海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点





                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 背中に珠生を担いだまま甲板に出てきたラディスラスは、ちょうど一緒に歩いてきたラシェルとアズハルに声を掛けた。
 「打ち合わせは終わったのか?」
ラシェルはチラッと珠生に視線を向けてから短く答える。
 「最終の荷物は昼過ぎには届く。陽が陰る前には出発出来ます」
 「波は?」
 「しばらくは大人しいですよ」
 「そうか」
いくら出航の準備が万全でも、沖の波が荒立っていればなかなか出発は出来ない。
ただ、これまでも波のせいで出立が遅れたということは無く、ラディスラスは常に《俺は海の神に愛されている》と公言しているほど
だっだ。
 「ラディ、その子も本当に連れて行くんですか?」
 不意に、ラシェルは切り出した。
いかにも気が進まないといった表情だ。
 「何度も聞くな。これはもう俺のものなんだ、手放すわけがないだろう」
 「・・・・・」
 「ラシェル、お前タマの何が気に入らない?今までも港で新しい仲間を入れたりしてきたし、略奪した女も船に乗せている事も
あった。そんな時もお前は最後には笑って受け入れていたが、今回は・・・・・違うだろう?」
 ラシェルが本当に珠生の存在を疎んでいると感じたラディスラスは、真正面からその真意を訊ねてみた。
本来は面倒見のいい、元王族の親衛隊長だった男らしく正義感に満ちたラシェルは、個人的な好き嫌いで誰かを忌み嫌うと
いうことは無かった。
それに、珠生は見るからに庇護しなければならない感じの少年だ。
何時ものラシェルならば、率先して珠生を保護しようとするはずなのに・・・・・。
 「ラシェル」
 「・・・・・」
 「俺には言えないことか?」
 「・・・・・似ているからです」
 「似ている?」
 「私の王子を誑かした男に、です」
 「誑かした?」
 「・・・・・あなたにも、話したことはありませんでした」
 「待て。アズハル、珠生を俺の部屋へ」
長い話になるかもしれない。
ラディスラスは珠生の身体をアズハルに預けると、ラシェルの腕を掴んで船首の方へ歩いていった。



 「ラシェル、お前は言いたくないだろうが、俺はお前が全てを話すまでは離さないぞ。その覚悟は出来ているか?」
 ラディスラスは開口一番口元に悪戯っぽい笑みを浮かべながら言う。
冗談めかしたその言葉が、実は本気だということは今一番ラディスラスの傍にいるラシェルにはよく分かった。
ラシェルは少しだけ笑うと、多分物資を運んでくるだろう、近付いてくる小船を見つめながらゆっくりと言葉を押し出した。
 「私の出身は話したとは思いますが・・・・・」


       


 ラシェルは南の大国であるジアーラ国の出身で、優秀な成績で仕官学校を出るとそのまま王家直属の部隊に入隊した。
優秀なラシェルは順調に出世をしていき、数年後、5年前には23歳の若さにして、皇太子の親衛隊長にまで出世した。
 皇太子ミシュアはその頃19歳。
少し身体が弱かった彼だが、とても穏やかで優しい性格で、民からは《花の王子》と慕われていた。
ラシェルもそんな優しい王子を守ることを心から誓っていたが、ある日、遠乗りで出掛けた浜辺で倒れていた1人の異国の男を
見つけた時から、ラシェルの人生は狂ってしまった。
 一生をかけて守ろうと思っていたミシュアが、その男と恋に落ちたのだ。
初めは言葉も分からぬ男を懸命に看護していたミシュアだった。
ラシェルも、正体は分からないまでも落ち着いて知性的な目を持つ男を好んでいた。
 しかし、ずっと付きっきりで世話をしていたミシュアは、物静かで優しい男に、何時しか好意では無く愛情を抱くようになり、男
もそんなミシュアの想いを受け入れてしまったのだ。
民間では男同士の恋愛は暗黙の内にも認められていたが、由緒ある王族の人間が、しかも異国の男に身も心も奪われるこ
とはあってはならないことだった。
 もちろん、周りは強硬な反対で2人を引き離し、牢獄に幽閉されたはずの男も、何時の間にかまるでその存在が幻だったか
のように姿を消していた。
 悲嘆にくれた王子はそのまま寝込んでしまい、その間に時期王座を狙った人間が工作して、王子は遥か北の地へ療養と称し
て流されてしまったのだ。

 「ごめんなさい、ラシェル」

 別れ際のミシュアの涙は、今でも忘れることは出来ない。
新しく皇太子になった男は優秀なラシェルをそのまま親衛隊長として傍に置きたがったが、全てに絶望してしまったラシェルは除
隊し、そして・・・・・ラディスラスと出会ったのだ。


       


 「その時の・・・・・王子を誑かしたあの男と、似ているんです」
 あの、噛み締めた唇の血の味を、ラシェルは4年経った今でも覚えている。
 「また・・・・・なにか災いが起こるような気がして・・・・・」
 「タマとその男は別人だ」
 初めて聞くラシェルの話に、ラディスラスも驚きは隠せなかった。
確かに剣士としての腕も、頭脳も、ラシェルは海賊の一員にしているのは勿体無いほど優秀な男だ。
その男がなぜ王族の親衛隊長というある種名誉ある地位を捨てたのか、不思議には思っていたがまさかこんな事情だとは思わ
なかった。
しかし、それと珠生のことは全く別の話だ。
 「分かっています。その男は30を越していたと思いますから」
 ラシェルとしても珠生とその男が同一人物とはとても思わないが、目元や横顔がとても似ているので、どうしても感情的になっ
てしまった。
 「ラシェル」
 「・・・・・すみません」
 「いや、お前にも人間らしい感情があるって分かってホッとした。だがな、タマはまだ子供で、守ってやらなければ生きていけるか
どうかも分からない」
 「・・・・・」
 「それに、俺はその王子とは違う。国を背負ってるわけじゃないし、何より抱く側だ」
 「ラディ」
 下世話な言葉にラシェルは眉を顰めるが、直ぐに苦笑をもらした。
確かに、あの堅苦しい王家と、この自由な海賊の船の上では、全ての条件は変わるだろう。
それに、既に分別がつく年齢だったあの男と小さな珠生では、何か起こったとしても対処の仕方はまるで違ってくる。
あの時のように、ただ見ているだけの不甲斐ない自分ではないはずだ。
 「・・・・・分かりました、タマをこの船に乗せることに同意します」
 「そうか」
 「ただし、あの子はまだ子供です。手を出すのは賛成しませんね」
 「・・・・・おいおい」
珠生の乗船に同意を示してくれたかと思った直後に、きっぱりと苦言を呈される。
アズハルに続いての口煩い保護者の誕生に、ラディスラスは眉を顰めながらも口元は笑っていた。