海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 目の前の光景に、珠生はもうどうしていいのか分からなかった。
(こ、これ、死・・・・・んでる?)
もしも、この血塗れの男達が死んでいるとしたら、直ぐ側に血で濡れた剣を握っているジェイは殺人犯だという事になる。
(う・・・・・ヘビー・・・・・)
本当ならここから逃げ出したいくらいだが、腰が抜けて自分ではなかなか動くこともままならず、それと同時にこのジェイが殺人者
という実感はまるで無いのだ。
今だ自分はこの世界にいることを夢だと思っているのかもしれない。
 「・・・・・」
 珠生は、少しだけ身を乗り出して倒れている男達を見た。
何だか生臭い気がするが、それが血の臭気だと分からない珠生は顔を顰めたまま、そっと手を伸ばしたが・・・・・。
(な、生で触るのは・・・・・ヤかも)
さすがに死体かもしれないものを手袋もしていない手で触るのは怖くて、珠生は辺りを見回した。すると、ちょうど近くに長い筒の
ようなものが落ちている。
(これ、借りよ)
珠生はその筒を掴むと(それはジェイが投げ捨てた剣の鞘だが)、そっと倒れている男の腰辺りを突いた。
 「・・・・・ぅ・・・・・」
 「あ」
 微かな、応えがあった気がした。
珠生は後の2人も同じように筒で突き、ほんの少しだが呻き声がしたのを今度こそ聞き取って、ようやく深い安堵の溜め息を付
いた。
 『生きてる・・・・・』
(ジェイは殺人者じゃなかった・・・・・良かったあ)
 しかし、安堵したのも束の間、このまま放っておけば今度こそ本当に死んでしまうと思った珠生は、それまで珠生が何をするの
か観察するように見ていた3人の男達を振り返って言った。
 「大丈夫ない!みてください!!」



(何してるんだ?)
 血を流して倒れている侵入者を見て驚くのは分かる。
その拍子に、腰が抜けてその場に座り込んでしまうのも分かる。
しかし、その後、鞘を掴んで倒れている男達の身体を突いたのは・・・・・意味が分からなかった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 ラディスラスと同じ気持ちなのか、ジェイも黙ったままその様子を見、後から食堂から出てきたアズハルもその光景に足を止める。
そんな一同の視線など少しも気付いていないような珠生は倒れている3人をそれぞれ突いた後、おもむろに顔を上げて叫んだ。
 「大丈夫ない!みてください!」
 「・・・・・」
 「早く!」
 「・・・・・タマ、こいつらは敵だ。そのまま海に放り込んだとしても文句の言えない立場の奴らだぞ?」
 ラディスラスはまだ立てない珠生の目線に合わせてしゃがみ込むと、まるで子供に言い聞かせるように目を見ながら言った。
しかし、
 「みてください!」
 「・・・・・」
多分、この《みて》は、《見て》ではなく、《診て》という意味なのだろう。
その証拠に、珠生の視線は自分を追い越してアズハルに向けられていた。
 「・・・・・アズハル、フリでいい」
何もしないでは収まらないような珠生の剣幕に、ラディスラスはアズハルにそう言った。
アズハルも侵入者に対してわざわざ診察するほどに優しい男でもなかったが、珠生の手前、男達の傍で跪き、その首筋に揃え
た2本の指を当てて真剣な表情をする。
その様は、やはり医者らしかった。
 「切られているのは手や足だけですし、血の量から比べれば脈も呆れるほどに力強い。ショックを受けているだけですよ、大丈
夫」
 「大丈夫?」
 「ええ、大丈夫です」
 その瞬間に珠生の頬に浮かんだ笑みは、とても可愛らしくて優しかった。
(俺の言葉は信じないくせに、アズハルの大丈夫はいいって言うのか?)
自分と、医者であるアズハルの言葉の重さが違うのは分かるが、それでもラディスラスは面白くはなかった。
合わせて、侵入者などに珠生の意識が向かっているのも更に面白くない。
 「・・・・・痛」
 ラディスラスはわざと掠り傷の腕を押さえて声を出してみた。
すると、珠生はハッとラディスラスの腕を見て泣きそうに顔を歪める。
 「アズハルッ、薬!薬!」
覚えた単語を叫びながら、珠生はようやくヨロヨロと立ち上がった。



 早く消毒を、とか。
直ぐに縫わないと、とか。
言葉さえ分かるならばそう叫びたいのに、今の珠生のボキャブラリーはまだかなり少ない。
それでも知っている限りは使わないとと思いながら、血で濡れているラディスラスの腕をじっと見つめた。
それ程に深い傷のようではないが、これだけ血が流れているのだ、きっと痛いだろう。
(いや、痛いって!)
これ程の怪我をした事がない珠生は想像するだけで身震いしてしまいたくなるが、とにかく早くラディスラスを、ついでにそこに倒
れている男達もどうにかしてやらなければならない。
(包帯とか、薬とかは・・・・・あっ、アズハルの部屋にあるよなっ)
 医務室を兼ねたアズハルの部屋にならば色々揃っているだろう・・・・・そう気付いた珠生はパッと走り出した。
 「タマ!」
 「待ちなさいっ!」
 「止まれ!」
直前まで腰が抜けていた珠生がこんなに急に走り出せるとは思わなかったのか、一瞬対応が遅れてしまったラディスラス達の引き
止める声が聞こえたが、一つのことに集中している珠生は何時も以上に早く船上に駆け上がった。
 「・・・・・うわっっっ!!」
 そして、甲板に続くドアを開けた瞬間、珠生は今度こそこれが夢であって欲しいと思ってしまう。
 「うぅ・・・・・」
 「い、痛いっ!」
 「うぐふっ」
(・・・・・せ、戦国、時代?)
毎日綺麗に掃除されている甲板の板の上には、何人か数えることも出来ないくらいの人間が倒れていた。
口々に苦痛の声を漏らし、身体のあちらこちらから血を流しているのは、見知らぬ男達ばかりではなく珠生もよく知っている船員
達もいる。
 『な、なんだよ、これ?これって戦争?今、戦争が起こってるのか?』
 呆然と呟いた珠生の視界の端に、剣を振るうラシェルの姿が映った。
ラシェルが相手をしているのは彼の倍ほどもあるような巨漢の男で、高い音を響かせて交えている剣の優勢がどちらかは、一般
日本人の珠生には全く分からない。
しかし、見た目だけで見れば、巨漢の男の方が力が勝っているのかと思う。
(ど、どうしよ、助けるっていったって、俺じゃとても太刀打ち出来ないし・・・・・でも・・・・・)
 何かないか、珠生は素早く甲板の上を見渡す。
と、珠生はまだ自分がさっき拾った筒を握っていることに気付いた。
(こ、これしかない?)
 『・・・・・えいっ!』
 その筒を巨漢の男に投げつけたのと、
 「タマ!」
船底からラディスラス達が駆け上がってきたのと、ほぼ同時だった。
珠生にとってはこの非現実的な光景をまるで何時間も見ていた感覚だったが、実際には珠生が甲板に飛び出してから筒を投
げつけるまで、1分も経たないほどの一瞬の出来事で・・・・・。

  
カラン・・・・・

 珠生の非力さではとても狙った場所まで届くはずもなかったが、甲板に転がった静かな音はまるで爆弾を落としたような威力
で、珠生の目論見からは外れたものの一瞬のうちにその場にいた者達の動きを止めてしまった。