『』内は外国語です。





 「友春様、友春様、着きましたよ」

 何度も何度も自分の名前を呼ぶ優しい声に、友春は深く沈んでいた意識をようやく浮上させ・・・・・重い瞼を何とか押し上
げた。
 「つ・・・・・いた?」
 「ええ、ローマのフィウミチーノ空港・・・・・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港と言った方が分かりやすいですか?」
 「・・・・・あ」
香田の口から滑らかに出てくる聞き慣れない名前に、友春はようやく今度こそ意識を覚ました。
パッと窓の外を覗けば、広がるのは広い滑走路と・・・・・馴染みのない景色。ここがイタリアだと直ぐに分かる印が見えるわけで
はないのに外国だと直ぐに思えたのは、目に入る人間が全て外国人だからかもしれない。
 「ケイ・・・・・いるんですか?」
 「ええ、先程連絡がありました。ジェットが着く時間に合わせてこちらまでお迎えにいらっしゃったようです」
 「・・・・・」
 僅かの間(それでも半年近く)、このイタリアに滞在していた友春は、アレッシオがかなり忙しい身体だということを知っていた。
マフィアであるカッサーノ家の首領という立場の他に、イタリアでも有数の名家の出で企業家でもあるアレッシオの日常は本当
に分刻みといってもおかしくはなかったくらいだ。
そんな彼があれほど頻繁に来日したり、こんな風に空港までわざわざ迎えに来る時間などあるはずはないのに・・・・・それでも
無理をしてでも彼がこうして動いてくれるのは全て自分の為だ。
そう思うと友春は気持ちがざわめいて、思わず自分の胸辺りを押さえてしまった。
 「入国の手続きは機内で済ませます。ほんの数分で終わりますからご心配なく」
 「は、はい」
 「皆さんもそろそろお目覚めですね。先ずは朝食の用意をしないといけません」
 香田の言葉に、友春は機内を振り返った。
緊張して眠れるはずがないと思っていた自分も何時の間にかすっかり寝入ってしまっていたが、他の面々も夢の中だったようだ。
 「タロ、おい、起きろ」
上杉に身体を揺すられている太朗などは、飛行機が出立した当初はかなり興奮していたようだったが、ものの30分もしない内
にコトンと電池が切れてしまったように寝てしまった。
楓が文句を言っているに、みんな声を出して笑っていた。
 「・・・・・」
友春は再び窓の外を見つめる。
(戻ってきちゃったんだ・・・・・イタリアに・・・・・)



 「うわあ〜!全部外人!」
 「タロ、口開けて間抜け面するなよ」
 楓の文句も全く聞こえず、起きた瞬間から太朗はハイテンションだった。
夕べも、本当は機内食もちゃんと食べたいくらいだったのが何時の間にか眠ってしまい(個人ジェットなので決まった機内食など
無いとさっき教えてもらった)、目が覚めたらもうイタリアに着いているのだ。
 「ここ、もしかしてユニバーサルスタジオとか?」
 「・・・・・ば〜か」
 言下に言い切った楓に、真琴が笑いながら言った。
 「太朗君、本当にここローマだよ?太朗君がチェックしていたピザもパスタもいっぱいあるよ」
 「朝から食べれる?」
 「タロの胃袋は四次元ポケットだから」
目を丸くした静に楓がそう言うのも聞こえず、太朗は珍しげにロビーを見渡した。
本来、自家用ジェットから降りれば直ぐに、アレッシオの待つ特別室に案内されるところだったが、太朗があまりにもここが本当に
イタリアなのかと疑っているので、香田がわざわざ空港内のロビーを横切らせてくれたのだ。
 「みんなでっかいよな〜、ジローさんがいっぱいいる感じ?」
 「おいおい、俺みたいないい男が2人といるはずねえだろ」
 「ん〜・・・・・」
 確かに、と、太朗は思った。
上杉は何時ものスーツ姿ではなく、カシミアのオリーブグリーン色のセーターにジーパン、そして上からレザーのジャケットを羽織っ
ている。
これでサングラスでもしていたら芸能人かモデルとも見えるだろうが・・・・・いや、それはけして太朗の気のせいではないだろう。
上杉だけでなく、ここにいる男達・・・・・海藤も江坂も、伊崎も、そして、小田切、綾辻、倉橋まで、彼らは見慣れたスーツ姿
ではなく、皆ラフな服装だったが、誰も彼もみなカッコいいと思えるほどに決まっている。
 身長も体格も外国人に見劣りはしておらず、その証拠のように集まってくる女の視線は熱いし、男の眼差しはライバル心がこ
もっている。
その服がどれもアレッシオに気を遣ったのか、イタリアの高級ブランドの服だとまでは太朗は分からなかったが。
 「みんな、こっち見てるな〜、日本人が珍しいのかな」
 「そんなことねえだろ」
そう言いながら、上杉はわざと見せ付けるように太朗の肩を抱き寄せた。



 江坂は眉を顰める。
自分に視線が来るのをどうとも思うことは無いが、明らかに静に向けられる視線には警戒せざるをえなかった。
(・・・・・煩わしい)
パッと目を引く容貌の楓が注目を浴びるのは予想出来たが(伊崎の管轄なのでそれは何とも思わないが)、東洋人特有の大
人しめの硬質な静の美貌に目をつける外国人は少なくないようだ。
日本のように一般とは違った趣向を押し隠すということも無く、陽気で恋には積極的なイタリア男が静をそういった対象に見るの
もおかしくは無いだろう。
いや、もしかしたら静を男だとは思っていないのかもしれない。
 「早く部屋に案内を」
 「はい」
 江坂の言葉に、香田は丁寧に頭を下げて歩き始める。
 「江坂さん?」
 「・・・・・」
あくまでも、これ以上静を人目に晒したくないという思いで言ったのだが、その江坂の言葉に反対する者はいないだろう。
世界では東洋人が人気があるというが、その中でも若く見え、肌が綺麗な、大人しい日本人を好む者は多い。
静も、楓も、そして真琴も友春も、子犬のような太朗にさえ邪な視線は向けられているのだ。
(全く、余計な手間を掛けさせるな)
静の言葉を訂正することも忘れ、江坂はその腰を抱いて少し歩を早めた。



 いきなり肩を組んできた綾辻に、倉橋は反射的に腕を振り払おうとした。
しかし、肩に回った手の力は意外に強い。
 「綾辻っ」
 「ま〜ま〜」
 「離せっ」
 「いいの?離しちゃっても」
 「・・・・・な、何です」
倉橋がわざと気になるような言い方をして言葉を切った綾辻は、内心分かってない人間はこれだからと溜め息をついた。
楓や静、そして、真琴や友春や太朗など、見掛けも愛らしいお子様達にイタリア人の食指が動くだろうという事は予想の範囲
以内だったが、その興味がこれほど倉橋にも向けられるとは思わなかった。
 身長だけ見れば自分とほとんど同じくらいの倉橋だが、骨格が細いのでどこか華奢に見える。
繊細な容貌と、クールな雰囲気は万国共通で魅力的なのだろうか。
 「ご自分はいいんですか?」
 隣にいた小田切が笑った。
全てを分かっている彼の言葉に、綾辻は苦笑をするしかない。
 「克己は腕っ節弱いから〜」
 「何ですか、それはっ。私も少しくらいなら・・・・・」
 「はいはい」
(ただ、巨体に押さえ込まれたら逃げられないだろ?)
まだ全然味わっていないこの身体を、他の人間に味見さえさせたくない。
綾辻は馬鹿にされたと思っている倉橋を口先で宥めながら、早くアレッシオのいる部屋に着けばいいと思っていた。



 「あ・・・・・」
 重厚な扉の前には数人の男の姿があった。その中には、以前アレッシオの側で見たことのある顔もある。
(ここに、ケイがいる・・・・・)
日本で会うのとは、また違った感覚に襲われた。ここは彼の国・・・・・どんな人間も指先で動かせるような彼の世界だ。
もしも、以前のように囚われることがあったら・・・・・そう思うと、この扉の向こうに入っていくのを躊躇してしまう。
 「・・・・・」
 「友春さん?」
 そんな友春に、真琴が声を掛けた。
 「入らないの?」
 「・・・・・」
 「会いに来たんだよね?」
 「・・・・・うん」
(・・・・・そう、僕はケイに会いに来たんだ・・・・・)
いくら強引に話を進められたとはいえ、本当に嫌だったらば行かないという選択肢もあったはずだった。
側にはアレッシオもいなかったし、彼の部下もおらず、ただ・・・・友春は家から出なければ済むことだった。
 「友春様」
 香田に声を掛けられて、友春はようやくドアノブに手をやろうとする。それを静かに押しとどめた男達が、一言声を掛けてゆっく
りと扉を左右に開いた。



 「トモ」
 目の前に、愛しい青年が立っていた。
少し泣きそうな、怯えたような表情をしていたものの、しっかりと1人でその場に立っていた。
 「良く来たな、トモ。疲れていないか?」
友春の方からこのイタリアに来てもらうのはアレッシオにとっても賭けのようなものだったが、らしくも無くゆっくりと時間を掛けて築い
てきた時間は無駄にはなっていないようだった。
 「・・・・・」
 椅子から立ち上がったアレッシオは、入り口まで行かずに友春が動くのを待つ。
すると、
 「何だよ!友春さん!後ろが閊えてま〜す!」
そんな元気な声と共に、バッと友春の背中を押して入ってきたのは太朗だった。
出来れば、友春自身の足でこちらに歩み寄って欲しかったが、太朗のおかげか、友春と自分の目の前にあった透明な境が一
瞬で消えたようだ。
 「あ、今回はご招待ありがとうございます!」
 「・・・・・いや、よく来た」
 「えっと・・・・・」
 アレッシオの挨拶を最後まで聞かず(後ろの護衛が青褪めていた)、太朗は背負っていたリュックの中をゴソゴソ探って、いきな
りアレッシオの目の前に菓子折りを差し出しながら頭を下げた。
 「うちのかあ・・・・・母から、これをって」
 「・・・・・」
 「あ、あの、俺も」
太朗の行動に珍しく途惑っていたアレッシオの目の前に、今度は真琴が小さな箱を差し出した。
 「俺の、バイト先の店長からです。今回はお世話になるので、あの、これ、うちの店の特製ソースなんですけど、良かったらぜひ
食べてください」
 「あ、俺手ぶらだった。恭祐、何か持ってきたか?」
 「え、あ、どうしよう、江坂さん、俺も何も持ってきてないっ」
 日本風の挨拶を受け、一瞬後にアレッシオは声を出して笑った。
 「ああ、頂こう」
こんな風に土産を貰うことは珍しくは無いが、普通は金品や女など、カッサーノ家の首領に差し出すのに相応しいものや金額
ばかりだった。
それが、こんなにごく普通のものを貰うとは、なんだか自分が友春の身内として認識されているのではとまで思ってしまう。
 アレッシオが笑みを浮かべたことで急にその場の雰囲気が柔らかくなり、それを待っていたわけではないだろうが、江坂、上杉、
海藤、伊崎と、今回は保護者として(太朗が言うにはオマケらしいが)付いて来た者達がアレッシオに挨拶をした。
 「旅は快適だったか?」
 「もう、すっごく寝心地良かったです!」
 「うん、椅子もゆったりしてて楽でした」
 「他の人間がいないってとこが一番かな」
 「でも、普通のファーストクラスの席にも負けてなかったですよ」
さすがに大企業の御曹司でもある静は他の3人とは違う意見を言い、3人にファーストクラスってどんなだったと質問攻めをされ
ている。
 「・・・・・ケイ、あの・・・・・」
 「どうした?」
 「・・・・・呼んでくれて、ありがとう」
 「トモ・・・・・」
 何よりも嬉しい言葉を聞いた気がして、アレッシオは思わず足を踏み出すとそのまま友春の身体を抱きしめた。柔らかく温か
い、そして、甘い友春の香りがする。
 「ケ、ケイ?」
途惑う友春の声を聞きながら、アレッシオはこちらを向いている者達に向かって鮮やかに微笑みながら言った。

 「Benvenuto ad Italia」

イタリアにようこそ。
そのアレッシオの言葉から、3泊3日の怒涛のイタリア旅行が始まることとなった。






                                 






アレッシオ登場!

次回から美味い物巡りです。