『』内は外国語です。





 「すっげー・・・・・」
 「ホント、綺麗だね・・・・・」
 今回は観光地は回らないと決めていた一行だが、それでも腹ごなしに歩いているうちに、有名な場所、サンタルチア港の西側
の埠頭に立つカステロ・デローヴォ(卵城)にやってきていた。
 「〈ナポリを見てから死ね〉っていう有名な言葉があるくらいの綺麗な景色なんだって。本当に言葉通りだよね」
静がそう言うと、見惚れていた自分に恥ずかしくなったのか楓がプイッと景色から目を逸らした。
 「これを見たくらいで、死んでもいいなんて言えないよな」
 「楓君ったら」
 「あ、でも、それ言えるかも!なんで初めに言い出した人ってそう思ったんだろうな〜。俺だったら、ナポリのピザを食べてから死
ねって言うけど」
真面目な顔をしてそう言った太朗に、一同はいっせいに声を上げて笑い始めた。



 言動の予想が付かない太朗の言葉には、さすがのアレッシオも何も言うことが出来なかった。
この素晴らしい景色を実際に見て、それでもまだ食欲が勝っている太朗に半ば関心もしてしまう。
(この子なら、きっとピザを喉に詰まらせて死ぬかもな)
 その時、皆と一緒に笑っていた友春が、ふと隣に立つアレッシオを振り返った。
 「トモ?」
 「ケイも、この景色好きなんですか?」
 「・・・・・ああ、イタリアの誇りだしな」
 「・・・・・そうですね、僕も、すごく綺麗だと思います」
小さく笑ってそう言った友春は、再び目の前に広がる景色に視線を向けた。
その横顔を見つめながら、アレッシオは柄にも無い後悔をしてしまう。以前、友春をイタリアに攫ってきた時に屋敷の中に閉じ込
めていたことは、結局は友春の中にイタリアへの悪い印象を植え付けただけではなかったのだろうかと。
(私らしくない・・・・・最大の失敗だったかもしれないな)



 何時に無く良く歩いて、食べて。
時間はあっという間に過ぎてしまった。
 「では、午後6時にロビーへ」
 そう言ったアレッシオと別れて各自部屋に戻ったが、真琴はあっと海藤を振り返った。
 「海藤さん、カッサーノさん、夕食はコースを用意してるって言ってましたよね?」
 「ああ、そうだったな」
 「でも、俺達が持ってきている服は普段着なんですけど・・・・・いいのかな?」
 「ドレスコードか。多分、大丈夫だろう」
普通の気軽に行くレストランなどはそうでもないかもしれないが、アレッシオが言うコース料理ならばそれなりのグレードのものだと
考える方がいいだろう。
そうすると、普段着で・・・・・とは、少し気が引けた。
 「大丈夫なのかな」
 真琴が心配そうに呟いた時、来訪を告げるベルの音がした(各部屋にはベルが付いているのだが、今朝の太朗はそれを全く
無視してドアを叩いていた)。
 「誰だろ?」
真琴が動こうとするのを止め、海藤がドアの前まで行った。二重ロックの片方を解除しないまま、用心深くドアを開くと・・・・・。
 「お寛ぎのところ、申し訳ございません」
そこに立っていたのは、先程まで一同を案内してくれていた香田だった。



 「楓きれー!!」
 「当たり前」
 「うん、楓君はドレスアップしたら更に綺麗だね〜」
 「静もすっごく似合ってるよ」
 「友春、良く言い過ぎ」

 午後6時。
約束通りにホテルのロビーに現れた一同はそれぞれの恰好にいっせいに歓声を上げた。

 「こちらをご用意しましたので、どうぞお召しになられて下さい」

一つ一つの部屋を回って、香田はそれぞれに今夜のディナーで着用するタキシードを渡して歩いた。
驚くことに、既製品ではないようなのに、サイズは皆ピッタリで、それぞれ少しずつ中のワイシャツやボタンの位置、蝶ネクタイの種
類が違っていた。
多分、誰が来るかというのが分かった時点でアレッシオが用意させたのであろうが、細かな遊び心は多分この香田が考えたもの
だろう。
 こういった席に慣れている静はさすがに着慣れたような感じでリラックスしているし、パーティーに呼ばれることが多い楓もそれほ
ど緊張せず(むしろ堂々としているくらいだ)、友春もアレッシオといる時に何度かこんな礼装をしたことがあるので、緊張はしてい
るだろうが着せられている感じはしない。
 しかし、こんな正装が初めてといってもいい真琴と太朗は、どうしても自分の恰好が気になって仕方がないようだった。

 「似合ってる」
 「馬子にも衣装だな」

海藤も上杉もそう言ってくれたが、その口調がどうも笑みを含んでいたことが気になる。
 「真琴さんは可愛いですよ。俺なんか、どう見ても・・・・・」
 「七五三」
 「楓!」
薄々思っていたことを言われた太朗は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、上杉が後ろからガバッと太朗を抱きしめて言った。
 「いいじゃねえか、七五三。可愛いぞ」
 「・・・・・褒め言葉に聞こえないって」
(上着で見えないけど、サスペンダーしてるのに・・・・・)
それ自体がどうも子供っぽい気がして(正式な装いにサスペンダーがあることを太朗は当然知らない)どうして自分ばかりと眉を
潜めてしまった。
 そんな太朗に、声を掛けたのは・・・・・。
 「ターロ」
 「あ、な、なんか変?」
自分の前に立ったアレッシオに、太朗は心配そうに訊ねてみる。
するとアレッシオは頭の先から爪先まで視線を移動させて、僅かながら唇を緩めた。
 「とてもワインを飲める歳には見えないが」
 「な、なんだよ!」
 「ちゃんと、スィニョーレに見える」
 「え?」
それだけ言ってさっさと背を向けてしまったアレッシオを見て、太朗は今の言葉は何だと回りに聞いて回る。
そして、香田が「紳士という意味」だと説明すると、太朗は初めて嬉しそうに笑って自分の恰好を見下ろした。



(私達にまで用意してくれるなんて太っ腹な男)
 到着したレストランに横付された車から降りながら、綾辻は前を歩く一行をじっと見つめた。
太朗や真琴は着慣れないからか落ち着かないようだが良く似合っていたし、さすがに場慣れしている静や楓は全く服に負けるこ
となく着こなしていた。
友春もこれ以上ないほど似合っていて、アレッシオが彼の魅力を熟知していることがよく分かる。
 そして。
保護者である男達は、見事なほどに皆タキシードを着こなしていた。
誰も彼も180センチを超える長身で、細身に見えて鍛えているので胸板も肩幅もちゃんとある。日本人にありがちな胴長短足
で無く、バランスの良い四肢と、気後れも無い堂々とした態度で、レストランの中の視線をいっせいに集めても動揺の欠片もし
なかった。
熱い女達の視線が向けられても全くぶれないのは、自分達が見つめる先がきっちりと決まっているからだろう。
 続けて、自分の直ぐ前を歩く倉橋と小田切に視線を向けて・・・・・綾辻は溜め息が洩れそうになった。
(こっちはまた・・・・・華麗だな)
同じ男で、それなりの長身でもあるのに、目の前の2人のタキシード姿はどこか優美だった。
日本美人を思わせる倉橋と、華やかな容貌の小田切。自分の魅力を全く分かっていない倉橋と、確信犯的に視線を向けて
くる男達に意味深な笑みを返している小田切を一緒にしてはいけないと思うものの、綾辻は本当に静と動だなと感心したよう
に思った。
 「・・・・・」
 そんな綾辻の考えが分かったのかどうか・・・・・チラッと小田切が後ろに視線を向けてきた。
 「?」
 「・・・・・」
にっと笑った小田切が、隣の倉橋の腕と自分の腕を絡め、更に密着するように身体を寄せて歩き始める。
(おいおい)
倒錯した雰囲気を感じ取った男達が更に熱を込めて2人を振り返るのを、綾辻は慌てて自分の身体で遮るようにした。



 アレッシオ程の力があれば、このレストランを貸切にすることなど容易だったはずだろう。
それをしないで、いくら個室を取ったとはいえ、自分の姿を人に晒して歩く意味・・・・・江坂は自分の前を歩くアレッシオを見つめ
ながら考えていた。
 『カッサーノ様』
 『このような場所でお会い出来るとは光栄ですわ』
 次々とアレッシオの前に現れては、丁寧に会釈をしながら挨拶をしてくる者達。
それは老若男女問わなかったが、女達は必ず媚を含んだ目でアレッシオを見つめ、その後隣にいる友春を見て慌てて視線を逸
らしていく。
(・・・・・ああ、そうか)
 多分、アレッシオは自分の隣にいる友春の存在を知らしめたかったのだろう。
金と権力を持っている者に付きまとう人間。その煩わしさを自分も経験しているだけに、江坂はアレッシオの行動を非難すること
は出来なかった。



(私がまだトモを傍に置いているとは思わなかったようだな・・・・・)
 この春までイタリアにいて、常にアレッシオが傍に置いていた友春という存在は《カッサーノ家首領の愛人》と広く知られていた。
それまで、特別な相手を作らなかったアレッシオが初めて私邸に囲った愛人として、友春は自分自身が思ってもいないほどに有
名だったが、春に日本に帰国させてから、アレッシオの周りには再び煩い蝿が飛び始めた。

日本人に飽きたアレッシオ。
今なら、カッサーノ家の女主人になれる可能性がある。

 馬鹿な人間ほど欲が深く、最近のアレッシオの周りには色んな人間が現れる。もちろん、カッサーノ家の首領であるアレッシオ
と直接口をきける人間は限られているものの、アレッシオはいい加減煩くなってきてしまった。
そこで、せっかく友春がイタリアに来るということが決まった時、回りに今だアレッシオは日本人の愛人と切れてはいないということ
を見せ付けてやろうと思ったのだ。
 今夜、このレストランに煩く付きまとっている人間を来るように仕向け、アレッシオは堂々と友春を隣に置いた。
友春の顔を知っているらしい者達の驚いた顔が愉快だった。
 「トモ」
 「え?」
アレッシオは友春の肩を抱く。
特別なのはこの相手だけなのだと、この場にいる全員に見せ付けたかった。



 「う〜・・・・・緊張する〜」
 個室に案内され、不特定多数の視線から逃れた太朗は、ようやく一息ついたというようにプルッと肩を震わせた。
 「まだ今からメシだぞ」
 「分かってるよ!あ、でも、俺、順番分かんないよ」
目の前にずらりと並べられているグラスやナイフにフォーク。いったいどういう順序で使っていいのか分からない。
焦ったように上杉を振り返る太朗に、アレッシオが言った。
 「ここには他の人間の目は無い。食べたいように食べろ」
 「そ、それでいいの?」
 「食事は美味く食べなければ意味が無い。香田」
 「はい」
 入口に立っていた香田は、全員が席に付いたのを確認してからにこやかに口を開いた。
 「今夜のコースは、アペリティーヴォ、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、コントルノ、フォルマッジョ、デザート、コー
ヒーや食後酒です。アペリティーヴォは食前酒。未成年の方にはノンアルコールの物を用意しております。アンティパストは前菜。
今回はマリネと生ハムの二種類を。プリモ・ピアットは、パスタ、リゾット、スープのいずれからかお選びください。メインディッシュで
あるセコンド・ピアットは肉料理か魚料理、そして、コントルノである野菜サラダや温野菜、フォルマッジョはチーズです。後はデザ
ートとコーヒーになりますが・・・・・お分かり頂けたでしょうか?」
自然と、一同の視線は太朗に向いていた。太朗が納得すれば、周りもほぼ・・・・・そんな認識があるのだろうか。
 「タロ、分かったか?」
 「・・・・んっと・・・・・」
太朗は少し考えて、香田へと視線を向けた。
 「俺・・・・・お肉大盛りでお願いします」
 結局、そう言ってしまった太朗は、拙かったかなというように上杉を振り返った。



 それに応えるかのように目元で笑ってくれた上杉は香田に視線を向ける。
 「俺も、チーズを先に、デザートは無しで。頼むな」
上杉が自分に合わせてマナー無視をしてくれたことには気付かない太朗とは違い、その意図を直ぐに受け取った香田はゆっくり
と頷いて、改めて一同に言った。
 「ご要望があればどうぞおっしゃってください。今夜はイタリアの美味しい物を楽しく食べて頂く場なのですから」






                                 






次は、その夜の話。

最後の夜に、保護者達だけの秘密の飲み会を。