海上の絶対君主
第一章 支配者の弱点
1
※ここでの『』の言葉は日本語です
不本意ながらも船に連れ戻された珠生は、そのまま当然のように船長室であるラディスラスの私室に運ばれた。
おぶさった姿で帰ってきた珠生に船に残っていた者達は好奇心の目を向けてくるが、それに一々言い返す気力も語学力も全
く無い。
(見るなっ、バカ!)
恥ずかしくて仕方がないが、今の珠生は足腰がガクガクして自分で歩くのもままならないし、原因を作ったのはラディスラスなの
で自分を運ぶこと自体当然のことだと思い直した。
「下ろすぞ」
珠生の気持ちとしてはどんな狭い場所でもラディスラスの傍以外の所にいたかったが、今の身体の痛みを考えると多少硬い
ながらもベットというのはありがたかった。
(とにかく、早く体調を戻して、逃げること考えないと・・・・・)
早くしなければ、更に酷いセクハラを受けそうな気がする。
とにかく体力回復と、珠生は大人しくベットに横たわった。
「タマ、まだきついか?」
ラディスラスの綺麗な紫色の瞳が気遣わしそうに自分を見ているが、珠生がそれに答えることはない・・・・・と、いうか、出来る
はずがなかった。
(そんな目をしたって、そもそもの原因はあんただろっ)
「タマ」
『うるさい。その名前で呼ぶなっ』
「タマ、怒っているのか?」
『だから、タマっていうのは止めろって!』
どんなに珠生がそう言っても、ラディスラスにその意味が伝わるわけも無く、大きな手の平を額に当てようとするラディスラスを避け
るかのように、珠生は掛け布の中にもぐり込んでしまった。
(・・・・・子供だな)
ラディスラスは完全に自分の視界から姿を隠した珠生を見て溜め息をついた。
確かに多少強引なやり方をしたとは思うが、それでも珠生の身体は確かに喜んでいた。
あそこまでいって最後まで抱かなかったのは珠生の身体を思い遣ってのことであるし、ラディスラスとしてはなぜこれ程に珠生が頑
なに自分を拒絶しようとしているのか分からない。
元気に何かを言い返して来るところを見ると気分は悪くは無いようだが、辛そうに動いている様子はかなり体力は消耗しているよ
うだ。
(全く、少し飯を食わせて肉を付けないとな)
その時、数度扉が叩かれたかと思うと、1人の男が中に入ってきた。
「ラシェル」
「・・・・・やっぱり連れて帰ったんですか」
甲板長であるラシェルはこんもりと人型に盛り上がった寝台の上を見つめて、碧い瞳に呆れた色を滲ませた。
「そのまま陸に置いておけば良かったのに」
「そんなこと出来る筈が無いだろーが」
「きっと、足手まといになる」
「タマは俺の女だ。俺を楽しませる為だけにいればいい」
「ラディッ」
ラディスラスの腹心でもある彼は、多少きつい物言いをするが基本はラディスラスに忠実だった。
自由奔放なラディスラスの行動を諌めはするものの、何時もはヤンチャな弟に接するように諦めの笑みで受け入れていた。
それが、今回、珠生に関することにはかなり辛辣に意見を言ってくる。
(どういうつもりなんだ、ラシェル)
まさか本当に密偵と思っているとは思わないが、ラシェルにとって珠生はかなり異質な存在に映っているのかもしれない。
ラディスラスはそれが魅力的だと思うのだが、ラシェルにとっては・・・・・。
「とにかく、タマはこのまま船に乗せる。いいな?」
それでも、珠生を手放す気の無いラディスラスは、船長の言葉として決定事項をラシェルに告げた。
「・・・・・」
「ラシェル」
「・・・・・分かりました」
明らかに渋々といった感じに頷くと、それ以上は何も言う事はなく、ラシェルは部屋から出て行った。
「・・・・・アズハル、あいつ何かあったのか?」
その後ろ姿を見送ったラディスラスが呟くように言うと、傍に立っていたアズハルはゆっくりと首を横に振った。
「さあ。彼は真面目な男ですから、子供に手を出そうとしているあなたを許せないのかもしれませんね」
「・・・・・」
(それはお前だろうが)
翌朝、珠生は余りにお腹が空き過ぎて目を覚ましてしまった。
昨日はラディスラスから意地でも隠れていようとずっとベットの中にいたのだが、何時しか眠っていたようだ。
大きなベットには自分しかおらず、部屋の中には誰の人影も無い。
『どこ行ったんだろ・・・・・』
ラディスラスがいないということ自体は歓迎だが、いきなり現れでもしたら心臓に悪い。
しばらくは気配を伺っていた珠生だったが、何時までもじっとしていても埒があかないと思い直し、そっとベットから起き上がって僅
かに扉を開けて外を見た。
空はまだやっと明るくなったというぐらいの早朝で、空気も少し冷たい感じがする。
『・・・・・誰もいない』
人影が見当たらず、一度扉を閉めて考え直した珠生は、やがて思い切ったように外に出てみた。
『さむ・・・・・っ』
すっぽりと頭から被る形の服は薄くて、丈も膝くらいまでしかない。
辛うじて下着のようなものは身に着けているが、ズボンははかされておらず、足も裸足のままで露に濡れた甲板の板が足に冷た
かった。
珠生がグーグー鳴るお腹の音を気にしながら歩いていると、不意に後ろから腕を掴まれて半分持ち上げられた。
『な・・・・・っ!』
「何をしている?」
そこにいたのは、まるで熊のように大きな髭面の男だった。
『はっ、離せよ!』
「おい、俺の言ってること分からないのか?」
かなりの怪力の持ち主らしく、珠生の爪先はほとんど床に着いていない。
痛さに顔を歪めながら、珠生はバタバタと暴れて男の腹や足を蹴飛ばした。
「や、やめろって」
『痛いって!』
顔をしかめ、目じりに涙が浮かんだ珠生を見て、男はやっと珠生の苦痛に気がついたようで、慌てたように手を離すと珠生の
視線にあわせるように腰を屈めて言った。
「大丈夫か?」
『・・・・・』
髭面で、随分厳つい印象の男だったが、よく見るとその顔はまだ若いようだった。
「お前、頭の女だったよな?俺はルドー。怪我はしちゃいないだろう?」
『・・・・・』
多分・・・・・心配してくれているのだろう、切れ長の薄茶の瞳が情けないように揺れている。髪も髭も薄茶で、よく日に焼けた肌
も褐色。まるで本当に熊のようだ。
そう思うと珠生は急に可笑しくなって、プッと吹き出して笑い始めた。
「おい?」
『本当に熊が話してるみたい・・・・・大丈夫だよ、俺は』
珠生が腕をグルグル回して見せると、ルドーはホッとしたように目を細めた。
それと同時に珠生のお腹がグウッと鳴り、2人はしばらく顔を見合わせて・・・・・またお互いに笑い始めてしまった。
「悪い悪い、腹が減ってるんだな?俺に付いて来い」
ルドーは物を食べる仕草をして、来い来いと手招きをしてみせる。不思議と怖いとは思わなくて、珠生はそのまま素直にルドー
の後ろをついて行った。
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