海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 乱暴に船首をぶつけてきた相手に、ラシェルは馬鹿がと小さく吐き捨てている。
もちろんラディスラスも同じ気持ちで、真っ向からぶつかってこようとしている相手の根拠のない自信に皮肉な笑みを浮かべた。
 「・・・・・」
ラディスラスはまるで自分を標的にしろとでもいうように先頭に立ったまま、ようやく姿を現わせた相手方の男達に鋭い視線を向
けて言った。
 「この船が同業だと知っての上だな?」
 「エイバルが目の前にいたと分かって逃げる奴がいると思うのか?生憎俺はそんな腰抜けじゃないしな」
 「・・・・・」
 「お前が、エイバルの船長、ラディスラス・アーディンだな?噂の通りの色男のようだが、そんなお前を這い蹲らせることが出来る
と思うと、嬉しくて笑いが止まらないな!」
 饒舌に挑発してくる男は、ラディスラスよりもひと回りは大きな髭面の男だった。
着ている服も、持っている剣も、どこか男とはアンバランスな感じがするのは、きっとそれが略奪した他人の物だからだろう。
ラディスラスは、自分が着る服はきちんと自分用に買い求めるし、手にする愛剣も自分の体格に合わせ、握る柄も指に馴染む
ようにと時間を掛けて造らせた自分だけの剣だ。
その辺の拘りは、目の前の男には欠片も無いらしい。
 「そちらだけが俺の名を知っているのも業腹だな。名前、言えるか?」
 「レジック号のゲイシーだ」
 「レジック・・・・・ついこの間、商船を襲った奴か?」
 「おお、知ってるのか」
 「・・・・・女まで殺したらしいな」
 「ああ、騒いだのは味わってから殺してやった。大人しいのは売ったがな」
 「・・・・・」
 「お前もたいして違わないことをしているだろう?お前のような色男だったら女は自分から足を開くだろうが、俺達みたいなゴツ
イ海の男は嫌われるんでな!」
 大声で笑うゲイシーを、ラディスラスは冷めた目で見つめていた。
自分の蛮行をこんなにも自信たっぷりに話す男の気が知れない。
(・・・・・下種が)
 確かに、ラディスラスもこの男と同じ生業をしているし、自分だけが手が綺麗だとは思わない。
それでも、自分よりも明らかに弱いと思う者に手を掛けようとは・・・・・したことは無い。
 「ゲイシー」
 「・・・・・年上は敬うもんじゃないか、ラ・ディ・ス・ラ・ス・船・長」
 追って来た方側としての余裕だろうか、厳ついゲイシーの顔がいやらしく笑う。
それに負けず劣らずの人の悪い顔で、ラディスラスは持ち上げた剣をペロッと舐めて言った。
 「年寄りはさっさと引退したらどうだ、ジ・ジ・イ」
 「なにおっ!」
 「短気なのは歳の証拠だっ、おいっ!お客さんの腰が立たないくらいに手加減してやれ!!」

  
うおぉおおおお!!!

ラディスラスのその言葉で、いっせいに剣の音が響き始めた。



 「・・・・・っ」
(ゆ、揺れてる?)
 波の揺れとは違う、不規則な振動が伝わってくるような気がして、珠生は思わず隣に座っているアズハルの腕にしがみ付いて
しまった。
 「タマ?」
 「・・・・・」
(なんだろ、声、声も聞こえる、変な叫び声・・・・・)
自分が分からないところで、何かが起こっているのが怖くて、もどかしい。
思わず立ち上がった珠生の肩を、ジェイはポンポンと宥めるように叩いた。
 「大丈夫だ、タマ」
 「ジェイッ」
 「ここには誰も入らせない」
 ジェイが笑って何か言っている。
片目しか見えないジェイ。日本で暮らしていた時の珠生ならば、きっと怖くて近寄ることも視線を向けることも出来なかっただろう
が、今この状況下ではとても頼もしく思えるのが不思議だ。
 「大、丈夫」
 「そう、大丈夫」
 『うわっ』
 また・・・・・声が聞こえた。
掠れたような、悲痛な声。
怖くてたまらないのに、珠生は耳を塞ぐことが出来なかった。



 「ラディスラスッ、覚悟しろ!!」
 「・・・・・」
 背中からの声に素早く振り向いたラディスラスは、慌てずに一刀で相手の腕を切りつけ戦意を喪失させた。
その頬には、絶えず皮肉げな笑みが浮かんでいる。
 「不意打ちなら黙って掛かって来い!」
 乗組員同士の戦いは、目に見えた優劣はどちらにも無かった。
どちらの男達もそれなりの修羅場をくぐっているし、逃げは負けと思っているので一歩も引かない。
エイバルの甲板にはたちまち血の匂いが広がっていくが、そんなもので怯む者はここにはいなかった。
 「何見物している!相手をしろ!」
 ゲイシーが、服の所々に返り血を浴びた姿でラディスラスに剣を向けた。
ラディスラスは飛び掛ってきた相手に蹴りを入れると、そのままゲイシーと向かい合う。
 「何だ、逃げずにいたのか、ジジイッ」
 「お前!」
ゲイシーを挑発しながら、ラディスラスは現状を冷静に見ていた。
確かに乗組員達の実力は拮抗しているが、こちらには元親衛隊の隊長、ラシェルがいる。
その考えの通り、ラシェルはおされている乗組員の所に駆けつけては相手を撃退していっており、もはや誰の目からも優勢はエイ
バルの方としか映らないだろう。
 一先ずは安心と、ラディスラスはゆっくりと切っ先をゲイシーに向けた。
 「ここで降参すれば無傷のまま解放してやろう。俺も弱い者虐めをするつもりは無い」
 「・・・・・っ!誰が引くかっ!」
 「馬鹿な頭を持つと、乗組員が苦労するな」
 「言ってろっ!」
力任せに、ゲイシーはラディスラスに切り掛かっていた。
見掛け通りに力はあるが、剣の技術では自分の敵では無いのは直ぐに分かった。これならばそれほど時間を掛けなくとも決着
はつくだろう。
(長引かせるだけ馬鹿らしい)
 そう思ったラディスラスが剣を振り上げた時、視界の隅に素早く動く影が見えた。
 「!・・・・・っ」
一瞬、注意力が逸れてしまったラディスラスは、ゲイシーの剣を腕に受けてしまった。
反射的に身を引いたおかげで深い傷にはならなかったが、それでも服は切れ、血が滲んでしまう。
 「なんだ、口ほどにも無い!」
 「・・・・・!」
 ラディスラスに一太刀浴びせたゲイシーは高笑いを浮かべたが、ラディスラスはそんなゲイシーに目もくれなかった。
 「何してる!船下に潜り込まれたそ!!」
 「ラディッ?」
 「ここを頼むっ!」
ラシェルにそう言うと、ラディスラスはそのまま甲板を走った。
 「どこへ行く!ラディスラスッ、逃げるのか!!」
背中に投げつけられるゲイシーの罵りなど耳に入らず。
 「待て!!」
途中、切りつけてくる相手を容赦なく切り捨て。
 「タマキッ!!!」
船底の食堂にこもっているはずの珠生の名を叫ぶ。
そこにジェイやアズハルがいることも、ラディスラスの安心の材料にはならなかった。