外持雨 ほまちあめ
5
倉橋が混乱している間に進めようと、綾辻は躊躇いの無い指先でどんどん倉橋の服を脱がせていった。
それなりの長身に、すっきりとしたスーツ姿からは分からないが、倉橋の身体は色白で、うっすらと筋肉のついた綺麗な身体をし
ていた。
肌は幼い子供のようにきめ細かく、とても女を抱くような身体だとは綾辻は思えなかった。
(これは、俺に抱かれる為の身体だ)
同じような身長とはいえ、武術の心得もある自分の身体とはとても対照的で、女でなくても・・・・・いや、女以上にそそられる身
体の倉橋が、自分以外男を知らないというのは奇跡的なことだ。
もしも、倉橋が自分の身体を利用するということを知っていたら、もしかしたら彼の地位は今以上のものになっていた可能性も
ある。
(社長が見付けてくれたことに感謝だな)
大学時代、それほど親しいというわけでもなく。
ただ、街で偶然再会した時、その冷め切った目に引かれたと言っていた。
海藤の人を見る目は確かなのだろうと、綾辻は今更ながら倉橋と出会えた喜びを噛み締めていた。
「ま、待って、くださいっ」
上半身は袖を通した姿で肌蹴られ、下も、ベルトを抜かれてしまった姿で、倉橋はようやく自分の身体の上を滑る綾辻の手
を掴んで止めた。
「わ、私は、社長と一緒に、本家に行くんですよっ?」
「知ってる」
「そ、それなのに、こんなこと・・・・・」
「・・・・・克己、忘れてるだろ」
「え?」
「一昨日・・・・・俺の誕生日だった」
倉橋は大きく目を見開いた。
「選挙当日の日は覚えていても、俺の誕生日なんか忘れてるよな」
5月21日から始まった2週間の選挙期間。丁度6月3日・・・・・今日が当日だ。
そして、その前々日、6月1日は綾辻の誕生日だった。
(あ〜あ、落ち込んだ顔して)
この歳になって、それも男で、誕生日が特別だとはあまり思わない。自分が生まれた日なんて、親くらいしか知らないものだろう
と客観的に思っていた。
しかし、倉橋と知り合って、彼が生まれた日を、人が誕生した日を愛しいと思うようになった。
「あ、綾辻さん・・・・・」
この2週間あまり、自分や海藤もそうだったが、倉橋も劣ることなく忙しい毎日を送っていた。
そんな彼が綾辻の誕生日を忘れていても仕方がないと思っていたし、それでも全く構わないと思っていた。
(ちゃんと・・・・・覚えていたな)
理事選が始まる前日、5月20日の自分の誕生日のことを、倉橋は今鮮やかに脳裏に蘇らせているのだろう。
あの時、綾辻は倉橋におめでとうと言い、食事に連れて行った。そして、その身体を欲しいと告げた。
いい思いをしたのはむしろ綾辻の方だったが、生真面目な倉橋は自分が祝ってもらったことだけを脳裏に覚えさせているだろう。
脅迫をするつもりは毛頭無いが、利用しようとは思った。
「俺を避けていただろう?おめでとうも言ってくれなかった」
「・・・・・」
倉橋の顔が泣きそうに歪んだ。
実際に涙は流れてはいないが、泣いているのと同じような表情だ。
「お前は?」
「・・・・・」
「俺に言いたいことがあるだろう?」
「・・・・・」
「今なら聞いてやる。ほら、言ってみろ」
多少強引なような気がしたが、ここまでしなければ倉橋は口を開かないと思った。
そして、綾辻の思った通り、倉橋は理不尽な綾辻の言葉に、我慢していたようだった言葉をポロッと零した。
「・・・・し、だけ・・・・・だって、言った・・・・・っ」
「・・・・・」
「私だけだって、言ったのに・・・・・!どうしてっ!どうしてあの人と!」
ようやく、倉橋の頑なな心に触れたような気がして、綾辻は深い溜め息をついた。
しかし、倉橋はその綾辻の溜め息を呆れの為ととったようで、キッと下から綾辻を睨み上げた。
「私を必要だとか言っておいて、他の人を抱けるあなたなんか信用出来ません!そ、それも、女じゃなくて、同じ男の、男の、
それも、あの人を!」
「藤永さんに、意味があるのか?」
「だって、だって、あの人は昔のあなたを知ってるじゃないですか!昔のあなたを知ってるのに、今のあなたまで取ろうとしてるな
んてっ、そんなの、ずるいです!」
話しているうちに興奮してきたのか、普段の倉橋ならば有りえないような幼い言葉遣いになってしまっている。
綾辻はその一言一言を噛み締めるように聞いていたが、やがてそのまま倉橋の身体を抱きしめた。
「は、離せ!」
倉橋が腕の中でもがくが、綾辻は自分の身体で押さえつけるようにそのまま腕を解かない。
「・・・・・悪かった」
「離せっ」
「悪かった、ごめん、克己」
「・・・・・っ」
「ごめん・・・・・」
藤永とのことは後悔していない。
綾辻にとってあれはセックスではなく、取引の手段の一つだった。
それでも、倉橋にとってそれが大きな裏切り行為であったことは自覚しているし、謝って少しでも倉橋の気持ちが晴れるのなら
ば、どれほど罵倒されても構わなかった。
「克己」
「・・・・・」
「克己・・・・・」
「・・・・・なたは・・・・・卑怯です」
「・・・・・」
「私が、もう・・・・・あなたの手を離せないことを知ってて・・・・・それなのに・・・・・」
「・・・・・!」
倉橋の手が綾辻の首に周り、ぐっと綾辻の頭を自分の胸に引き寄せた。
甘い倉橋の匂いが、濃密に綾辻の脳を刺激した。
「酷い人ですね・・・・・」
「・・・・・うん、そうだな」
「そんなあなたに捕まってしまった私は・・・・・馬鹿なんでしょうね」
「違う。お前は馬鹿なんかじゃない、俺が悪い男なんだよ」
「綾辻さん」
「本当は、俺になんかお前はもったいないのに・・・・・悪い、克己、お前しか・・・・・お前だけしか、俺を・・・・・」
友人といえる者は何人もいる。
遊ぶ相手も、酒を飲む相手も、選ぶほどの数がいる。
普通に生活をしていて、寂しいと思うことも、虚しいと思うことも無いはずなのに、綾辻の心は何時も渇いている状態だった。
そんな心を潤せる相手は、もう倉橋しかいないのだ。
「・・・・・罰を、与えなければなりませんね」
自分の胸に顔を埋めた状態の綾辻に、倉橋はしばらくして少し震えた声で言った。
「今、あなたに私を抱かせることは・・・・・出来ません。私は、今日大切な用がありますし、今あなたを受け入れたりしたら、多
分腰が立たないでしょう?」
少し、口調を軽くして、倉橋は顔を上げて自分を見つめてくる綾辻に強張った笑みを向けた。
「それに、オイタをしたあなたには、罰をちゃんと与えておかなければ、また同じことをしてしまうかも知れませんから。そこを硬くし
たまま、我慢してなさい」
顔は、泣きそうなままで。
口調は震えていて。
それでも、言う言葉は何時もの倉橋に戻っていたようだった。
綾辻はふっと笑うと、
「酷いわね、克己。男の生理ってもんも分かって欲しいわ」
そう、自分も何時もの口調で倉橋に言った。
やっと、2人は視線を合わせた。まだ少しぎこちない雰囲気はしてしまうが、それでも何とか向き合うことが出来た。
そして・・・・・大東組理事選の本選は、もう数時間後に迫っていた。
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