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ソファに座っていた高須賀は、誰かが階段を下りてくる気配に顔を上げた。
「ああ、お前か」
「僕以外誰がいるんだよ」
呆れたように言う亘に、さすがに高須賀は苦笑を零してしまった。自分は全く気にしていないと思っていたが、どうやらかなり時間
に敏感になっていたらしい。
「もう、5分前」
「ああ、そうだな」
時刻は午後11時55分。
一方的な約束とはいえ、言葉に出した時間までもう5分を切っていた。
最初はなかなか時間が経たないと何度も時計を見上げていたが、今はもうこんな時間なのかという感覚だった。そして、年甲斐も
なく緊張している自分がいる。
(多分・・・・・こいつも同じだろうな)
何時もは歳以上に落ち着いている亘も、自分と同じように期待と、不安で落ち着かないはずだ。それでも、5分前まで来なかっ
たことは、亘の自分に対する意地なのだろう。
「行くか」
「うん」
高須賀も亘も、今から行く聖の部屋のドアが開いているかどうかまでは想像出来ない。ただ、この日と決めた日時に聖がどんな
判断を下すのか、2人ともきちんと見極めなければと思っていた。
聖の部屋の前に立ち、高須賀は一度亘を見る。
そして、ドアに手を掛けようとした時、
ガタッ
「いたっ」
「聖っ?」
「聖君!」
部屋の中から大きな音がし、続いて聖の声が聞こえた。
高須賀は躊躇わずにドアを開け・・・・・、
(鍵、していなかったのか・・・・・)
自分の忠告を確かに聞いたはずなのに、聖は部屋の鍵を閉めていなかった。どういう考えにせよ、自分達を受け入れる気になって
くれたのだと思うとそれだけで嬉しく、高須賀は堂々と部屋の中へ足を踏み入れた。
「・・・・・聖君っ?」
父の後ろから聖の部屋の中に入った亘は、目の前の光景に一瞬言葉が出てこなかった。
(それ・・・・・)
「あ、あの、俺、着ようと思ったんですけど、でも、やっぱり恥ずかしくて・・・・・脱ごうとしたら、足を引っ掛けて・・・・・」
「聖君・・・・・」
「お、おかしいですよね、俺」
床に崩れ落ちている聖は、半分脱げ掛けたウエディングドレスを着ていた。自分達が着て欲しいと勝手に用意したのに、聖はこれ
を着て出迎えようとしてくれたのだ。
(・・・・・嬉しい・・・・・っ)
「・・・・・っ」
自分で着ようとしたせいで、背中のファスナーは完全には上がっておらず白い背中が見えていたし、胸元もさすがにぶかぶかで
片手で押さえていて、こけてしまったせいで、ドレスの裾は太股の辺りまで捲れ上がっている。
元々、母親似の優しい面立ちの聖は、少しボーイッシュな女の子に見えないこともなく、本人が羞恥を感じるほどにおかしくは見
えなかった。
亘はゆっくり近付くと、まだ箱の中に置いてあったハイヒールを手に取り、投げ出していた聖の足を掴んで履かせる。今までこん
なことなど、関係を持った相手含めてしたことはなかった。
「わ、亘さん?」
「僕達を受け入れてくれるんだよね?」
「・・・・・」
「だから、これを着ようとしてくれたんだろう?」
聖は口を開きかけてつぐみ、一度目を伏せて・・・・・一言一言を考えるように口を開いた。
「もしかしたら・・・・・俺はただ、誰かに守られたいだけなのかもしれません。母さんがいなくて、凄く心細くて・・・・・だから、男同
士でもいいって、自棄になってるのかも・・・・・」
「それでもいいぞ」
亘の隣に膝を着いた父が、もう一つのハイヒールを履かせながら言う。
「お前のその弱さに付け入る」
「高須賀さん」
「あなた、だろ?」
言い換える父の言葉に一瞬絶句した聖は、それでも弱々しい笑みを浮かべ、小さくあなたと言い返してきた。
まだ、聖は迷っているのだろう。男同士で、それも2人を相手に身体を許すなど、普通ならば簡単に決心がつくはずがない。それ
でも、亘も、そして父も、そんな聖の戸惑いを逆手に取り、強引に巻き込んでしまうほどにはしたたかな性格をしていた。
いや、聖の心がとか、そんな言葉は言い訳に過ぎない。
亘は自分自身、どうしても目の前のこの少年が欲しくて溜まらなかったのだ。
「んっ」
チュッ
聖の唇に軽いキスをして、高須賀が背中のファスナーを上げた。
鏡が無いので、いったいどんな風に自分が変わっているのか分からないが、高須賀も亘も何度も可愛いと言ってくれて、それがた
とえお世辞だとしても、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
(でも、きっと変な顔してるんだろうけど・・・・・)
「聖君」
頬に指先を当てられ、振り向いた聖は、今度は亘のキスを受けた。
クチュ
それは、先程の高須賀のキスよりは濃厚なもので、聖は少しだけ息が上がってしまう。
もう何度もキスをしたというのに未だ慣れない聖に微笑み掛けてくれた亘は、大胆に聖の着ているドレスの裾を捲り上げると、白
い変わったストッキングを上まではかせて、奇妙な止め具で止められた。
「あ、あのっ」
聖は早くドレスを下ろして欲しかった。このままでは下半身が丸見えだからだ。
「ん〜・・・・・このドレスにトランクスは似合わないよね?」
そう言われた時、悪戯っぽく笑う亘は、もしかしたら女性用の下着でも穿かせようと思っているのかと焦ったが、亘もそこまでは用
意していなかったようだった。
それでも、そのまま下着を穿かせていてもらえるのかと思ったら、無い方がいいと言って無理矢理脱がされてしまい、今聖は下半
身裸の状態で・・・・・。
「父さん、出来たよ」
「ああ、後は口紅だけか」
「化粧はしない方がいいからね。僕達は別に、聖君に女装させたいわけじゃないんだし」
それは、聖に聞かせるための言葉のようだ。
たったその一言だけでも、女ではなく男の自分でいいのだと言ってもらえているようで、聖はこんな格好をしているのにも耐えられ
るような気がした。
「聖、目を閉じて」
高須賀に言われたように目を閉じると、よく母が付けていたような香りがする。ゆっくりと唇の上を滑る感触にどんどん胸を高鳴ら
せながらも、もう全部決めた自分の決意を後悔はしたくないと思っていた。
膝までの丈のミニのウエディングドレスに、ガーターベルト。白いベールに、少しだけ色の付いた唇。
初々しい花嫁の完成に、高須賀は満足して息をついた。
「どうだ、亘」
「・・・・・父さんと分け合うなんて勿体無い」
「分け合うじゃないだろ。1+1は2。愛は倍増だ」
「・・・・・臭いセリフ」
呆れたように言うものの、亘の顔も嬉しそうに笑っている。そんな息子と、愛しい花嫁に対してのプレゼントとして、高須賀は持っ
ていた小さな宝石箱を取り出して開けた。
「父さん・・・・・」
「お前の分も一応あるからな」
シルバーのシンプルな指輪は結婚指輪だ。自分と聖の2人だけだったらきっと妬きもちを焼くと思うので、亘の分も含め、同じデ
ザインの指輪を3つ作った。
「聖」
聖は大きな目を驚いたように見開いてなかなか動かないが、亘がその手を取っても拒むことは無かった。
まだ細い、白い指に高須賀が指輪を嵌めると、その小さな重さを強く感じたのか、聖は眉間に皺を寄せる。
「どうだ?」
「・・・・・外じゃ、つけられませんよ」
「チェーンにでも通して身に着けておいてくれ。一応虫除けだから」
「虫除け?」
高校生はまだ男としては未成熟だが、近頃は身体だけは立派に成長している。
聖がそんな風に成長するかはまだ分からないが、きっとこのまま綺麗な青年になるのは間違いないと思うので、念の為、決まった
相手がいるということはそれとなく知らせておいた方が間違いがないように思えた。
「ほら、俺達にも嵌めてくれ」
(こんな物まで用意して・・・・・)
ウエディングドレスまでは一緒に相談して決めたくせに、指輪は自分だけが勝手に考えたのだと思うと少々面白くなかった。
亘ももちろん考えたものの、まだ高校1年生の聖には早いかと思って諦めたくらいで、本当はもっと聖の立場を考えてやらないとい
けない保護者の立場の父が、率先して非社会的な行動をとってどうするのだ。
「なんだ、いらないのか?」
そんな亘の気持などとっくに分かっているだろう父は、意地悪そうに聞いてくる。亘はそんな父に対しては無言のまま、聖に向け
て左手を差し出した。
「嵌めてくれる?聖君」
「・・・・・」
聖は残った2つの指輪のうち、少しだけ小さな方(そう思われるのも悔しいが)を手に取り、ぎこちない手つきで薬指に嵌めてくれ
た。
(これはこれで感動、だな)
「ありがと、聖君」
「じゃあ、聖、次は俺だ」
亘が感慨に浸っている最中に、父は身体を割り込ませるようにして聖の前へと歩み出る。
「ちょっと、父さん」
「まあいいじゃないか」
もう少し、聖と見つめ合っていたかったのだが、元々、この指輪が父が用意したのであまり強く言うことも出来ないと、亘は渋々自
分の位置を譲った。
(今は一応譲るけど、初夜は絶対に引き下がらないからね)
長く、骨ばった、自分よりも随分大きな手。
大人の男の手そのものの高須賀の手を見つめていると、これが、もしも自分の父親の手だったらと少しだけ思ってしまう。
「聖」
「あ、はい」
(これは、俺の父さんの手じゃない)
そう、これは温かく自分を守ってくれる手ではなく、荒々しく奪う手だ。そして、聖はその手を取ると決意した・・・・・。
「・・・・・」
高須賀の手を取り、ゆっくりと指輪を嵌めた。亘相手ではまだ戸惑いの方が大きかった感情も、高須賀相手ではいよいよとい
う覚悟をしなければならない・・・・・そう思える。
「よし」
聖が指輪を嵌め終えると同時に、指輪を嵌めた聖の左手を取った高須賀は、その指輪部分に唇を寄せると、男っぽい笑みを
頬に浮かべて聖に言った。
「聖、お前はまだ色々と悩んでいるかもしれないが、面倒なことは全て俺達に押しつけたらいい」
「高・・・・・」
「絶対に、幸せにしてやる」
トクッと、胸が高鳴った。
「聖君、僕のことも忘れないでよ。僕だって、父さん以上に君を大切にするからね」
「亘さん」
高須賀の手から奪うように聖の手を取った亘も、同じように指輪にキスを落としてくれる。
ここは教会ではないし、自分達は結婚出来る間柄でもないが、それでも、今の2人の言葉は信じることが出来た。
「幸せに・・・・・してください。俺も、2人を、幸せに出来るように・・・・・頑張りますから」
「もちろんだ、聖」
「絶対に」
左右から2人に抱きしめられながら、聖はこの先、今の選択を後悔することが無いようにと心から祈った。
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