をついた。
明日・・・・・いや、もう今日だが、いよいよ大東組の理事選当日で、倉橋も海藤と同行する予定になっていた。
数時間前、最後の票が手元に届き、海藤も自分もようやく安堵の溜め息をつくことが出来た。
(とにかく、今日を無事乗り越えれば・・・・・)
 海藤と真琴の周辺を襲っていた暗雲は取り去ることが出来る。お互いを気遣い、心配し合っている海藤と真琴も安堵出来
るのだ。
そして、自分自身のことも、ゆっくりと考える時間が出来るだろう。
 「・・・・・」
 倉橋は部屋の時計を見上げた。
そろそろ午前一時、一瞬帰宅しようとも思ったが、朝海藤を迎えに行って、移動して・・・・・それを考えると、このまま事務所に
泊まった方がいいような気がした。
3階には役員専用の仮眠室があるので、そこで休もう。そう思った倉橋は、自分のオフィスを出た。

 カツカツカツ

(え?)
 廊下に出た途端、少し急いだような靴音がした。
こんな時間にこのフロアに誰がいるのかと顔を上げた倉橋は、真っ直ぐに自分の方へ向かってくる綾辻の姿を見た。
 「・・・・・綾辻さん?」
(どうして彼がここに?)
もうとっくに帰っていると思っていた綾辻がなぜここにいるのかが不思議だった。
その驚きが大きくて何も出来ないうちに、倉橋の腕は綾辻に掴まれ、もう逃げることは叶わなくなっていた。
 「一時間でも一分でも早く、お前と話したいんだ、克己」
 「・・・・・」
(私に、あの人とのことを言うつもりか?・・・・・それは、誠実とは言わないのに・・・・・)
 何の為に自分が今までその話題を避けていたのか、綾辻なら分かっていると思っていた。
それなのに、こうして改めて向かい合ってまで自分にとって残酷な事実を言うつもりなのか・・・・・倉橋はどんな反応を自分がす
るのか、想像が出来ないだけに怖くて仕方がなかったが、このまま綾辻が自分を逃がしてくれるはずがないということも分かってい
た。



(・・・・・煙草の匂い・・・・・きついな)
 何時もは自分に気を遣ってか、それとも自分の身だしなみの為か、スーツに匂いが染み付くほど煙草を吸う人ではないのに、
今日はその匂いがきつく、思わず苦言を言ってしまった。
そんな自分の言葉に、嬉しそうに頬を緩める綾辻の顔が真っ直ぐに見れない。
 そんな倉橋に、綾辻はきっぱりと言い切った。
 「お前、もう感付いてると思うが・・・・・俺、藤永さんと寝た。感情は伴っていなかったが、楽しんだことは間違いない」
 「そ・・・・・ですか」
 倉橋は口元を歪める。
やはりという思いだった。
海老原が撃たれた日、なかなか連絡が取れなかったことと、その後現れた綾辻の雰囲気。
多分情事の痕跡は全て洗い流してきたつもりだろうが、倉橋も綾辻とは肌を合わせたことがあるのだ、微妙な雰囲気を感じ取
ることが出来た。
 「別に、私にそんなことを言う必要はないんですよ。私には、関係ないことなんですから」
 「・・・・・関係ない?」
 「ええ。話はそれだけですか?私、明日が早いので」
 顔は強張っていないだろうか。
指先の震えを見咎められてはいないだろうか。
とにかく、動揺している自分の姿は見せられなくて、倉橋は綾辻の視線を避けるようにその場から立ち去ろうとした。
しかし。
 「・・・・・っ?」
(え?)
 何があったのか・・・・・倉橋は全く分からなかった。
ただ、気付けば直ぐ目の前に綾辻の顔があって、身体は綾辻の身体ごと壁に押し付けられるように拘束されていた。
 「・・・・・何を、するんですか」
 咎めるように綾辻に言うと、綾辻はお前が悪いと言った。
切り捨てられることが怖くて、自分から切り捨てようとしているのかと、まるで問い詰めるように言われた。
そして・・・・・。
 「馬鹿だな、克己。俺がお前を捨てると思うか?お前だけを、こんなに愛しているのに・・・・・」
 「!」
 一つ一つの言葉を刻み付けるように言った綾辻は、そのまま倉橋にキスをしてきた。
呆然とそれを受け入れてしまうが、それでも口を開いて応えることはとても出来ない。
嫌悪では、ない。
藤永を抱いたばかりの綾辻に、藤永と比べられることが怖かった。
(私なんかよりも・・・・・ずっと慣れている人が・・・・・)
 「こんなの、キスって言えるのか?」
 「・・・・・あなたにとっては、違うかもしれませんが」
官能的なキスがしたいのならば、藤永とした方がいい。そう言おうとして口を開きかけた倉橋は、綾辻が眉を潜めて低く唸ったの
に気付いた。
 「・・・・・綾辻さん?」
 「俺は間違っていたみたいだ」
 倉橋は息を呑んだ。
今、ここで、綾辻が自分に対して抱いてくれていたはずの思いを否定される・・・・・そう思った。
たが、綾辻の次の言葉は、倉橋の恐れていたものではなかった。
 「お前の気持ちを優先して、少し落ち着くまで待ったほうがいいと思っていたが・・・・・もっと強引にこうした方が良かったのかも
しれないな」
 「え?な、何を・・・・・」
 「お前は何も考えるな、克己」



 腕を掴まれ、引っ張られるようにして連れて行かれたのは仮眠室だった。
ビジネスホテルのシングルの部屋位の設備があるそこに連れ込まれた倉橋は、綾辻が鍵を閉める音に反射的に振り返った。
 「な・・・・・にを、するつもり、ですか?」
 「お前は何も考えなくていいと言っただろう?全部、俺のせいにしていいからな」
 「え?」
混乱する倉橋の肩を押すようにベッドに腰掛けさせた綾辻は、そのまま自分は倉橋の前に跪いた。この体勢では、自分の方が
綾辻を見下ろすことになる。
いや、どんなに視線を逸らそうとしても、下から綾辻に顔を覗き込まれてしまう。
(こんな顔を見られるなんて・・・・・っ)
今自分がどんな顔をしているのか、倉橋は怖くて想像したくなかった。それでも見られたくないという思いは強くて、最後の手段
として目を閉じる。
 「・・・・・馬鹿だな」
 そんな、呟くような声がした後、
 「!」
ネクタイが、解かれる音がする。
それでも頑なに目を閉じたままでいると、綾辻の器用な手はスーツの上着を取り、ワイシャツのボタンまで外し始めた。
さすがに何をされるのかと思って目を開くと、目前には思い掛けないほど真剣な眼差しの綾辻が自分を見つめていた。
 「あ、綾辻さん」
 「このままお前を手放したら駄目だっていう野生の勘が働いた」
 「え?」
 「抱くぞ」
 「・・・・・え?」
 その言葉の意味が分かる前に、倉橋はそのまま綾辻に押し倒されるようにベッドに仰向けに倒されてしまう。
今度は真上から顔を見つめられ、倉橋は視線を逸らすことも忘れて呆然と聞き返した。
 「だ、抱くって・・・・・私を、ですか?」
 「お前以外、ここにはいないだろう?」
 「で、でも、待っていてくれるって・・・・・」
 「待ってたら、お前の答えは永遠に出ない。克己、俺も焦ってるんだ。お前を手放さない為だったら、どんなことでもしようと思う
くらいにな」
そう言うと、綾辻は再び唇を重ねてくる。
今度は唇を食いしばることも忘れていた倉橋は、そのまま綾辻の舌を口腔に受け入れてしまうことになってしまった。