外持雨 ほまちあめ
6
そして、大東組理事選挙当日ー
全ては、海藤側の思惑通りに事は進んだ。
前代未聞の50票もの委任状をたてに海藤は自らの立候補を取り下げ、対立候補である木佐貫を推挙した。
近日中に全国の大東組系の組織隅々にまでその通達が回るだろう。
倉橋は、今でも海藤が誰よりもトップになる人間だと思っている。カリスマ性も、統率力も、実行力も、若いという言葉では否
定出来ないほどに優れていると思う。
それでも、今は、海藤が言ったように時期が早い。
いずれはこの世界の中枢に立つとしても、今はまだ・・・・・。
あの選挙結果の発表の後、帰宅する為に車の運転手と連絡を取っていた倉橋は偶然藤永と会った。
「よお」
「・・・・・今回はお世話をお掛けしました」
「いや、こっちもいい思いはさせてもらった」
「・・・・・」
生々しい言い方だが、これが多分藤永の素なのだろう。
倉橋に自分と綾辻のことを気付かせてほくそ笑む様子は性質が悪いが、そういう人なのだと割り切れば何とか無表情を崩さず
に済みそうだった。
「倉橋」
藤永の指先が頬に触れた。
一瞬、その指が綾辻の指と絡んでいる光景を想像して身体が硬直してしまった倉橋に、藤永は更に艶やかに笑みながら言葉
を続けた。
「もう少し、お前に預けておくよ」
「藤・・・・・」
「男の抱き方は俺が仕込んだ。たっぷり泣かせてもらえ」
「・・・・・っ」
最後の方は倉橋の耳元で言うと、藤永はそのまま上機嫌に立ち去っていった。
1人、取り残された倉橋はその場に立ち尽くしていた。
今の藤永の言葉は聞き流すべきだと分かっているのに・・・・・昨夜の綾辻の謝罪を受け止めようと思ったのに、どこまでも自分
という存在を2人の間に存在させ続けようとする藤永に、倉橋は怒りではなく途惑いの方を多く感じた。
全てが自分より勝っているはずの藤永がなぜそこまで自分というものを気にするのか。
倉橋は藤永を呼び止めて聞くことも出来ないそのことを、ずっと自分の心の中で問い掛けていた。
「ご苦労様」
海藤を直ぐにマンションに送り届けた倉橋が事務所に戻ると、今日は海藤から強制的に留守番を命じられた綾辻が笑顔で
出迎えてくれた。
「・・・・・」
「克己?」
「・・・・・あ、いえ、あなたこそ、お疲れ様でした」
それまでの気まずさは一切見せず。
未明の激しさも一切隠して。
綾辻は何時もの悪戯っぽい笑みを浮かべて倉橋に言った。
「やっぱりうちのボスはやるわね」
「50票もの委任状は異例ですからね」
「前例が無いものは誰かが作れば前例になるのよ。とにかくこれで社長の身辺も落ち着くだろうし、マコちゃんも安心すると思う
わ」
「・・・・・ええ」
倉橋は素直に頷くことが出来た。
ここまで自分達が寝る間も惜しんで頑張った結果はきちんと出たし、海藤の潜在的な力というものも内外に見せ付けることが
出来た。
「とにかく、終わって良かったです」
「そうね」
頷いた綾辻は、不意に倉橋の肩を抱き寄せた。
「ね、克己」
「な、何ですか」
「・・・・・明日は社長のとこに行くのよね?」
「え、ええ、明日は休まれるそうですが、夕方にも来る様にと言われています」
「私もそう言われたわ。一緒に行きましょうか」
「・・・・・はい」
綾辻の上機嫌の意味を図りかねたが、倉橋は途惑いながらも頷いた。
どちらにせよ、海藤のもとにその後の雑事の報告はしに行かなければならないし、真琴の安心したような表情も直接見ておきた
い。
(何かあるとしても・・・・・その後だ)
近い内に、綾辻とは改めて向き合うつもりだ。
今までのように逃げていて、今回のように大事なものを切り捨ててしまいそうになるくらいなら、きちんと自分自身でけじめをつけた
方がよほどいい。
(・・・・・もう少し、後に・・・・・)
それでも、少しでもその時間を後回しにしたいと思ってしまうのは、自分の中に消しきれない不安が残っているせいなのかもしれ
なかった。
「色々と、ご心配かけてすみませんでした」
翌日の夕方。
以前のマンションに戻った海藤と真琴を訪ねると、真琴はそう言って倉橋に頭を下げてくれた。
今回のことで一番辛い思いをしたはずの真琴にそんな風に言われると、倉橋は自分自身がどんなに不甲斐無かったかと自責
の念にかられてしまう。
全ては自分達の身内のゴタゴタで、本来は素人の真琴には何の非も無いのだ。
言葉少なに詫びる倉橋に、真琴は更に言葉を継いでくれた。
「倉橋さんがいてくれて心強かったです!何もしなかったことなんてないですよ!倉橋さんはちゃんと俺を力付けてくれたし、側
にいてくれるだけでも安心出来たんです!それって凄いことですよねっ?」
・・・・・この青年が、海藤の側にいてくれて良かったと、愛してくれて良かったと心の底から思った。
始まりは真琴にとってはあまり良い思い出ではないだろうが、それを乗り越えて、ここで、海藤の側で笑って立っている真琴はと
ても強い人間なのだろう。
権力とか、腕力とか、学識とか。それらを全て超えた上で、自分の弱さというものも自覚している人間としての強さを真琴に感
じ、倉橋は自分が真琴に劣っているものが何なのか分かるような気がした。
「・・・・・」
倉橋はキッチンを振り返った。
料理が得意な海藤と、手先が器用な綾辻が料理を担当しているが、2人は時折顔を突き合わせて何かを話して笑っている。
(何を話してるんだろう・・・・・?)
女に尽くされることが似合うはずの見目の良い2人がキッチンに立っている姿は不思議と様になっていて、隣にいる真琴も顔を
輝かせて海藤を見つめていた。
「良かったですね」
自然とそう言った倉橋に、真琴は振り返る。
「倉橋さんも楽しみでしょう?綾辻さんの料理」
「え?」
「綾辻さん、器用ですもんね」
「え、ええ、器用ですね、あの人は」
(何を動揺してるんだ、私は)
真琴は普通の会話をしているだけなのに、自分だけが綾辻の名前を聞いて動揺してしまっている。
そんな自分の心を静めようとした時、
「皆、出すのを手伝って頂戴!働かざるもの食うべからずよ!」
綾辻の号令が出た。
今回は怪我をしてしまった海老原や、真琴をガードしていた筒井も同席しているので、通常と違う顔は見せられない。
倉橋は出来るだけ平常を保ちながら、率先して夕食の準備を手伝い始めた。
その時の倉橋は、まだ知らなかったのだ。
三日後、心の準備が伴わないままの倉橋は、まるで綾辻に連れ去られるかのようにして熱海の最高級旅館にいた。
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