海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 帆をしまい、逃げることを止めた海賊船エイバルに、徐々に謎の船の影が近付いてきた。
既に空は暗く闇に包まれてはいるが、月明かりで視界は十分だ。
もう肉眼で相手方の甲板の上まで見えるが、そこにはずらっとむさ苦しい男達が居並んでいる。
 「お頭、準備は終わりました」
 「よし」
 ラディスラスは船首に立ち、既に剣を持って臨戦態勢の乗組員達を睥睨した。
 「お前ら、悪いが寝る前に少しだけ運動してくれ」
何が起こっているのか、既に皆知っていた。
しかし、乗組員達の中に怯えて逃げ出そうとしている人間は1人としていない。《血を流さない海賊》として名を馳せてはいるが、
元々は荒れくれた海の男達が多いのだ、戦いと聞いて血が沸き立つ者も多い。
それは、彼らの上に立つラディスラスも例外ではなく、輝く長剣を手にしたまま、長髪を潮風になびかせながら叫んだ。
 「いいなっ、言う事は一つ、殺すな!後は思う存分日頃の鬱憤を晴らせ!」
ウオーッという地響きのような声が夜空に響いた。
 「・・・・・」
 それに満足げな笑みを漏らしたラディスラスは、船首から降りてじっと相手を睨みつける。
 「楽しそうだ」
そんなラディスラスに、ゆっくりとラシェルが歩み寄った。
呆れたように言いながらも、ラシェルも久し振りに手にする剣を手に表情は生き生きしている。
元々軍にいたくらいで、戦うという事は身体に染み付いているのだろう。
 「タマは?」
 「アズハルとジェイに頼んだ。多少は言葉が分かるようになったからな、危ないといえば大人しくしているだろう」
(いや、大人しくしていてもらわなければいけないがな)
 自覚は無いようだが、十分騒ぎの中心となっている珠生。
しかし、今回の相手は生温く捕まえて詮議という役人ではなく、手に入れればたちまちその身体を蹂躙するであろう危険なやか
らだ。
 「殺さないとか、生温いことを言っていていいんですか?」
 「相手がまだ見えないからな」
 「まさか、有名なエイバルだと知って握手を求めに来るとでも?」
 「・・・・・まさか」
名前が知れ渡っているとはいえ、エイバルも所詮は海賊の一味で、他の同業者にとってはむしろ目の上のたんこぶだろう。
そんなエイバルを配下にするか討ち落としてしまえば、反対に自分達の名前が上がると、無謀な戦いを挑んできた者達も少な
くはないくらいなのだ。
(まあ、どんな相手だろうと、負ける気はしないがな)
 「そういえば、随分久し振りだな、剣を振るうのは」
 「最近は狙った奴も無条件で金を差し出すし」
 「抵抗しなければ面白くないんだが」
 「傷付けないならそれにこしたことはないですがね」
 生きる為に、裕福な立場の人間から金品を奪う。それがどんな理由であろうとも、犯罪だという事は分かっている。
だからこそ、出来れば無駄な血を流したくないと思っているのは本当だ。
しかし、それが同じ生業の相手では・・・・・相手から剣を振り上げてくるのならば話は違う。
 「思い切りいたぶってやる」
 珠生と出会ってからしばらく、思い掛けなくのんびりとした時間を過ごしてきたが、ラディスラスの中にある熱い闘争心は消えるこ
とはなかったようだ。
もう間もなく始まるだろう戦いに、ラディスラスは既に集中して構えていた。



(何だろ、危ないって・・・・・)
 食堂に連れて来られた珠生は不安そうにアズハルとジェイの顔を交互に見つめるが、2人共言葉の意味とは裏腹なように談
笑していた。
それは珠生を不安がらせない為の芝居であったが、そこまで見抜けるほどに珠生の洞察力は鋭くない。

 「危ないんだ、ここで大人しくしていろ」

ここに珠生を連れて来て言い聞かせたラディスラスの顔は、以前同じようなことがあった時とは違って妙に楽しそうだった。
その意味が分からない珠生はただ不思議そうにその後ろ姿を見送るしかなかったが・・・・・。
 「アズハル」
 「はい?何ですか、タマ」
 名前を呼ぶと、直ぐに柔らかい笑顔を向けてくれるアズハル。
それが自分に対してだけという事は珠生には知らないことだ。
 「あぶない、大丈夫?」
 「ええ、大丈夫です」
 「大丈夫・・・・・」
 「タマが心配することは何もないですよ」
珠生が分かる言葉で、何度も何度も同じ質問をする珠生に根気強く答えてくれるアズハルに、それ以上聞く言葉が見つからな
くて黙ってしまう。
(大丈夫だって・・・・・そうだよな・・・・・)
 「安心なさい」
 「・・・・・」
 自分とは全く違う鍛えられた身体を持っている男達なのだ、多分・・・・・大丈夫なのだろう。
そう心に言い聞かせながらも珠生はやはり気になって、じっと入口のドアに視線を向けていた。



 「タマが心配することは何もないですよ」

 むしろ手加減を忘れて、相手方がどれ程の損害を受けるかは・・・・・他人のことだ、気に掛けてやるつもりもない。
(大体、向こうから仕掛けてきたようなものだし)
衝突を避けようと背を向けたエイバルを、わざわざ追い掛けてきたのだ。
 「きちんと受け止めてやらねば申し訳ないでしょう」
 「?」
まだ難しい言い回しの分からない珠生は不思議そうに首を傾げてアズハルの言葉を聞いていたが、ふと視線を入口の方へ向け
て何か考えるように黙り込んでいる。
 「大人しくしてるな」
 2人の向かいの席に座っているジェイが、笑みを含んだ声で言った。
 「前みたいに暴れないといいが」
 「それは・・・・・大丈夫だと思いますよ」
珠生にはアズハルを付け、アズハルにはジェイを・・・・・その二重もの警戒には苦笑が洩れそうだ。
(私を信用していないわけではないとは思うが・・・・・)
船医として船に乗っているアズハルだが、一通り剣も使えるし荒事に無知というわけではない。
それでもジェイを付けるのは、やはりそれ程に珠生が心配なのだろう。
 「包丁以外のものを握るのは久し振りでしょう?大丈夫なんですか?」
 「切れ味は変わらないだろう」
 「ジェイ」
 「お前は、タマのことだけ考えていろ」
 今でこそ料理長という立場にいるが、元々ジェイも海賊船の頭だった男らしい。
どういった経緯かはアズハルも知らないが、いったん船を下りてある街の食堂で働いていた所を、その味に惚れたラディスラスが
強引に誘ったということだ。
多分、自分よりも強い男だとは思うが、珠生は自分が守りたいと思った。
 「日が昇る頃には終わるでしょうか」
 「日が変わる頃じゃないか?」
 「そんなに早く?」
 「ラディ・・・・・あいつは強いよ」
何を思い出したのか、ジェイは喉の奥で低く笑った。
 「ジェイ?」
 「・・・・・ああ、音がしたな」
 「え?」
 アズハルは気付かなかったが、ジェイは風に乗って聞こえてきたざわめきを耳にしたらしい。
そして、
 「うわっ!」
 「・・・・・っ」
何かがぶつかるような衝撃に船が大きく揺らぐ。いよいよ、戦いは始まったようだ。