海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 珠生は今自分がどういった状態なのか、はっきり認識することが出来なかった。いや、したくなかったというのが本当かもしれな
い。
それでも、腹がたつほど逞しいラディスラスの胸に縋るように立ったままでいるうちに、頭の中だけはフル回転にラディスラスを罵倒
し始めた。
(何だ、こいつ、何だ、こいつっ!一番タチ悪いじゃんっ!)
気持ちとしてはその頬をひっぱたいて蹴飛ばしてでも身体を離したいのに、力が抜けてしまった情けない身体は1人で立つこと
は出来なかった。
そうやって、ラディスラスの腕の中で唸っている珠生の姿は、(珠生の性格を全く知らない)他の人間からすればじゃれあっている
様に見えたのか・・・・・。
 「おい」
 不意に、頭上から声が掛かった。
始めはそれが自分に掛けられた言葉とは分からなかった珠生だったが、軽く髪に触れられて慌てて顔を上げると、そこにはラディ
スラスが現われるまで自分のごく近くにいた見知らぬ男が立っていた。
 「・・・・・っ」
 反射的にラディスラスの腕にしがみ付いた珠生を見て、男は深い溜め息をついた。
 「こんな男と一緒にいても不幸せになるだけだ」
 『・・・・・』
 「お前は・・・・・いや、名前は何と言う?」
 『・・・・・』
(・・・・・聞いたこと・・・・・あるような、響き・・・・・)
はっきりした単語は分からなくても、その音・・・・・と、いうか、響きは聞き覚えがあった。
それは・・・・・。
 「私はイザーク、ジアーラ国海兵大将、イザーク・ライドという。お前は?」
 『・・・・・名前、の、こと?』
何度も同じシチュエーションを体験した珠生は、直ぐにそれが名前を訊ねているのだということが分かった。
しかし、自分の名前を男に言ってもいいのかどうかは分からず、無意識の内に自分を抱きしめているラディスラスの顔を見上げ
てしまう。
その珠生の視線に不適な笑みを返すと、ラディスラスは見せ付けるように更に珠生の身体を抱きしめた。
 「名前を知る必要はないと思うが」
 「・・・・・この子がこのような場所にいることはいいことだとは思えない」
 「そちらがどう思おうと、こいつはここから、俺の傍から離す事はない。悪いな」



 珠生の肩を抱いたまま、ラディスラスが甲板に姿を見せた時、監視の為集められていた組員達の顔には安堵の色が浮かんで
いた。
ラシェルも目を細めて笑みを浮かべている。
 「イザーク様」
 「・・・・・詮議は終わりだ。今のこの船に疑わしきものはない」
 「しかしっ、この船は間違いなく・・・・・っ」
 「証拠のないものを罪には問えない」
 言い募る部下にそう言い、イザークはラディスラスを振り返った。
 「それでも、お前の船に疑いがあるのは事実だ。各国の討伐軍は皆エイバルを捕らえることを狙っている。それをよく考えて行
動するんだな」
 「忠告、痛み入ります」
イザークの言葉が単なる脅しではないということはラディスラスも分かっている。
確かに自分で自覚している以上に、海賊船エイバルの名は世に知れ渡ってしまっていた。
(義賊を気取っているわけでもないんだがな)
弱いものには手を出さず、死人さえも出さない。そんな海賊船エイバルはある意味英雄のように言われているが、ラディスラス自
身はそんなつもりはなかった。
どんなに言葉を変えたとしても、所詮自分が海賊ということにはかわりがない、追われる立場だということを自覚している。
 「引くぞ」
 イザークの言葉に、甲板に立っていた兵士達は続々と自分達の船に戻っていく。
最後に渡し板に立ったイザークは、まずラシェルに目を向けた。
 「ラシェル、お前は海賊に身を落とすような人間ではないと思っている」
 「・・・・・」
 「船を下りる気になったら私に連絡をしろ」
その言葉にラシェルは答えなかったが、イザークも返事を期待していたようではなく、次にラディスラスと珠生に視線を向けた。
 「必ずお前を捕らえてやる、エイバル船長」
 「楽しみにしてるよ」
 「・・・・・」
 「それでは、御機嫌よう、イザーク・ライド海兵大将」



 渡り板が外され、討伐軍の船が徐々に離れていく。
今だこちらに視線を向けているイザークが何を見ているのか・・・・・ラディスラスはフンッと鼻を鳴らしながら、再び見せ付けるように
珠生に顔を寄せた。
しかし、その頃はさすがに足にも力が戻った珠生は、ムッとした顔をして思い切り良くラディスラスの足を踏みつけた。
 「・・・・・っ!」
 『何度も同じこと繰り返すなっ、バカ!』
さすがに痛さで腕の拘束を緩めたラディスラスから素早く離れた珠生は、そのままアズハルの背中に隠れた。
 「・・・・・何なんだ、その態度は」
 「あなたの行いのせいでしょう」
 呆れたように言うアズハルだったが、彼も内心安堵しているのは間違いない。
たとえ海賊行為の証拠がなくても、でっち上げやその時の気分次第で詮議を不正に変える討伐軍もいると聞いたことがあるか
らだろう。
彼らの報酬は各国からそれぞれ出るが、海賊1隻を捕まえるごとに特別な報奨金が出るのだ。それは捕まえた船の規模によっ
て変わるらしいが、エイバルほど名の通った海賊を捉えれば、その報奨も莫大なものになったはずだ。
(正しい軍人といったところか)
見た目堅物のようなイザークは、規律も守るバカ正直な人間だったらしい。
 「タマ」
 ラディスラスは、アズハルの背中に隠れる珠生に声を掛ける。
しかし、珠生はじっと睨んだままいっこうに近付こうとしない。
 「・・・・・」
(参ったな・・・・・)
 そんな態度でさえ可愛いと思ってしまうほど、ラディスラスは自分が珠生に入れ込んでいることを改めて自覚してしまった。
あの時、食堂にいる珠生の身を考えた時、どんな手段を使っても珠生を守らなければと思った。
珠生自身、アズハルほど自分に好意を持っていないことは情けないが自覚しているが、ラディスラスは、珠生を手にしていない
と不安で仕方がないのだ。
 怖いものなどなく、船と乗組員だけを味方に大海を泳いでいたはずが・・・・・何者にも、何からも、縛られることが嫌で自由を
求めていたはずの自分が、知り合ったばかりの子供に骨抜きにされている。
作ってはいけない弱みを作ってしまったのだ。
(もう、待てない)
 このままの不安定な関係では安心出来ないと思った。
珠生の全てを自分のものにしないと、今度また同じようなことがあった時、ラディスラスはまた同じような不安を抱いて船長にはあ
るまじき行動をとってしまうだろう。
 「・・・・・」
 『・・・・・な、なんだよ』
 「・・・・・」
 「・・・・・ラディ?」
ラディスラスの様子が変なのを不安に思ったのか、珠生が怖々その名を口にしてきた。
それに、ラディスラスはニヤッと笑ってみせる。
(今夜こそ、全部俺のものになってもらうぞ、タマ)
こんな不安な感情を全て払拭する為にも、ラディスラスはもう待つことを止めようと決意していた。