海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点





                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 船の中は迷路のように広く、多分1人だったら絶対に迷っただろうなと思いながら、珠生はルドーの後を早足でついて行った。
 「大丈夫か?」
時折、ルドーは珠生を気遣っては立ち止まって振り返る。
言葉は分からないまでも心配してくれている気配を感じ、珠生はその度に笑って見せた。
多分、ラディスラスがその顔を見ればどこの別人だと思うかもしれないが。
 「ほら、ここだ」
 しばらく下に向かって歩いていたルドーは、ある扉を開いた。
 『うわ・・・・・』



 朝食時よりは少し早い時間ながら、そこでは既に十数人の男達が食事をしていた。
扉が開いたくらいでは動じない男達も、ふと向けた視線の先にいた珠生の存在にはさすがに驚いたようだった。
 船員達の反応も無理はないとルドーは苦笑した。
珠生が知らないのは当たり前だが、この食堂には船長のラディスラス以下主だった役割を持つ人間は滅多に現れないので、そ
んな場所にラディスラスの女(あくまでも名前だけだが)が来ることが考えられないのだ。
 今までのラディスラスの女達は(これも当人だけがそう言っていただけで、ラディスラスは味見のつもりで抱いた)、むさ苦しく、暗
く狭いこの場所を嫌い、嫌そうな顔をして直ぐに出て行ったが・・・・・。
 「ほら、大したもんはないがな」
 木の器に盛られた干し肉の炒め飯と熱い魚のスープ。
きっと直ぐに嫌がってイスから立ち上がるだろうと予想していた一同は、自分達とは比べ物にならない小さな口で美味しそうにそ
れらを頬張る珠生の姿を見た。
 「どうだ?」
 『これ、具が少ないのに味は濃いね!美味しい!』
白く整った顔を綻ばせながら、珠生は休むことなくサジで食事を続ける。
何を言っているのか全く分からないが、その表情を見れば食事に満足していることは誰にでも分かった。
 「幾つなのかなあ、お前」
 「12歳じゃないか?」
 「いや、10歳だって」
 「まさか15ってことはないよな」
 ルドーの呟きに答えたのは、当の本人ではなく周りの男達だ。
彼らの意見にはルドーも賛成だ。
自分達よりもかなり華奢で幼い雰囲気を持っているこの少年は、どうよくみても14、5歳だろう。
(まさか頭が子供に・・・・・それも男に手を出すとはな)
とても女に不自由していない様子のラディスラスの気紛れにルドーが溜め息をついた時、いきなり扉が勢いよく開いた。
 「あ・・・・・」
扉を背に座っている珠生は、まだ気付かない。



 『このスープの出汁、凄く美味しいんだけど、何でとってるんだろ?』
昆布やカツオ出汁ではなく、コンソメや中華スープとも違う不思議な味は、素朴ながらもとても深い味わいで、癖になってしまう
なと思うほどだ。
帰った時に作れるように、作り方を聞こうかとのんびりと考えていた時、
 『!!』
 突然、太い腕が腹をすくったかと思うと、珠生の身体は軽々と宙に浮かんでしまった。
 『な、何っ?』
 「何脱走してるんだ?タマ。俺以外の奴から餌をもらってどうする」
 「ラ、ラディッ?」
細い珠生の身体を軽々と抱え上げたのは、この船の絶対君主である船長、ラディスラスだった。



 目前に迫った航海の海路を話し合う為に早朝から部屋を出ていたラディスラスは、話がひと段落ついたので珠生の様子を見
に船長室に戻っていた。
その途中・・・・・。
 「・・・・・また抜け出してる」
こっそりと部屋から出て行く珠生の姿を見つけたラディスラスは直ぐに捕まえようとしたが、ふと思い直して珠生がどんな行動を取
るのかこっそり後をつけてみた。
(あの格好はまずかったか・・・・・)
 服から覗く細く白い足が他の乗組員達の目にはどう映るか・・・・・ラディスラスは自分がしたことだが後悔をしてしまった。
その後、珠生は直ぐにラシェルの補佐であるルドーに掴まった。
大きな身体をしているものの、ルドーは気は優しくて朗らかだ。
しばらく2人は何か話していたようだったが(言葉が通じているとは思わないが)、やがて連れ立って船の中に入っていった。
(どこに・・・・・食堂か?)
 そういえば、珠生に食事を与えていなかったということを思い出した。
どういう経緯からかは分からないが、ルドーは珠生が空腹なことが分かって食堂に連れて行くようだ。
 「・・・・・」
 今だ、全く珠生と意志の疎通が出来ないラディスラスにはあまり面白くない光景で、思わず見つめる視線も剣呑なものになっ
てしまう。
(どうしてタマは俺に懐かないんだ?)
 ラディスラスは十分珠生に優しくしているつもりだ。
たった数度だけの関係しか持たなかった今までの女達とは違い、珠生が嫌だと言えば抱くことも途中で止めてやった。
この船に乗せると決めたのも、珠生をずっと傍に置いておきたかったからだ。
この自分がそこまで大事にしてやっているのに、珠生は会ったばかりのルドーには笑顔を見せて、自分にはふくれ面しか向けては
くれない。
 「・・・・・っ」
 ラディスラスが小さく舌打ちをついた時、2人は食堂の扉を開けていた。
しばらくは外で中から聞こえる賑やかな声を聞いていたが、そう間をおくことも無く我慢が出来なくなってしまった。
自分以外に笑顔を向ける珠生を、これ以上野放しには出来ない。
 ラディスラスは勢いよく扉を開いた。
 「あ」
 「頭」
中の者は直ぐにラディスラスに気付いたが、1人背を向けて、その上言葉も聞き取れない珠生はまだ気付かないようだ。
ラディスラスはそのまま珠生の後ろに回り、いきなりその腰を抱き寄せて身体を持ち上げた。
 『な、何っ?』
 身体を硬直させる珠生の耳元で、ラディスラスはワザと低く囁いてやる。
 「何脱走してるんだ?タマ。俺以外の奴から餌をもらってどうする」
 「ラ、ラディッ?」
慌てて振り向いた珠生の目が、面白いように丸くなった。
 「腹が減ったのか?」
 『な、何でここにいるんだよ!』
 「そういう時は俺を呼べ。タマの事は全て俺がしてやるから」
その名を呼ばれるのが嫌いなのか、珠生はラディスラスが《タマ》と言った途端に猛烈に腕の中で暴れ始めた。
 『俺を猫みたいに呼ぶなって言っただろ!』
 「大人しくしろ、タマ」
 『だから!タマって呼ぶなって!』
 一向に大人しくなりそうにない珠生を呆れたように見つめたラディスラスは、そのままチュッと唇を重ねるだけの口づけをした。
大きな目がますます大きく見開かれたが、バタバタと煩く暴れていた手足はパタッと大人しくなった。
 「なんだ、これがして欲しかったのか?」
 『ま、また・・・・・男にキスされた・・・・・』
 「言えば何時でもしてやるぞ。お前の可愛い唇は俺のものだからな」
ラディスラスは急に機嫌が良くなって大声で笑うと、そのまま呆然としている珠生を肩に担ぐようにして、呆気に取られている船員
をそこに残したまま食堂から出て行った。