海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 討伐軍に目を付けられたことによって、エイバルの航行予定は大幅に変更せざるをえなかった。
海を下りればしかるべき所にかなりの金額を隠してあるが、実際に船に乗っている者達は《何もしない》という事が何よりも苦痛
だった。
 数十人の団体で、船の上で暮らしているのならばそれなりのこと、掃除や洗濯等もかなり手間が掛かる仕事だが、実際に身
体を動かさないと・・・・・目標がないと、日々だらけて生活の張りが無くなってしまうのだ。
 そんな中で、1人だけ元気なのは・・・・・。
 「食事、行きましょーか!」
 「・・・・・飯の時間は元気だな、タマ」
 「食事行きましょうか!」
 「はいはい」
ラディスラスが思ったよりも早く、珠生は日常最低限に必要な言葉を覚えていった。
それは言葉というよりも単語という段階だが、今まで表情だけで読み取ろうとしていた時とは違い、珠生が何を思っているのかが
かなり分かりやすくなった。
 「・・・・・」
(一体、何を考えてるのか・・・・・)
 ラディスラスは、自分の隣をトコトコ歩く珠生を見下ろした。
そう、あんな真似をしたラディスラスに、珠生はこちらが怪訝に思うほど警戒せずに傍にくっついてくるのだ。
それまであれ程毛を逆立てた猫のように毛嫌いしていたはずなのに、ラディスラスが身体が空くとどこからともなく近付いてきて傍
にいる。
 「ああ、タマも今から食事ですか?」
 声を掛けてきたアズハルに、
 「食事」
にっこりと笑って答える珠生は、小動物のような可愛らしさだ。
 「・・・・・」
 あの夜から、まだ一週間と経っていない。
珠生があの行為を完全に頭の中から消したわけはないとも思うのに、なぜこんなに自分に懐いてくるのか分からなかった。
いや・・・・・。
 「・・・・・」
 「・・・・・っ」
 さりげなく、珠生の肩を抱き寄せようとしたラディスラスは、反射的に身体を竦める珠生の様子を冷静に観察した。
珠生が自分の事を怖がっていることは間違いがなく、時折ムッと反抗的な視線を向けてきていることにも気付いている。
それなのに、表面上は自分に気を許したかのように笑顔を(作り笑顔なのがバレバレだが)向けていた。
(・・・・・何か企んでいるな)
 ラディスラスからすれば珠生の行動はあまりに粗が丸見えで、かえってわざとそうしているのかとさえ思ってしまうが、多分本人と
してはバレていないと思っているのだろう。
 「行こうか、タマ」
 「食事!」
 ラディスラスはわざと珠生の肩を強引に抱き寄せ、そのまま歩き始めた。
内心、逃げたいだろう珠生が、顔を強張らせたままラディスラスに大人しく付いてくる。
(利用させてもらうぞ)
何を考えているのかは分からないが、ラディスラスはこの珠生の行動を利用しようと思う。
表立って嫌がらない珠生の身体に公然と触れ、赤面するような愛の言葉を囁いてやる。
どんな事態も全て自分の思う方に向けるのが、ずるい大人のやり方なのだ。



(な、馴れ馴れしいんだよ〜っ)
 肩を抱く大きな手を振り払いたくて仕方がないのに、珠生は自分が決めた誓いに縛られて身動きが取れなかった。
掲げた《メロメロ大作戦》を滞りなく進める為には、出来るだけラディスラスと一緒にいなければならない。
飛び切りの笑顔を向け(強張っているが)。
ピッタリと傍にくっ付き(指2つ分は離れているが)。
たくさん話をする(ラディスラスが分からない日本語で言いまくっている)。
その成果は短期間の内に現われたようで、最近のラディスラスはこちらが途惑ってしまうほどにスキンシップが激しくなっている。
(でもなあ、触り方が、なんか・・・・・エッチぽいんだよな)
 例えば、アズハルが肩や背中に触れても、その手を優しく感じるが、ラディスラスが同じ事をするとどうしても別の意図を感じて
しまうのだ。
さらに考えれば、ラシェルがこけそうになった珠生の腰を掴んで抱き止めてくれても感謝しか思い浮かばないが、ラディスラスが先
に歩こうとする珠生の腰を抱いて引きとめようとすると・・・・・なぜだか背中がゾワゾワする。
 「ほら、タマ」
(それに、堂々と尻を触るし・・・・・っ)
 「タ〜マ」
(か、顔くっ付けて話し掛けてくるし!)
 言葉を覚え始めたとはいえ、珠生が聞き取れるのはほんの僅かな生活習慣の単語だ。
耳元で囁くラディスラスの言葉の意味は全く分からないが、すれ違う乗組員達が顔を赤らめたり、揶揄するように口笛を吹いて
いるので、多分かなり恥ずかしいことを言っているのではと想像出来る。
 「・・・・・」
 珠生はチラッとラディスラスを見上げる。
丁度視線が合ったラディスラスは、ニヤッと笑うと、
 「何だ、誘ってるのか?タマ」
何か言いながら、珠生の頬にキスをした。
唖然としてその行為を受けてしまった珠生は、次の瞬間顔を真っ赤にして視線を逸らすと、心の中で大声で叫んだ。
(こ、こいつ、こいつ、絶対日本人じゃないって〜!)



(可愛い顔して)
 耳まで真っ赤にして俯いてしまった珠生を見下ろしながら、ラディスラスは楽しそうに笑った。
やる事なす事、全てが墓穴を掘っている感じの珠生の行動は見ているだけで楽しい。
 「ラディ」
 そんなラディスラスのにやけた顔を呆れたように見ていたアズハルが、はあ〜と溜め息を付きながら注進してきた。
 「あまり恥ずかしい行動を取らないように」
 「ん?」
 「船長だという立場を忘れないでくださいよ」
 「忘れてないぞ。大体、タマの方からくっ付いてきてるんだ」
それはアズハルの目から見てもその通りなので反論も出来ないのだろう。
難しい顔をしたまま、アズハルは探るように聞いてくる。
 「・・・・・あなた、何もしてないでしょうね?」
 「してない」
 「本当に?」
 「その証拠に、タマは逃げてないだろう?」
 どんな手を思いついたのか、自分から近付いてくるようになった珠生に、ラディスラスが手を出すのは簡単なようで・・・・・案外
難しいものだ。
一番最初の時の記憶が鮮明に残っている珠生には、先ずは痛みと恐怖を忘れさせることが先決で、その方法も考えてはいる。
今の珠生の様子ならば、そろそろ行動に移してもいいかもしれない。
(あれが気持ちいいことだって分かれば、陥落するのも早いだろう)
何も知らないと言う事は、いい方向にもって行けば溺れさせることも簡単なはずだ。
 「ラディ」
 「心配するな。タマが嫌がることはしないと誓うって」
 「・・・・・」
 「アズハル」
 「・・・・・信じますよ」
 「おお」
 ラディスラスは鷹揚に頷くと、隣を歩く珠生を見下ろす。
自分の頭上でまさか自分の事を話されているとは分かっていないだろう珠生は、赤くなった顔を誤魔化すようにペシペシと両手
で頬を叩いていた。
(どうしてくれよう・・・・・)
可愛くて可愛くて、ラディスラスは思わず珠生を抱き上げる。
 『う、うわあ!何すんだよ!!』
途端に、飛んでくる罵声。
やはり珠生はこうでなくては面白くないと、ラディスラスは嫌がる珠生を更に強く抱きしめた。