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『』内は外国語です。
「いい?タロ、真琴君と楓君の側から絶対離れないのよ?知らない人にも付いていかないようにして、細い路地にも入らない
こと」
「分かってるって!もう何度も聞いたよ、その注意事項〜」
玄関先に立った太朗は、早く外に行きたい気持ちが丸分かりの顰めた表情で言った。
簡単にOKを出してくれるだろうと思ったイタリア行きは、意外にも始めは母の猛反対を受けてしまった。どうも、チョロチョロ動き
回る太朗は危険だと思ったらしく(失礼な話だが)、もしかしたら行けないかもしれないというところまで来てしまった。
そんな母の態度が軟化したのは、真琴と楓の電話からだ。それぞれの保護者でもある大人も同行するということで、太朗の
ことも任せてくれと言ってくれたらしく、母は渋々ながらも旅行を許可してくれた。
賛成してくれてからは、色々と買い物リストを書いていて、ちゃっかり太朗の鞄の中にメモを入れたらしいのだが、既に気持ちは
イタリアの美味しい物にしか行っていない太朗は全く目に入っていなかった。
「あ、後、パスポートと最低限のお金は渡した腹巻に入れてしっかりと身に着けているのよ?」
「はいはい」
「もう・・・・・本当に大丈夫なのかしら。まあ、あんたがどんなに頼りなくっても、彼が一緒だったら・・・・・」
「大丈夫だって!たった三泊なんだし、みんなと一緒なんだから変なとこにも行かないし!これ以上母ちゃんの話聞いてたらバ
スに遅れるよ!行ってきます!」
「あ、タロ!」
もういいだろうと、太朗は母の注意を半分も聞かないままに張り切って玄関のドアを開いた。せっかく学校から猛スピードで家
に帰ってきたのに、遅れては元も子もない。
すると、
「!・・・・・ど、どうしたんだよ?ジローさん?」
「どうしたって・・・・・お前みたいな薄情な恋人を持って俺は不幸だよ」
そう言った上杉は、すっかり旅支度を整えていた太朗の頭をグシャッとかき撫でた。
「今度のイタリア行きのことなんですが」
そんな電話を開成会会長の海藤から貰ったのは、ほんの三日前だった。
「イタリア?」
「ええ」
もちろん太朗から一言もそんな話を聞いていなかった上杉はかなり驚いて(声にはその驚きを出さないようにしたが)、海藤から
詳しい事情を聞きだした。
真琴から始まった一連の事情と、アレッシオの策略。似た者同士・・・・・とまでは行かないが、彼の思惑は上杉にも十分理解
出来た。
納得いかなかったのは、太朗がそれを自分に何も言わなかったという事だ。
わざわざ上杉に内緒にするようなことでもないので、多分浮かれ過ぎた太朗が連絡を忘れたのだろうという事は想像出来て、
上杉は早速太朗本人ではなく、彼の母親である佐緒里に連絡を入れてみた。
佐緒里はてっきり上杉も同行するものだと思っていたらしく、何も聞かされていないということを伝えると、自分の息子の抜け具
合に呆れていた。
話が決まる前ならば、さすがにシチリアに行くという事は考えたかもしれないが、既に行くことが決まっているからには当然自分
も同行するつもりだった。
直ぐに小田切にスケジュール調整をさせ(もちろん小田切も同行する気満々だった)、全ての準備が整ったのは夕べ遅くだ。
その間太朗からの連絡を待っていたが・・・・・当然のごとく、太朗からはメールの一通さえ送られてこなかった。
「え〜っ?太朗君、上杉さんに何も言ってなかったんだっ?」
「う、うん、何かすっかり忘れちゃってて」
「何時も食いもんと遊ぶことしか考えていないからだって」
「楓!」
言い合う太朗と楓を見つめながら、真琴はちらっと海藤と一緒に立っている上杉に視線を向けた。
(怒っては・・・・・いないみたい)
上杉と一緒に現れた太朗が、妙に殊勝な顔をしていたので気になって聞いてみれば、なんと太朗は今度のイタリア行きを上杉
に伝えることを忘れていたらしい。
それはそれで太朗らしいと言えなくもないが、上杉としてみればかなり驚いたことだろう。
それがたった三日前のことで、今はこうしてここで海藤と談笑しているのだ、僅かな時間で全ての準備を整えた上杉がかなりの
やり手だという事がそれだけでもよく分かった。
「でも、上杉さんと一緒で良かったんじゃない?」
「うん、俺も、今までどうしてジローさんのこと忘れていたのかって思うくらい、なんだか安心しちゃってる。ジローさんが一緒なら、
何にも心配することないなあって」
「うん」
「そんな相手を忘れてたんだよな」
「何だよ!」
「ちょっと、2人共・・・・・」
既に人影が少なくなってきた空港内で、子供の言い合いの声はかなり響く。
それに微笑ましげに笑いながら、上杉に同行してきた小田切は少し離れた場所にいた綾辻と倉橋に歩み寄った。
「やっぱり、同行されるんですか?」
「そっちこそ」
「イタリアは久しぶりですからね。1人身で行くのは寂しいので、あまり当てつけないで下さいよ」
「・・・・・小田切さん」
少し眉を潜めて立っていた倉橋が動揺したように瞳を動かした。
「・・・・・」
(ああ、やっぱりそうか)
表面上、ほとんど変わらない倉橋の雰囲気だが、今は少し指で突けば身体を覆っている硬い殻がボロボロと割れてしまいそ
うな脆さに見えている。
そんな雰囲気の彼は、嗜虐趣味の人間からすれば恰好な獲物だろう。
小田切は楽しそうに綾辻を振り返った。
「イタリア男は手が早いですよ?目を離さないようにしていないと」
「分かってますって。まあ、そっちにとってはパラダイスかも知れないけど」
「私だって誰でもいいというわけではないんですけどね」
2人の会話に途惑う倉橋の顔をチラチラと見ている綾辻は、きっと可愛いなどと腐ったことを考えているのだろう。
(まあ、出来上がったばかりならば仕方がないか)
珍しく2人の様子に口を挟まなかった小田切は、
「あ、静!」
ロビーに響いた真琴の声に自分も視線を向けた。
静が真琴達のもとに駆け寄ったのを見送ると、江坂はゆっくりと上杉達の方へ視線を向けた。
それまで立ち話をしていた上杉、海藤、伊崎の3人は江坂のもとへと歩み寄ると、それぞれが頭を下げながら挨拶をした。
「お疲れ様です」
「・・・・・今回はお前の連れのおかげで、思い掛けないイタリア旅行になった」
「・・・・・」
嫌味ではなく、ただ事実を述べたつもりだが、海藤は再度頭を下げる。
「今回は江坂理事も煩わせてしまいまして」
「決まったことをウダウダ言っても仕方ない。あの子供達の子守は頼むぞ」
言外に、静との邪魔はするなと伝えたつもりだが、それぞれに思惑はあるのか口元に苦笑を浮かべながら頷いている。
その様子を見た江坂は、もう1人、今回のイタリア行きのキーパーソンとなる人物の姿がないことに気が付いた。
「彼は・・・・・」
「自家用ジェットが到着したらしくて呼び出しが掛かっています。カッサーノ氏が自ら来られるとは聞いてはいないんですが」
海藤がそう答えると、江坂は黙ったまま自分の腕時計を見下ろした。
「出発予定は?」
「午後9時半予定です。行き先はシチリアではなくローマ。色々な手間はないですが、半日くらいは見ていなければ」
「ローマか」
(直接シチリアには行かないという事か)
静が喜ぶような場所はあっただろうかと、江坂は頭の中で考え始めた。
「すみませんっ、お待たせしましたっ」
それから10分も経たないうちに友春が現れたが、彼は1人ではなく連れが1人付いていた。
誰なのだと年少者達は不思議そうな視線を向けたが、年長者の保護者達はその人物の隙の無さに直ぐに気付き、居住まい
を正して視線を向けた。
「あ、あの、僕がイタリアにいた時にお世話になっていた香田夏也(こうだ なつや)さんです。今回、僕達を迎えに来てくれたみ
たいで・・・・・」
「初めまして、アレッシオ様の屋敷に仕えさせて頂いております香田と申します。今回は快適な旅のお手伝いをさせて頂く為に
参りました。ご要望があれば何でも申し付けてください」
きっちりと後ろに撫で付けられた髪は黒く、眼鏡の向こうの瞳も黒い。
名前からも言葉遣いからも香田が日本人だとは分かったが、日本人である彼がなぜイタリアマフィアの首領の、それも私邸に世
話になっているのか、そこに深い理由があるような気がして上杉は軽口は叩かずに言った。
「今回は世話になる。俺は・・・・・」
「羽生会会長、上杉滋郎様ですね?」
「・・・・・ああ」
「そちらが、開成会会長、海藤貴士様、大東組理事、江坂凌二様、日向組若頭伊崎恭祐様」
香田の口調に全く淀みは無い。
「西原真琴様、苑江太朗様、日向楓様、小早川静様、そして、開成会幹部の綾辻勇蔵様に倉橋克己様、羽生会会計
監査の小田切裕様。間違いはございませんでしたか?」
「予習は万全だな」
「恐れ入ります。ジェットの最低限の点検が済み次第、直ぐに出発致します。それまで席を手配していただきましたので、どう
ぞこちらに」
香田が足を向けたのは、空港内のVIPルームだった。
「香田さんがわざわざ来てくれるなんて・・・・・すみません」
「いいえ、私も友春様のお元気な様子を拝見したかったので・・・・・向こうにいた時よりも表情が柔らかいし、いい御友人も出
来たようですね」
「はい。静達と会えたのはケイのおかげだし・・・・・感謝しています」
「それは・・・・・アレッシオ様に直接言われた方がお喜びになられますよ」
「・・・・・はい」
VIPルームに並んで歩きながら、香田は随分と表情が明るくなった友春を見て、彼を日本に帰したアレッシオの判断は間違
いではなかったのだと強く思った。
そのおかげで、彼が頻繁に日本に行くことになり、そのスケジュール調整で側近達が四苦八苦しているのはよく分かっているが、
日本に行くたびにアレッシオの纏っている空気が柔らかくなるのはいいことだと香田は思っていた。
もちろん、マフィアであるカッサーノ家の首領としての手腕が鈍ったということではなく、言葉を変えれば余裕が出来たといえばい
いのだろうか・・・・・。
(やはり、アレッシオ様にはこの青年が必要だということか)
「あの・・・・・ケイは、お屋敷に?」
「ローマで友春様のお越しを待っておられますよ」
控え室に落ち着いた一行。
出された飲み物を飲んで静かにしていると思いきや、やはり太朗と楓の言い合いが始まってしまった。
「何だよ、タロ!DSなんか持ってきてるのかっ?」
「え、だって、飛行機に乗ってる時間長いって聞いたからさあ」
「そんなの、寝て起きたら着いてるって!」
繊細な容貌に似合わない大雑把な楓の言葉に、太朗は口を尖らせて反抗している。
ただ、その会話を聞いた真琴と静、そして友春は、パンパンに膨らんでいる太朗の鞄の中身に興味を持ってしまった。
「あ、飴が入ってる」
「チョコも」
「塩せんべい・・・・・太朗君、これ全部食べる気だった?」
「だって、飛行機には俺達以外乗ってないって言うから、皆で食べればいいかなあ〜って思って。ねえ!ジローさんもせんべー
食べるよねっ?」
「おー、貰う貰う」
過保護丸出しの上杉の言葉に、楓は呆れた視線を向けた。
「これ、全部食べれるわけ無いだろ」
「食べれるって!こんだけ人数いるんだぞ?俺達やジローさんだけじゃなくって、海藤さんとか、伊崎さんとか、あ、江坂さんも
食べますよね?」
「甘い物はいらない」
「じゃあ、せんべーですね?」
大人の断り方が全く通用しない太朗に、上杉や綾辻、そして小田切が声を殺して笑い始めた。
あの江坂にここまでごり押しが出来るのは太朗くらいなものだろう。
(・・・・・ったく、バカタロめ!)
自分の忠告も全く聞き入れない太朗が面白くなくて、楓は太朗が大事そうに手に持っていたチョコボールのセロハンを勝手に開
くと、ザザッと口の中に半分以上流し込んだ。
「あー!!俺のなのにー!!」
「ふんっ」
たちまち口の中がまったりと甘くなり、楓は慌ててテーブルの上に置かれたコーヒーを口にした。
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今回は出発前の風景。
次はもうイタリアに着いちゃいます(笑)。