海上の絶対君主
第一章 支配者の弱点
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※ここでの『』の言葉は日本語です
いきなりジェイが立ち上がったので、珠生は何があったのかと思わずその顔を仰ぎ見た。
何時も優しく笑っているその目が、きつい表情を見せているのが分かると、わけが分からない珠生もどんどん不安になっていく。
「ジェイ」
「来た」
「1人で大丈夫ですか?」
「俺を誰だと思っている?」
アズハルと交わす言葉の調子は何時ものようだが、2人の表情は固いままだ。
珠生はジェイが手にしている剣をじっと凝視してしまった。
(あれ、刀、だよな?模造品・・・・・じゃないよな?)
自分も幼い頃、プラスチックの刀を振り回して遊んでいたことがあったが、ジェイが手にしているそれの質量はとても玩具には見え
ない。
いや、ラディスラス達が普段から腰に携えている物も、玩具ではないことは確かなのだ。
(あれで切っちゃったりしたら死んじゃうって!・・・・・っていうか、自分だって死ぬよ!)
改めて、珠生は自分が今いる世界のことを思い知らされた気がする。
ここは平和ボケした日本ではなく、《戦う》という現実がある世界なのだ。
「・・・・・っ」
珠生はハッと上を見た。
今甲板にいるはずのラディスラス達は無事なのか、急に不安でたまらなくなった。
あんなに意地悪で俺様な相手でも、死んだりしたら・・・・・。
「ア、アズハルッ」
「安心なさい、タマ。ジェイは凄腕の剣士です」
「美人と可愛い子を守る栄誉を与えられて幸運だ」
ジェイはクシャッと珠生の髪を一撫ですると、そのままゆっくりとした足取りで食堂から出て行った。
(・・・・・3人か)
包丁の代わりに剣を握るのはどれぐらいぶりか・・・・・ジェイはゆっくりと鞘から剣を抜いた。
自分が海賊の頭だった頃はそれなりに暴れもしたが、エイバルに乗り込んでからはそんな機会も無かった。
ラディスラスは頭のいい男で、無駄な戦いはしなかったし、参謀であるラシェルも優秀だった。
たとえ、ぶつかって戦う時があったとしてもこの2人で十分強いので、ジェイの出る幕など無かったのだ。
(今回は特別だしな)
常ならば、今回もジェイには剣を握る必要など無かったはずだったが、そのジェイに用心棒のような真似をさせてまでも守りたい
ものがラディスラスにはあった・・・・・珠生だ。
今のラディスラスにとっては珠生はかなり大切な存在になっているというのはジェイも知っているし、ジェイ自身も突拍子も無いこと
をやらかせて何時も笑わせてくれる珠生を気に入っているのだ、念の為の用心棒の役割など、喜んで引き受けるほどには。
「・・・・・」
そして、今回は念の為にとラディスラスが頼んだことは無駄ではなかったらしい。
上の喧騒の合間を掻い潜った侵入者が船下にまで来たようだ。
「・・・・・っ!」
「なんだ、物騒だな、その格好は」
狭い階段を駆け下りてきた侵入者達は、そこにジェイの姿を見つけてギクッと足を止めた。
格好は白い料理人の上着を着ているが、剥き出しの腕も服の上から見れる胸板も、かなり鍛えているらしいというのは分かるの
だろう。
直ぐには切りかかっては来ずに間を置く侵入者達に、ジェイはわざと挑発するように言い放った。
「どうした?このまま見合っていても何も変わらないぞ」
「・・・・・」
「それとも、たかが料理人にも勝てないほどの情けない腕前か?」
「・・・・・野郎っ!」
笑えるほどにあっさりと挑発に乗る男達は、腕だけを頼っているあまり頭のいい人間ではないのだろう。
ジェイはゆっくりと剣の切っ先を男達に向けた。
「誰から始めるんだ?」
「タマキ!!」
ラディスラスが疾風のように食堂に駆けつけると、既にジェイの足元には2人の侵入者が蹲るようにして倒れていた。
2人共足の腱を切られているのか、そこから血を流しながら立ち上がることが出来ないようだ。
「ジェイッ」
「なんだ、ラディ。上は終わったのか?」
「・・・・・いや、まだだ」
「タマが心配で下りてきたのか。名だたるエイバルに船長も、恋を知ればただの男に成り果てるか」
「・・・・・」
ジェイの軽口に苦笑を浮かべながらも、ラディスラスは心の中で深い安堵の溜め息をついた。
ジェイを付けていれば心配は無い・・・・・自分でそう思ってジェイを珠生の傍に残したのに、いざとなると頭に血が上って冷静な判
断が出来なかったようだ。
「タマは?」
「中でアズハルといる」
「そうか」
「奴らは中には入れていないぞ、船長」
それは、ここで完璧に足止めをしたという事なのだろう。
ラディスラスは頷いた。本当はこのまま直ぐに船上へ戻らなければならないのだが、どうしても自分の目で珠生の無事な姿を見て
おきたいと思ってしまった。
「・・・・・」
残りの1人も、ラディスラスとジェイの2人揃った姿を見て既に逃げ腰になっている。もはや、ジェイの手を煩わせるほどの存在に
もなりえないだろう。
「すまない、頼むぞ」
「イチャイチャは程々に」
「分かってる」
ただ、無事な顔を見たいだけだ。
「タマ」
ラディスラスは愛しげにその名を呼びながら、そのまま食堂のドアを開けた。
ドアの向こうで、鉄のようなものがぶつかり合う鈍い音と、男のものの苦痛を漏らす声がする。
一体このドアの向こうで何が起きているのか分からないが、珠生はずっとアズハルの服を掴んだままドアを凝視するしか出来なかっ
た。
やがて、その音が止んだ。
それと同時に、
「タマ」
耳慣れた声がして、ドアが開かれた。
「ラディ・・・・・」
ラディスラスの顔を見た瞬間の気持ちは、どう表現していいのか・・・・・とにかく、珠生はホッとして、何時もは憎まれ口をたたき
たくなる口から縋るようにその名を呼んだが・・・・・。
「タマ、大丈夫か?」
『うわああああ!!何っ、それぇ?!』
「タマ?どうした?」
大声で叫んでしまった珠生は、大きな目を更に零れそうなほど大きく見開いた。
(血、血が・・・・・)
肩口の服が切り裂かれ、そこから赤い血を滲ませているラディスラスを見て、珠生は軽い眩暈を感じてフラッと足をもつれさせてし
まう。
(こ、これ、本・・・・・物?血糊、とか、ケチャップじゃ・・・・・ない、よな?)
今までの珠生の人生の中で、こんな風に流れる血を見たことがない。
それは映画やドラマの偽物の血とは違う、ドキュメンタリー番組で見る手術中の血とは違う、リアルな現実で・・・・・。
『何だよ!それ!は、早く、包帯!ぬ、縫わないと、もうっ、ラディッ、ぼーっとしてないで早く手当て!死んじゃうだろ!!』
とにかく、この血を何とか止めなければと思った。
どんなにいけ好かない奴でも、死んでしまうなんて嫌だった。
慌てていた珠生は、引っ張っているラディスラスの手が怪我をしている方だと気付かないまま、グイグイとドアの外まで引っ張って行
き、
『ぎゃあああああああ!!!し、死体がある〜!!』
「タマッ」
足元に血を流して倒れていた男達の姿を見て、珠生はとうとうその場に腰を抜かして座り込んでしまった。
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