海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






(う・・・・・なんだよ、これ・・・・・)
 ズキズキ痛む頭を抱えながらゆっくりと目を開いた珠生は、ベットの上で横たわっている自分の姿にやっと気付いた。
 『・・・・・服、あのまま・・・・・』 
昨夜、ラディスラスから蜂蜜漬けの果物の実を貰ったところまでは覚えている・・・・・が、その先のことは今目が覚めるこの瞬間ま
で全く覚えていなかった。
 『あっ!』
 眠っている間に何かされなかったかと、珠生は反射的に起き上がって確かめようと思ったが、直ぐに頭の疼きに負けてしまって
その場に沈み込んでしまった。
 『なんなんだよ、これ〜。昨日のあれ、変なものだったのか〜?』
頭も痛いが、身体も甘だるくて重い。
あんなに甘くて美味しかったのにとブツブツ言いながら、珠生はベットに転がった状態で自分の腕を持ち上げて見つめてみた。
情けなかったほど青白い肌は、この船上の生活で少しは日に焼けたようだが、焼けても直ぐに白く戻ってしまうのであまり意味
は無い。
その白い腕には、見た限り何の痕もないようだ。
 『・・・・・』
珠生は頭に響かないようにしてゆっくりと身体を起こすと、今度はペロッと着ていた服を捲って腹を見る。
 『・・・・・何もない』
(良かった・・・・・)
 あの傲慢な男も、さすがに眠っている相手には何もしなかったようだ。
ほっと安心したと同時に、少しは見直してやってもいいかなとも思う。
(や、まだ、1回くらいでそう思っちゃ甘いか)
 「お、タマ、起きたか?」
 『・・・・・』
(うわ・・・・・来た?)
 不意に、耳慣れた声が聞こえた。
パッと振り向いて確認したかったが、頭が痛いせいで動きは何時に無く緩慢になってしまい、珠生はう〜と唸りながら突然開い
たドアの方へ顔を向けた。
そこには案の定、何時もの悪戯っぽい浮かべたラディスラスが立っている。
 「ラディ」
珠生が名前を呼ぶと、ラディスラスの笑みはますます深くなった。
 「遅いぞ、タマ」
 「・・・・・」
 「早くしないと、朝飯無くなるが・・・・・食事、いいのか?」
 「食事!」
 言われたからというわけではないだろうが、急激に腹が減ってきた気がした。小さな窓から差し込む日の光りも随分明るくて、
自分がかなり寝坊してしまったことに気付く。
珠生は急いで(傍目には何時も以上にゆっくりとした動きだろうが)ベットから立ち上がった。
(服・・・・・着替えたいけど・・・・・)
昨日と同じ物を着ているのも何となく嫌だが、ラディスラスの目の前で着替えるのも気が進まない。
・・・・・いや。
(これは、チャンスかも?)
大人しくしている獣には、少しはご褒美をあげた方がいいかもしれないと思った。何もかもダメダメづくしでは、またいきなり切れ
たように襲いかかられるかもしれない。
(背中とか・・・・・足くらいならいいか)
減るもんじゃなしと思いながら珠生はラディスラスに背中を向けると、そろそろと見せ付けるようにボタンを外し始めた。



(心配はなかったな)
 自分が顔を見せても何時も以上の嫌な顔はされなかった。確かに眉を顰め口も尖らしているが、もしかしてと考えていたよう
な罵声は飛んでこない。
昨夜のことは珠生の記憶の中には残っていないのだと確信すると、ラディスラスはホッとすると同時にどこか物足りなくも思ってし
まった。
寝ている間に勝手に身体を弄られたと分かればどれ程の怒りがぶつけられるか分からないが、一方で珠生がどんなふうな表情
をしたか見てみたかった気もする。
 しかし、とても今は言えないと思い直したラディスラスは、まだ寝起きと酒のせいかぼんやりとしてしまっている珠生に言った。
 「食事、いいのか?」
 「食事!」
 酒のせいで気分も優れない様子だというのに、食欲だけはあるらしい。
(この言葉は偉大だな)
どんな場面であっても食欲だけは忘れない・・・・・そんな珠生らしい様子に笑みを誘われるが、何を思ったのか珠生は急に服
を脱ぎ始めた。
(おいおい、俺の前でか?)
 多分、この船の中で珠生が一番警戒しているだろう自分の前で服を脱ぎだすなど、一体珠生が何を考えているのかとラディ
スラスは眉を顰めた。
しかし。
(・・・・・ああ、なるほど)
 背中越し、チラチラと視線を向けながら肩から服を落としている珠生は、明らかに自分に見せているのだ。
(色仕掛けか)
考えれば、今の珠生には一番似合わない作戦だが、どうやら自分に邪まな思いを抱いている(事実その通りなのだが)相手を
手玉に取ろうとしているのだろう。
(退屈させないなあ、タマは)
 考えることがあまりに突拍子が無くて、本当に何時も驚かせてくれる。
見る分にはいい目の保養でもあるこの着替えを、ラディスラスは公認だとでも言うように腕を組んで堂々と見つめ始めた。



(普通、少しは目を逸らしたりしないか?)
 腕を組んで堂々と視線を向けてくるラディスラスに見えないように眉を顰めながら、珠生はこの後どうしようかと手を止めてしまっ
た。
別に、普通に考えれば男同士で着替えを見たり見せたりすることへの特別な思いなどは全く無かった。
ただ、今まで男だと分かっている珠生に堂々と手を出してきたラディスラスの今までの行動を考えれば、普通に着替えをするとい
う事はとても出来ない
それでも、始めてしまったことは途中で止められず、珠生は出来るだけシュミレーション通りに義務的にと、手を進めようと思った。
(肩見せて・・・・・)
 スルッと片方だけをと思っていたのに上手くいかず、ズルッといっぺんに脱げてしまって慌ててガバッと勢いよく着直して。
(屈んでチラッと太股を見せて・・・・・)
そうでなくても借りている服は大き目でシャツだけでも膝近くあるので、ズボンは堂々とボタンを外してその場で脱ぎ落とし、そのま
ま足元から外してズボンを取ろうとしたが、身を屈めた拍子に近くの机に裾が引っ掛かって、尻が丸見えになってしまった。
 『うわ!』
 「ははは!なんだ、タマ、誘ってるのか?」
 大声で笑うラディスラスの方をとても見れなくなってしまった珠生は、その瞬間頭が痛かったことも忘れてしまい、急いで服の裾
を直してズボンをはき直した。
 『い、今の無し!』
テレビや映画の中の女優の動きを真似したつもりだったが、どうしても自分の中に色気というものは生まれないようだ。
うっとりとさせるつもりが爆笑を誘っているようでは意味が無い。



 色仕掛けは諦めたのか、さっさと服を着替えていく珠生の姿は何時もと変わらない。
楽しい余興が終わってしまったのを残念に思っていたラディスラスだが、ふと背中を向けた珠生の大きく浮いた襟元に視線がいっ
た時、
 「!」
(・・・・・あれは・・・・・)
丁度、うなじよりも少し下辺りに、幾つかの淡い赤い痕を見付けた。
昨夜は痕跡を残さないようにしたつもりだったのだが、思い掛けなくあの場所に自覚も無く口付けの痕を付けてしまった様だ。
 「・・・・・」
 自分でも思い掛けなかったラディスラスは、つられて昨夜の珠生の媚態を思い出してしまい、思わず口を押さえて珠生から目
を逸らしてしまう。
そんな自分をたまたま見てしまった珠生が、

(この作戦ってアリかも?)

と、自信を取り戻したことに、今のラディスラスは気付くことが出来なかった。