海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 本来なら、そのまま船に押し込んでさっさと離れるのが常だったが、今回はそうはいかなかった。
なぜなら・・・・・。
 「ラディ!水!」
 「はいはい」
 「ラディ!」
急げと言わんばかりに自分の名を呼ぶ可愛い子猫は、自分の船の乗組員達はもちろん、敵の傷も気になって仕方がないらし
かった。
渋るアズハルの手を引っ張って怪我人の世話を始めた珠生だったが、やはり血に触れるのは怖いのか、傷口を洗う役目をなん
とラディスラスに押し付けてきた。
 身振り手振りでそれを伝えられた時、さすがにラディスラスは驚いてしまったが、次の瞬間面白いと思ってしまった。
(敵に施すとは・・・・・な)
エイバルの乗組員達は、さすがに自分の頭領に手当てをさせるのは申し訳ないと腰を引いたが、ラディスラスはそんな相手こそ
面白がって世話をしてやった。
もちろんラディスラスの切れた腕は一番最初に手当てはしている。
 「タ〜マ、終わったぞ」
 「・・・・・」
 「タマ、ほら、急げ」
 何時もならその呼び方に思いっきりたてついてくる珠生も、今回は人手の確保の為か頬を膨らませながらも素直に側にやって
きた。
 「早く、薬を塗って包帯を巻いてやれ」



(・・・・・なんか、意地悪されてる気分なんだけど・・・・・っ)
 珠生は内心そう思いながらも、ぐっと我慢してラディスラスの言う通り動いた。
中学生の時に保健委員にはなったことがあるが、もちろん刀傷を負った者がいたはずもなく、擦り傷や切り傷を消毒したくらいの
経験しかない。
そんな自分がなぜ率先して傷の手当をしているのか、珠生は自分でも分からなかった。
 ただ、昔から父がよく言っていた。

 「出来ないことはしなくていいけど、出来ることがあればやってみたらいい」

誰かと誰かが傷付け合うぐらいに争うなど、これまでの珠生の生活からは想像がつかない。
それでも、傷口に薬を付けてやる事ぐらいしてもいいと思った。それぐらいなら自分でも出来る。
 「・・・・・」
 珠生はチラッと、今だ倒れている大男に視線を向けた。
どうやらこの男が向こうの船の責任者らしく、珠生が偶然にでもこの男を倒してしまった後、相手の勢いは目に見えて無くなって
しまったのだ。
今は甲板の隅で固まっている向こうの船の乗組員達は、自分達の待遇に返って怯えて不安そうだ。
海賊同士がぶつかった時、負けた方は殺されないまでも奴隷のようにこき使われたり、商品価値のある者は売られたり、それか
そのまま放置されるのが常識だからだが・・・・・珠生はそんなことは知らない。
 自分とはそう歳が変わらないような相手の乗組員の姿を見つけると、警戒も何もなくトコトコと歩み寄って切れた傷に薬を塗っ
てやった。
 「・・・・・っ」
薬が滲みるのか、痛そうに顔を歪めるとこちらまで痛く感じてしまうが、珠生は手を動かすことを止めない。
(お腹空いたなあ・・・・・夕飯、まだだったし。でも、さすがにこの人達に食べ物を分けるっていうのはおかしいだろうな)
 ふと、珠生は手にしている薬を見た。
(これだってタダじゃないんだろうし、喧嘩相手に使うのはみんな気持ちよくないんだろうなあ・・・・・どうしよ)
薬を使っても、エイバルの皆が納得出来る解決方法を珠生はじっと考え込んだ。



 何を考えているのかじっと手元に視線を落としている珠生を見、ラディスラスは本当に予想がつかない奴と苦笑を浮かべる。
 「ラディ、大体終わりました」
珠生とジェイを助手に治療を続けていたアズハルが(珠生はほとんど役にたたなかったかもしれないが)ラディスラスに報告をしに
来た。
 さすがに鍛えている海賊達はどちらとも致命傷という傷は負っていないようで、血の量の割には軽傷といっていいだろう。
この中で一番の重傷者は、もしかしたら珠生の一撃に倒れたゲイシーかもしれない。
 「あれは?」
 「死ぬことはないでしょう」
 「なら、あのまま船に放り込むか」
 ラディスラスはチラッと固まっている敵方の方へ視線を向けた。
 「おい」
一声かけただけで、男達はビクッと身体を硬直させている。かなり戦意は喪失しているらしい。
 「こいつの次は」
 「・・・・・俺だ」
立ち上がったのは、ラディスラスよりも少し年上ぐらいの、鍛えた筋肉の持ち主だった。
 「名は」
 「甲板長、セム」
 「では、セム、お前達の頭を船に運べ。終わったらそのまま立ち去ったらいい」
 「・・・・・いいのか?」
 「弱い者苛めをすると、怒り出す子猫がいるからな」
 腕を競い合うのは楽しいし、自分の技術を相手に見せ付けるのも悪くはないが、形のない優越感まで満足させようとは思わ
ない。
第一、珠生に倒されてしまった男相手に、これ以上何かをする気は起きなかった。
 「お前達幸運だったぞ、うちの子猫に引っ掻かれたくらいですんで」
少しの傷でも付けたら命は無かったと笑うラディスラスに、セムは複雑な表情をしながら倒れているゲイシーに視線を向けた。



 「ごめんなさい、ジェイ。痛い?」
 「気にするな、タマ。結局は何もなかったんだし、お前の一発は爽快だった」
 相手は気の毒だったがなと笑ってくれたジェイに、珠生もようやく笑みを浮かべた。
無我夢中だったとはいえ、自分を争いに巻き込まないようにしてくれていたジェイを引っ掻いてしまったのだ。
(ジェイが優しくて良かった〜。あの意地悪大王と大違い)
ジェイの手の甲に薬を塗った珠生は、ラディスラスの様子を見ようと振り返った。
 「あ」
 すると、何時の間にか固まっていた相手方の乗組員達がゾロゾロと自分の船に帰って行ってるのが見えた。
 『うわっ、嘘っ、まだ貰ってない!』
このまま相手を帰してしまえば、エイバルは丸損になってしまう。
勝手に喧嘩を売られ、勝ちはしたものの怪我人を出して、相手方の治療までしてやった。
珠生はこれを喧嘩両成敗にする為に、急いで一団に駈け寄った。
 「タマッ?」



 「タマッ?」
 ジェイの声に振り向いたラディスラスは、勢いよく掛けてきた珠生に目を見張った。
 「タマ?」
しかし、珠生はラディスラスの声が耳に入らなかったように、最後に船を移ろうと渡り板に立ったセムの服を掴んで叫んだ。
 「薬!金!」
 「・・・・・」
 さすがに途惑ったように、セムは自分の服を掴む、自分の頭領を倒した珠生を見下ろす。
その強面の顔を微妙に避けるように視線を逸らしながら、珠生はもう一度、今度は意味が繋がるように言った。
 「見ました、お礼、見ました、薬。お金、下さい!」
 「・・・・・治療代か?」
呆然と呟いたセムに、珠生はきっと唇を引き結んだ顔で返答を待っている。
最初に反応を返したのは、アズハルだ。
 「良い事を言いましたね、タマ。治療をしてやってその代金を貰うのは当然のことです」
 「そうだな、その方が遺恨も残らない」
ラシェルも笑って珠生の頭を撫でる。
次の瞬間、ラディスラスも大声で笑うと、唖然としたままのセムに人の悪い笑みを向けた。
 「・・・・・と、いう事だ。薬代ぐらい貰っても悪くないな?ああ、ついでに、甘い物もあったら分けて欲しいんだが。今夜大活躍し
た可愛い子猫にご褒美をやらないといけない」