『』内は外国語です。





 さすがに観光地であるだけに、トレビの泉の前はかなりの観光客がいた。その中には日本人の姿もあって、そこかしこで日本
語が耳に入ってくるのが何だか変な気分だ。
 「太朗君!コイン投げるよ!」
 「え?」
いかにもヨーロッパ的な銅像をポカンと口を開けて見上げていた太朗は、早くと急かす真琴の声に慌てて駆け寄った。
 「後ろ向きでコインを投げ入れると願いが叶うって言い伝えがあるんだよ」
 「後ろ向きで?えっと、どこか穴かなんかに入れなきゃいけないって感じ?」
 「え〜っと・・・・・どうだろ?」
真琴は静を振り返るが、静もさあと首を傾げる。
すると、黙っていたアレッシオが口を開いた。
 「特に無い。ただ、投げるコインの枚数によって願いが異なる。コイン1枚だと再びローマに来ることが出来、2枚では大切な人
と永遠に一緒にいることが出来、3枚になると恋人や夫・妻と別れることが出来る」
 「うわ・・・・・縁起悪・・・・・」
 その場にいた誰もが、三番目は要らないんじゃないかと内心思ったが、それをアレッシオに向かってはっきりと言う人間はその場
におらず、突っ込みを入れる立場の太朗もゴソゴソと自分のリュックの中から財布を取り出すことに一生懸命だった。
 「タロ、コインならあるぞ」
上杉がそう言ったが、太朗は自分の小銭入れを探って、あったと小さな声で叫んだ。
 「おい」
 「え〜っと・・・・・あ、6枚ちゃんとある。はいっと」
 太朗が真琴と楓、そして静と友春にそれぞれ差し出したのは五円玉だった。
 「なんだよ、これ」
楓が眉を顰めると、太朗は当然と言うように答える。
 「こういう時に投げるのは、ご縁がありますようにの五円玉って決まってるじゃん」
 「あ〜、そうか」
 「それもそうだね」
4人は太朗の強引な理屈に納得したように頷くが、、そのままそれぞれがもう1つ自分の財布からお金を取り出す。
(やっぱり、海藤さんとずっと一緒にいたいし)
(恭祐が俺といるのは当然だけどな)
(江坂さんと、ずっと一緒にいられますように)
 「ジローさん、俺ちゃんと2枚投げるからね!」
 「おお」
 せ−のという掛け声とともに、後ろ向きになった4人がいっせいに2枚のお金を投げる。
友春はちらっとアレッシオを振り返ったが、そのまま1枚だけ・・・・・太朗から貰った五円玉を手から放った。



 時刻は昼にはまだ少し早いくらいで、どこに行くかという話になった。
ただ、今回一行の(主に年少者達だが)目的は買い物や観光ではないので、具体的にどこに行くかと聞かれてもう〜っと唸って
しまってなかなか具体的な名前が出てこない。
 慌ててガイドブック片手に話し始めた5人を見ながら、上杉はアレッシオに聞いてみた。
 「シチリアには?」
個人的にはアレッシオの庭にもなってしまうシチリアに行きたいとは思わないが、わざわざ自分達オマケまで呼んだのは友春を自
分の屋敷に呼ぶ為ではなかったのかと思ったのだ。
 しかし、上杉のその言葉にアレッシオはいいやと否定した。
 「今回は屋敷に呼ぶつもりは無い」
 「・・・・・俺達がいるから?」
 「まだ、トモには早いと思うからだ」
何がどう早いのか、そこまで聞くのはルール違反のような気がして、上杉はそうかと納得をしたように頷いた。



 友春をシチリアの自分の屋敷に連れて帰る。
出来ればそうしたいとは思うものの、今の友春にはまだ少し早いような気がしていた。
ようやく、アレッシオと対することに怯えが少なくなってきた友春だが、シチリアのあの屋敷には友春にとっての悪い思い出しか残っ
ていないだろう。
無理矢理連れて来られ、ファミリーの人間に蔑まれたという記憶は、きっと今だ友春の中からは消えてはいないはずだ。
せっかくイタリアまで来てくれた友春に、嫌な思いを抱かせたくは無い・・・・・アレッシオは強くそう思っていた。



 「克己、投げないの?」
 「・・・・・何をですか?」
 「私とずっと一緒にいたいって思ってくれてないわけ?」
 「こ、こんな場所で言うことじゃないでしょう」
 嫌だと言わなかった倉橋の答えに、綾辻は満足していた。
海外で、自分達以外の海藤の護衛がいないという張り詰めた雰囲気にあるのも確かだが、綾辻が見たところでは自分達には
十数人・・・・・いや、もしかしたらそれ以上のガードが付いていることが確認出来ていた。
彼らは、マフィアであるカッサーノ家の首領であるアレッシオをガードする為の人間達だろうが、これだけの人数がいれば多少は
自分達も観光を楽しんでいいのではないかとも思う。
 「ほら」
 綾辻が倉橋の手の平を強引に掴んで、2枚のコインを乗せた。
 「・・・・・」
 「投げて、お願い」
 「・・・・・簡単に頭なんか下げないで下さい」
早口にそう言った倉橋は、そのままぱっと後ろを振り返ってコインを投げ入れる。
その手から確かに2枚のコインが放たれたのを確認した綾辻は、満面の笑顔で自分も同じように2枚のコインを投げた。



 「あの、食べ歩きとかしてもいいですか?」
 ようやく意見がまとまったのか、真琴がガイドブックを手にしたままアレッシオの前に立った。
案内をしてくれるのはアレッシオなので、先ず彼の同意を得なければならないと思ったのだろう。
 「俺、色んな店の色んなピザを食べてみたくて・・・・・。チーズとか、ソースとか、店ごとにきっと違うだろうし・・・・・」
 「分かった」
 「え?い、いいんですか?」
 「今回私はホスト側だからな。客をもてなすのは当たり前だ。先ずはローマでも評判の店を幾つか回らせよう」
 「あ、ありがとうございます!」
 深く頭を下げた真琴は、そのまま4人を振り返った。
 「カッサーノさん、いいって!」
 「やった!ピザの食べ歩き!」
 「タロ、お前朝メシあんなに食べたのに、もう腹が空いたのか?」
 「だって、せっかくイタリアに来たんだから、美味しいもの食べなきゃ損じゃん」
損ということだけであれだけの量を食べられる太朗はなかなか豪傑だなと思いながらも、真琴はしっかりとメモを取らなきゃと張り
切っていた。



 「ローマのピザって、薄くてパリッとしてるんだ」
 「ええ。ナポリの方は厚くてパンのような生地なんですよ」
 一軒目に入った店で頼んだのは、王道の〈マルゲリータ〉。この店の生地はナポリ風らしく、具はトマトとモッツァレラチーズのシン
プルなもので、生地はどちらかといえばもっちりとした食感だった。
美味しそうに頬を綻ばせる真琴に、香田も小さな笑みを浮かべる。
 「ピザの本場といえば、どちらかといえばナポリの方でしょうが、このあたりでも美味しい物を食べさせる店は結構あるんです」
 たっぷりのチーズが熱々にとけていて、その熱さに一瞬眉を潜めたものの、直ぐにチーズの持っている自然の塩辛さとトマトの酸
味が口の中に広がる。
 「あ、チーズ美味しい!」
 「うん、具はあんまり乗ってないけど、何だか深いよね〜」
出来るだけたくさん食べることが出来るように、これだけ大人数で行っているのにピザは大きな一枚だけだ。
注文した時、店の人間は一瞬眉を潜めたが、香田が早口で何かを伝えると態度は一変した。
一瞬にして店の中はピリッとした空気になったが、ピザに夢中の年少者達は全く気付いておらず、保護者である男達だけが意
味深な目線を交わす。
やはりイタリアでカッサーノという名前はかなり大きな影響力があるらしい。
 「本場じゃなくてこんなに美味しいのかあ」
 「本場ってどうなんだろ」
 やはり本場は違うのかなと真琴が無意識に呟いた時、ピザを取り分けながらもその言葉を聞き逃さなかった香田が事も無げ
に言った。
 「では、明日はナポリに移動しますか?」
 「はいっ・・・・・あ、でも」
 にこやかに言う香田の言葉に何気なく頷きかけた真琴だが、自分1人の勝手にしていいのかと海藤を振り向く。
その視線に応えるように、海藤がアレッシオに言った。
 「よろしいのですか?」
 「今回はマコに協力をしたいトモの言葉で実現した旅行だろう。マコがいいようにしたらいい」
 「・・・・・」
アレッシオの口からマコと出たことに一瞬眉を潜めた海藤だったが、直ぐに頭を下げて感謝の言葉を言った。
 「ありがとうございます」
 「あ、ありがとうございますっ」
海藤につられるように、真琴も慌てて頭を下げた。



 「・・・・・」
 江坂はアレッシオをじっと見つめた。
周りのイタリア人の中には、マフィアの首領としてのアレッシオを知らなくても、実業家であるアレッシオの顔を知っている者は多い
ようで、店の中にいた客の中にもヒソヒソとこちらを見ながら話している者がいる。
莫大な資産と社会的な地位と、見惚れるほどの整った容姿のアレッシオにアプローチをしようと、わざとこちらの方に近付こうとす
る若い女もいた(ガードに遮られていたが)。
 「・・・・・」
(そんなマフィアのボスが、こんな所でピザの食べ歩きに付き合っているとはな)
 それが情けないと言い切ることが江坂には出来なかった。静1人を(同行者はいるのだが)イタリアに行かせることが心配でつ
いてきた自分も、アレッシオと大差ないと自覚しているからだ。
 「江坂さん、はい」
 静が、小さく切ったピザを江坂の口元に差し出してくる。
それを躊躇うことなく口を開いて食べながら、江坂は全く別のことを考えていた。
(名前がまた戻っているな・・・・・後で言っておかないと)
名前を呼ぶということをすっかり頭の中から抜け落ちていた静に、江坂は後で注意しようとチーズで濡れた唇をペロッと舐めた。



 「ピザは本場のナポリでたくさん食べて頂くとして、今度は〈カルボナーラ〉をどうぞ。これは元々ローマの料理ですから」
 「カルボナーラが?知らなかった〜」
 「こちらのパスタは〈アマトリチャーナ〉です。これもローマ名物といってもいいと思いますよ。簡単に言えばベーコンの入ったトマト
ベースのパスタです」
 「わあ〜」
 一番にフォークを持った太朗に、上杉がおいと声を掛けた。
 「あんまり食べ過ぎるなよ」
 「大丈夫だって!ちゃんとこの後のデザートは別腹だから!」
 「・・・・・デザート?」
 「焼き菓子でも、アイスでも、ケーキでも、お好きな物を用意しますよ」
 「・・・・・俺は結構」
まだ日も暮れていない時間、子連れということもあって酒を我慢している上杉は、次々とテーブルに並べられていく料理をげんな
りと見つめた。
出来るだけ色んな種類を食べてもらおうという気遣いなのか、どの料理もせいぜい2人前くらいの量なのだが、それもちょっと種
類が多過ぎる気がする。
(あ〜・・・・・酒が欲しいぜ)
 「なあ」
 「駄目ですよ」
 上杉がウエイターを呼び止めようとする直前、小田切が言下に却下した。
立ち止まったウエイターににっこりとした笑顔を向け(若いその男は明らかに顔を赤くしていた)た小田切は、自分の前に配られた
パスタを優雅に口に運びながら言う。
 「今から酒を入れてどうするんです」
 「これ以上腹に入らない」
 「酒は?」
 「あれは水と一緒だろ」
 「全く・・・・・今回はよそ様も同行しているんですよ?少しは気を遣って行動なさってください。太朗君もいるんですし」
 「タロ・・・・・なあ」
 チラッと隣を見下ろすと、太朗は旺盛な食欲で次々と皿を制覇している。
(俺も高校生の時はこんなものだったか?)
いや・・・・・と、上杉は即座に否定した。確かに料理の量はかなり食べていたかもしれないが、たった今太朗の前に運ばれてき
たアイスの量を見ると・・・・・とても自分にはこなしきれないと思う。
 「・・・・・腹は壊すなよ?」
 「はいほーふ!」
何枚目か分からない熱々のピザを口に頬張ったまま、太朗は上杉の言葉に頷いた。
 「・・・・・」
(本当に分かってんのか、こいつは・・・・・)






                                 






次回はナポリに移動です。

とにかく、もっともっと食べさせないと(笑)。