海上の絶対君主
第一章 支配者の弱点
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※ここでの『』の言葉は日本語です
航海の進路も日程も変わってしまった海賊船エイバルは、そのまま次の寄港地であるメルに向かっていた。
のせてある食料も水も十分あるが、乗組員達の欲求不満の解消の為にも、ラディスラスは一時寄港を指示したのだ。
「全く、討伐軍の奴らには参った」
「・・・・」
「なんだ、お前がそんな顔をしなくてもいいだろ」
「ええ」
ラシェルは苦笑し、目の前の酒を口にした。
昼間から酒を飲むなんてとアズハルは文句を言うが、海の男であるラディスラス達にすればこれぐらいの酒は全く影響はない。
「タマも、陸に上げて一呼吸させてやりたかったしな」
「・・・・・」
2人の視線は、ラディスラスの隣で旺盛な食欲を見せている珠生に向けられた。
見掛けと同じく味覚もまだ子供の珠生の皿には、料理長のジェイが腕を振るった甘い焼き菓子が山ほどあった。
娯楽の少ない船の上では、まるで小動物のように動き回り、可愛い笑顔も見せる珠生はある種の癒し的な存在になっていて、
それはジェイにとっても同じらしい。
「・・・・・」
珠生専用の菓子を誰にも邪魔されずに嬉々として食べている姿はやはり可愛くて、ラディスラスははあ〜と溜め息をついてし
まった。
「早く俺のもんにしないとな〜」
「・・・・・何堂々と言ってるんですか、こんなとこで」
「いいだろ、お前しか聞いていない」
「全く・・・・・」
昼間からこんな馬鹿馬鹿しい話をしているのもかなり暇だからだが・・・・・そんなのんびりとした時間は、この数時間後にはあっ
という間に破られることとなる。
「影が?」
昼食を終えたラディスラスは、入れ替わりに食堂に訪れたアズハルに珠生を任せると、そのまま甲板に行って見張りの状況を
聞いていた。
丁度交代で見張り台から下りてきた乗組員は、不可解な表情のままラディスラスに報告をしたのだが・・・・・。
「旗も見えませんし、船体にも何の文字も模様も書いてないようです。ただ、漁船にしては大き過ぎるし、何か妙な気配を感
じて・・・・・」
「分かった。おい!下りろ!」
自分の目で確認する為、ラディスラスは見張り台にいる乗組員をいったん下ろすと、そのまま躊躇いなく数メートル上の見張
り台に命綱無しで上っていった。
「北か・・・・・」
言われた方向に、遠視鏡(とうしきょう)を向けてみる。
(いた・・・・・)
確かに、乗組員の言った通り、見ただけではどこの国籍かも商船かなにかも分からない船が、エイバルの進路方向にあった。
討伐軍は必ず国旗を揚げていなければならず、先ずは違うだろうというのは決定的だ。
商船にしては護衛船が無く、貴族の船にしては質素。
ラディスラスは妙な胸騒ぎがした。
「確か・・・・・同じ海賊船も狙う奴らがいると言ってたな」
陸の飲み屋で聞いた話。
貴族の船や商船はもちろん、同じ生業を持つ船さえも狙う暴虐なやからがいると。
それがあの正体不明な船だという確信などはないが、このまま無防備に船を進めて接触させることも無い。
「・・・・・」
ラディスラスは身軽に甲板まで下りると、そのまま操舵室に向かった。
「進路を変えろ、西だ」
「西ですか?」
操舵を握っていた乗組員は怪訝そうに聞き返した。
今朝の話ではメルの港に寄港するという事だったが、西に進路を変えるとなると方向が全く違ってくる。
「メルへ向わなくてもいいんですか?」
「いい。正体が分からない船があるんだ」
「正体が?」
「真正面からぶつかる事は避けたい」
「分かりました」
ラディスラスは、自分の船の乗組員達を信用している。他の海賊達と戦っても遜色は無いはずだ。
しかし、避けられる危険にわざわざ飛び込む気はなかったし、それに今船には・・・・・。
(タマを危ない目には遭わせられない)
討伐軍のように、お上品に話し合いで解決するような相手ではないのだ。金目のものや食料などを根こそぎ奪っていき、その上
見目がいい者ならばたとえ男でも攫っていく。
抵抗することも知らないような珠生など、奴らにとっては子供を相手にするよりも簡単なはずだ。
(背を向けるのは、負けじゃない)
『・・・・・なに?』
(何かあった?)
船の中がざわついてきたのを肌で感じ、珠生はアズハルを振り返った。
「アズハル」
「何ですか?」
何も知らないのか、それとも全てを知っているのか、アズハルは穏やかに笑いながら応えを返してくれる。
午後、一番多く時間を過ごしているアズハルの診療室で、珠生は落ち着き無く部屋の中をウロウロしてしまった。
「なに・・・・・?」
「タマは何も心配しなくていいんですよ、大丈夫」
「だい、じょぶ?」
「ええ、大丈夫です」
「・・・・・」
(心配ないって、こと?)
自分の知っている単語でそう言われていったんは安心するものの、珠生の胸の中に生まれるザワザワ感はなかなか消し去るこ
とが出来なかった。
多分、大丈夫なのだろう。でも、そう言わなければならない状態が近付いているのは確かなのだ。
(また、あの変な男みたいなのが来たりして・・・・・)
「何で距離が近付いているんだ!」
「すみませんっ、思った以上に潮が渦巻いていて思うように速度が出ないんです!」
「向こうも同じ条件だろうが!」
「多分っ、向こうは帆だけでなく人海戦術で漕いでいると思いますっ」
「・・・・・っ」
ラディスラスは鋭く舌を打って操舵室から飛び出すと、再び甲板の船首まで駆けつけて北の方角を睨みつけた。
そこにはもう肉眼でも確認出来るほどに近付いた謎の船の姿がある。
(風も無いこのままでは・・・・・日が落ちた後に追いつかれるか・・・・・?)
夜の接近戦は出来れば避けたいが、そうも暢気なことは言っていられないだろう。
第一、進路を変更して、いわばこちらが道を譲ってやったというのに、あのまま追い掛けてくるという事は向こうに攻撃の意思があ
るという事だ。
「ラディ」
ラシェルも厳しい顔をしながら、ラディスラスの隣に立った。
「同業ですか?」
「・・・・・多分な」
「準備させましょう」
何をという事は言わない。
「ああ、頼む」
(平和ボケして鈍っていた身体を動かすか)
広い海の上、逃げる場所はないし、ここまでくれば逃げる必要も無い。
統制の取れた軍を相手にするのとは違い、相手も自分達と同じ何でもありの海賊のはずだ。
海賊船エイバルと、船長ラディスラス・アーディン・・・・・この名が轟いている意味を知らしめてやろうと、ラディスラスは頬に癖のあ
る笑みを浮かべて舌なめずりをした。
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