3
食事が終わり、片付けられたテーブルの上に置かれた大きなバースデーケーキ。
片手に乗るほどの小さなものを想像していた聖は、ローソクを立ててくれる亘に恐る恐る訊ねた。
「これ・・・・・本当に、俺のために?」
「僕も父さんも、明日が誕生日じゃないよ」
「あ、はあ」
(でも、こんなに大きなの・・・・・食べられるのかな)
聖は元々食欲は細く、高須賀も亘も進んで甘いものを食べているという姿は見たことがなかった。イチゴがたっぷりと乗ったケー
キを残すのは申し訳ないが、聖は見ているだけで腹が一杯になってしまう気がする。
「なんだ、もうローソク立ててるのか?」
着替えるために自室に行っていた高須賀はラフな部屋着になっていて、ローソクを均等にケーキに立てている亘を呆れたように
見た。
「本番は明日だぞ」
「まあ、いいじゃない」
「良くないだろ、誕生日なんだし、なあ」
「え?」
高須賀は聖の顔を見ている。とっさに目を逸らしてしまった聖は直ぐに自分の行動を後悔し、それでも微妙に高須賀から視線
を外していいえと言った。
「祝ってくれるっていう気持ち、嬉しいですから」
「聖」
「聖君」
それはけして2人に気を遣った言葉ではなく、聖の今の本当の気持ちだ。祝ってくれる母が傍にいない今、聖は高須賀と亘の
気持ちを本当に嬉しく思っている。
(本当に・・・・・あんなことさえ言わなかったら、もっと素直に嬉しいって思えるのに・・・・・)
午前0時まで後5時間と少し。
本当にあの長い針が少しでも12時を過ぎたら、彼らは自分のことを抱くのだろうか?それまで、自分はどうしていたらいいのかと
いうのも分からなくて、聖はただじっとケーキを見つめていることしか出来なかった。
計算をしていない言葉だから、亘の胸に直球で入ってくる。
本当はこの場にいることも嫌かもしれないが、それでもここにしかいることが出来ない聖が可哀想だった。
(僕が、きっと、君を笑わせてあげるから)
自分の愛情はとても重くて、少し捻くれているが、聖への愛情は紛れもなく本物だ。聖には申し訳ないが、この愛情はきっと彼
にしか向けられないものなので、諦めて受け入れてもらうしかない。
「・・・・・でも、父さんの言う通りだね。誕生日はその日に祝った方がいいかも」
「だからそう言ったろ」
「はいはい。じゃあ、僕は先に風呂に入るよ。父さん」
分かっているだろうねと、亘は牽制する眼差しを向けた。
自分がこの場にいない間、絶対に先に聖に手を出すなという意味を込めたつもりだが、父は大げさに肩を竦め、はいはいと頷いて
分かってると返事をしてくる。
「お前はしつこい」
「父さんの子だからね」
そう言い捨てた後、亘は自分の部屋に向かう。歳以上に落ち着いているつもりだったが、何かをしていなければ落ち着かない自
分に少し笑えた。
(そういえば・・・・・どこでするんだろ)
自分と聖、2人だけのセックスならば、もちろん自分の部屋でも聖の部屋でも構わないが、これが3人でというと少し狭いだろう。
ここはやはり父の部屋しかないだろうという結論にはなるが、そうなるとなんだか聖は父のもので、自分は少し摘み食いをするとい
う感じにならないだろうか。
「・・・・・ベッド、買い換えるかな」
今までは自宅にセックスフレンドを連れ込むこともなく、自分1人が快適に寝れたらいいと思うくらいだったが、この先聖と共に休
むことも増えるかもしれない。
そのたびに父の部屋を借りるのも間抜けだし、あの男なら必ず自分も混ぜろと煩く言うのは目に見えているので、亘は近いうちに、
それこそ明日にでもベッドを見に行こうと心に決めた。
亘が姿を消すと、高須賀はまだイスに座っている聖を椅子ごと背中から抱きしめた。
「た、高須賀さん?」
「悪いな、聖」
「え?」
逃がしてやるのが本当の愛情だと思うのに、高須賀は自分の欲望にも正直な男だった。40過ぎの親父がまだ15、6歳の子供
に何をするんだと罵られても、欲しいと思ったものをみすみす逃がす気はない。
「・・・・・元々、同類だったのかもな」
「え?」
「莉子」
「!」
突然、自分の母親のことを言われた聖は反射的に顔を上げて振り向く。その顔は、かつて自分が欲しいと思った女に良く似て
いたが、女よりも随分と優しい顔だちをしていた。
(俺の気持ちが変わったからかもしれないがな)
「あ、あの、高須賀さん、母のこと・・・・・」
「女手一つで子供を育てていた彼女には圧倒的なパワーがあったし、俺はそんな彼女とならばさっぱりとした、気楽な関係を築
けるだろうと思った。始めから、あなたの金が一番の目的って言われたのにも笑ったしな」
自分の欲望をあっさりと口に出来ることは本当は凄いことで、高須賀は女に興味を持った。
聖に言っても信じないかもしれないが、自分達には一切身体の関係はない。高須賀は何度か誘ったが、莉子は自分達の関係
は契約上なんだからと、何時も笑ってかわしていた。
自分は、社会的な立場と、美しく、頭のいい女を連れているというステイタスのために。
莉子は、息子である聖と、安定した生活のために。
結婚してもお互い自由にしていいと何度も話し合ったというのに、本気で欲しい相手が出来た途端、莉子は弱い女になってし
まった。
傍目から見たら、子供を捨てた酷い母親だと映るかもしれないが、実は数ヶ月前から、高須賀のもとには莉子からの連絡が来
ている。自分の方の事情が落ち着くまで、どうか聖の面倒をみて欲しいと、勝手だと思うがよろしく頼むと、何度も何度も電話口
で懇願された。
もっとも、自分の息子がどんな待遇でいるのか知ったら、あの莉子のことだ、烈火のごとく怒り狂って、全ての事情を放り投げ
てでも聖を連れ戻しに来るはずだろう。
聖が考えている以上に、莉子は聖のことを考えているし、愛している。
ただ、その表現方法は変わっているし、保護すべき自分も・・・・・変わっているのだ。
(この子を、今夜食っちまう気なんだからな)
高須賀の口から出てくる母の形容は、聖も良く知っている母そのものだった。
自分という高校生の子供がいるとは思えないほどに若く、綺麗で、パワーがあって。聖は母が自慢だったし、母の性格に似てい
ない自分が嫌だとも思っていた。
「・・・・・」
(だから、母さん・・・・・俺を置いていっちゃったのかな)
「聖」
「・・・・・」
「母親のことを忘れろとは言わないが、聖、俺を母親の再婚相手じゃなくって、1人の男として見てくれないか?お前からしたら、
俺はただの中年の親父、お前にとって父親がせいぜいだろうが」
「中年のって・・・・・」
とてもそうは思えない。
高須賀は聖が漠然と想像している父親像とはまるっきり違うし、歳よりも若いし、何よりバイタリティーを感じた。
「俺のことが嫌いじゃ・・・・・ないな?」
「・・・・・」
「今夜、お前が本当に嫌なら、部屋に鍵を閉めて閉じこもっていろ。亘には言い聞かせるし、こっちから鍵を開けることは絶対に
しない。それに、そのことで俺がお前をここから追い出すなんてことも絶対にしない」
「高須賀さん・・・・・」
「俺はそんな度量の狭い男じゃないぞ」
惚れ直したかと笑う高須賀の言葉は、きっと嘘ではないと聖は分かる。後ろめたく思う聖を、更に優しく庇護してくれるだろうとい
うことも。
聖にとってそれは願ってもないことだったが・・・・・本当にそれでいいのだろうか。
腕を解かれ、背後の温かさが離れてしまうことを寂しく思いながら、聖は部屋の時計を見上げた。
亘が風呂から出ると、聖はまだキッチンのテーブルにいた。
リビングのソファに座っていた父は、亘の姿を見て、聖に先に風呂に入るようにと言い、聖はちらっと高須賀を見て、はいと素直に
答えてリビングから出る。
「・・・・・」
その後ろ姿を見送った亘は、父に視線を向けた。
「ん?」
「・・・・・別に」
「キスもしてないぞ?」
「そうは思っていないけど」
(なんだか少し、雰囲気が変わったように見えたんだけど・・・・・)
それが自分の気のせいだと見過ごすことはしなかった。
「父さん」
「なんだ」
「聖君に何を言ったんだよ?」
「別に・・・・・莉子のことを少し、な」
「莉子って、聖君の母親の莉子さん?」
亘は何回も会った聖の母親で、父の再婚相手・・・・・だった、女のことを思い出した。
美人で、活発で、父と並んでも何の遜色もない相手だと思っていた莉子が、まさか式当日に逃げ出すとは思わなかった。
彼女に他に相手がいたという驚きよりも、父が捨てられたことの方が衝撃的で、毒舌家の亘もさすがに何と声を掛けようかと悩ん
だものだった。
しかし、その父から莉子との契約を聞かされてようやく納得し、1人事情が分からなくて途方に暮れている聖が可哀想で、可愛
くて、今こうして父とその所有権を争っているくらいだったが。
(まさか、聖君に全て話したんじゃないだろうな)
そもそも、結婚自体が形式的なもので、お互いに燃えるような愛情が無かったのだと、あの素直な聖に言ってしまったらどんな
に傷付くか・・・・・亘の視線は自然ときつくなった。
「とーさん」
「変なことは話しちゃいないって」
「・・・・・本当に?」
「ああ」
楽しげに返事をするのが怪しいと思ったが、今父を追及したって本当のことを言わないというのも分かっている。
亘は溜め息をつきながら時計を見上げた。時刻は午後7時半を過ぎている。
「・・・・・ケーキ、冷蔵庫に入れておこうか」
「そうだな」
明日、これをどんな気持ちで食べるのだろうかとふと思った亘は、姿が消えてしまった聖の背中を捜すように視線を向けた。
風呂から上がった聖は、そのまま自分の部屋へと向かった。
リビングに行って高須賀や亘と顔を突き合わせても、どういう話題を出したらいいのか全然分からなかったからだ。
(これも、逃げっていうのかな)
与えられている部屋は、以前母と2人暮らしをしていた時よりも随分広くて、もう数ヶ月過ごしているというのにまだ時々他人の
部屋にいるような気がしていた。
以前のマンションから私物を持ってきて置いてはいるものの、広い部屋はまだまだガランとしていて寒々しい。
「・・・・・」
聖はベッドに座って溜め息をついた。
「・・・・・どうしようかな」
時間はまだ午後8時を過ぎた頃で、寝るのは当然まだ早いし・・・・・と、いうか、寝れるはずが無い。
「・・・・・」
気になりだすと、聞こえないはずの階下の気配までが耳に届くようで、聖は何度もどうしようと心の中で呟いた。
「今夜、お前が本当に嫌なら、部屋に鍵を閉めて閉じこもっていろ。亘には言い聞かせるし、こっちから鍵を開けることは絶対に
しない。それに、そのことで俺がお前をここから追い出すなんてことも絶対にしない」
(鍵を閉めてたら・・・・・もう、何も考えなくてもいいんだ)
聖は立ち上がると部屋の入口まで歩き、じっと鍵を見つめる。高須賀の言葉を信じ、その通りにすればいいだけの話で・・・・・聖
は手を伸ばした。
「聖」
「聖君」
高須賀の気持ちではなく、亘の気持でもなく、自分が今一番望んでいることは何なのか。聖は伸ばした手を止め、部屋の隅に
隠すように置かれていた箱へと視線を向けた。
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