海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 珠生が手にした剣の鞘は、大きく弧を描いて・・・・・というより、珠生の足元からそう遠くない場所に音をたてて転がった。
昔から愛用しているジェイの剣は鞘にもかなり手の込んだ装飾がしてあり、一見重厚でシンプルながらも珠生の手には重かった
のだろう。
(・・・・・ったく)
 ラディスラスは呆然と立ち尽くしている珠生の肩を抱くと、そのまま素早く周りの状況に目を走らせた。
ラディスラスが船下に行く前は五分五分か、自分達が少し優勢にたっている感じだったが、今もほとんどの乗組員は傷が無い者
はいないほどに負傷したまま、剣を持って相手に対峙していた。
仮にも海賊と言われている立場で、相手よりも先に膝を折るなど矜持が許さないのだろう。
そして、少し離れた場所では相手方の海賊頭ゲイシーとラシェルが向かい合って立っていたが、いきなり現われた珠生の姿に、2
人の剣は止まってしまっていた。
 「タマ・・・・・」
 ラシェルは珠生の無事な姿にホッとしたようだったが、ゲイシーは海賊船にまるで似つかわしくない珠生の姿に、大きく目を見開
いて呟いた。
 「・・・・・女、か?」
 「ゲイシー」
 「女を隠してやがったのか!」
 船の上では略奪した時くらいしか女を抱くことは出来ず、それも数としてはごく僅かなものだ。
だからこそ、いったん女が海賊に捕らわれれば、散々遊ばれて売り払われてしまうのが常だった。
ラディスラスからすれば、珠生は女のように華奢だが女には見えない。しかし、ゲイシーからすれば、珠生は十分女の代わりには
なるのだろう。
 途端に、いやらしい笑みを浮かべながらいきなりこちらに戦いを仕掛けてきたゲイシーに、ラディスラスはパッと珠生の身体を後
方のジェイに放り渡すと、そのままゲイシーの剣を受け止めた。
珠生という獲物が目の前に現われて発奮したのか、先程よりもゲイシーの剣は重く鋭く、ラディスラスは唇を噛んで力任せに押し
返した。



 「大人しくしてろ、タマ」
 ジェイにしっかりと肩を拘束された珠生は、瞬きも忘れてラディスラスと大男の打ち合いを見ていた。
それは古い海外の映画の戦いと同じだが、画面で見るのと実際に肌で感じるのは大きな差がある。
 「・・・・・っ」
 時折相手の剣が掠った場所には赤い線のような血が滲み、ラディスラスは顔を顰めていた。
もちろん、ラディスラスの剣も相手以上に相手を傷付け、血を流れさせているが、どちらが優勢なのかは珠生には全く想像つか
ない。
(ど、どうすればいいわけっ?)
 ラディスラスが傷付くのは嫌だが、かといって相手が血を流し、死ぬようなことがあるのも・・・・・嫌だ。
だが、この肌が痺れるような殺気の前では、笑ってここでお終いと手を打つことも出来そうに無い。
(ど、どうしよう・・・・・)
 周りではお互いの頭同士が戦っているのを見て、再び剣を交え始める者も出始めた。
 「タマ、下に下りていよう」
これ以上珠生に血生臭い光景を見せないようにか、ジェイがその肩を少し強引に抱き寄せようとした。
しかし・・・・・。
 『逃げられるわけないじゃん!!』
 「タマ?」
 『こ、怖いけど、やだけど、このまま逃げたらラディ、死んじゃうだろ!』
 自分が何か出来るほど力を持っていると思わない。
正義感を気取って、争いを止めようとも思っていない。
ただ、このままあの大男にラディスラスが倒されてしまうのは見たくなかった。
(メ、メロメロ作戦だって途中だし、大体あのむかつく男は俺がぎゃふんと言わせるんだから!)



 何時まで経っても珠生を船下に連れて行こうとしないジェイにラディは苛立った。
 「タマを下へ!」
自分が誰かを切るところを見られて嫌われたくないし、誰かに傷付けられて血を流すところも見られたくはない。
 「早くしろ!」
 「どこ見てるんだっ、ラディスラス!!」
ラディスラスの視線がよそを向いているのに気付いて叫んだゲイシーは、そのまま体重を掛けて切り込んでいく。
 「・・・・・ぐっ」
さすがに重かったのか、ラディスラスの足は後退し、額にも汗が滲んできた。
ただ、倒れるまでにはいかずに持ち堪えたラディスラスは、そのまま足を引っ掛けてゲイシーの巨体を倒した。
 「ぐはっ、卑怯だぞ!」
 「こんな時に卑怯なんて関係ないな」
 「お前〜っっっ!!」
 「身体が重いから足が弱るんだっ!もっと痩せる運動でもしたらどうだ!!」
 ゲイシーに向かってそう叫びながら、ラディスラスは素早くジェイに珠生を連れて行けと視線で命令する。ジェイは直ぐにその命
に頷いた。
 「タマ、行くぞ」
 『離せってっ、ジェイ!』
 「・・・・・っ?」
(タマっ?)
何か、揉めているのか、珠生はジェイの腕を振りほどこうとしている。
そして・・・・・。
 「うわあああああ!!」
 振りほどこうとした勢いが有り過ぎたのか、珠生はバランスを崩してその場に尻餅をついてしまった。
 「タマッ!」
ハッとしたラディスラスの直ぐ横を、巨漢のゲイシーも走る。
 「女がウロチョロするんじゃね〜!!」
 「・・・・・!」
(まずい!!)
自分達と珠生の距離はそれ程離れてはいなかった。



 「タマ、行くぞ」
 ジェイが腕を引っ張る。
 『離せってっ、ジェイ!』
まだ自分が何をしたらいいのか分からない珠生は、このままこの場を去ってしまうことがどうしても出来なかった。
珠生はジェイの手を振りほどこうとするが、その力は意外と強く、このままではまた下に連れて行かれると思った珠生は思い切っ
てジェイの手の甲に爪をたてた。
 「・・・・・っ」
 それ程の威力は無いはずだが、いきなりの事にジェイの力は僅かだが緩み、その隙を狙って珠生は思いっ切り腕を振り払う。
 「うわあああああ!!」
しかし、余りにも勢いが良過ぎたのか、それとも甲板を汚す血で滑ったのか、珠生は再び尻餅をついてしまい、それと同時に、
 「女がウロチョロするんじゃね〜!!」
まるで、ゴリラのように自分に迫ってくる大男が目の端に映った。
 「ひゃあああああわあああ!!」
 思わず身を伏せようとした珠生の目に、先ほど投げたもののほとんど飛ばなかった筒が見えた。
 「・・・・・!!」
 「タマ!!」
反射的にその筒を掴んだ珠生は、座った格好のまま下から上へと筒を振り上げる。
何かにぶつかる鈍い感触が手に伝わった。
その瞬間、
 「グゲッ・・・・・っ」
奇妙な、鈍い声がして、続いて何かが倒れる大きな音がした。
 『・・・・・へ?』
 恐る恐る顔を上げた珠生は、自分の直ぐ側で白目を剥き、口から泡を出して倒れている大男の姿を見つけた。
 「な・・・・・」
珠生の握っていた筒は、丁度男の股間辺りを指しており、何があったのかを物語るように、男の手は無意識の内に股間を押さ
えていて・・・・・。
 『あ、当たっちゃった・・・・・?』
男の運がよほど悪かったのか、それとも珠生の運が勝ったのか、思い切り振り上げた剣の鞘は男の股間を直撃し、珠生は意図
せず敵の頭を倒したことになってしまった。