海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点





                                                         
※ここでの『』の言葉は日本語です






 食事を途中で邪魔をされた珠生は、面白くない気分でじっとアズハルを睨んでいた。
今の珠生にとっては食べることくらいしか楽しさはなく、その唯一といってもいい楽しみを簡単に打ち切るラディスラスの傲慢さは
頭にくる。
しかし、それを本人にぶつけるのは多少怖い気もするので、この目の前の穏やかな男に八つ当たりするしかなかった。
 「タマ、お腹が空いてたのですか?」
 『・・・・・』
 「言ってくれたら・・・・・いえ、言葉がまだ分からないんでしたね。・・・・・困ったものだな」
 苦笑しながら何か言っている男は、きっと自分の事を仕方ない子供だと思っているのだろう。
(・・・・・タマって言うな、バカ)
言葉が伝わるならば言ってやりたいぐらいだが(実際にそうならば言えないかもしれないが)、言っても仕方がないと諦めて、珠生
は連れて来られた部屋を見回した。
 この世界で初めて目覚めた時にいたこの部屋は、あの傲慢な男の部屋でもあるらしく、中にはとても自分には着れそうにも無
い大きな服や靴が意外にも几帳面に並べてあった。
本らしきものもいくつかあったが、多分字は読めないだろう。
(何の情報も仕入れられないなあ・・・・・)
 「タマ?」
 『だから、タマって言うのは止めてくれってば!』
 「少しは言葉が通じると助かるんですが」
 『だから〜っ!』
 「確か、ラディの名前は言えましたよね?では、私の名前も覚えてもらえますか?私はアズハル、アズハル・キアです」
 『・・・・・』
 「アズハル、アズハルですよ、分かりますか?」
 『・・・・・もしかして、名前?』
 自分の顔を指差しながら、何度も同じ単語を繰り返す目の前の男に、珠生は以前自分に名前を教えた男の姿が重なって
見えた。
(・・・・・呼んであげた方がいいのか・・・・・?)
ラディスラスとは違い、自分に対しては何時も優しく接してくれるこの男にそれ程の恨みはなく、街で見た剣捌きの見事さも頭の
中に蘇って、珠生はじっと男の顔を見つめながら口を開いた。
 「あ・・・・・ちゅ?」
 「ア・ズ・ハ・ル」
 「あ、す、ふぁ、る?」
 「アズハルですよ、タマ」
 「アズ、ハル?」
 「そうです、よく言えましたね」
大きな、しかし細く綺麗な指をした手で頭を撫でられ、珠生はなぜか照れ臭くなってしまった。
(何だか・・・・・父さんに雰囲気が似てるんだよな・・・・・)



 何時も見せる反抗的な視線ではなく、少し照れ臭そうな表情になった珠生は、容姿とも相まってとても愛らしい少年になっ
た。
(ラディが気に入るのも分かるが・・・・・)
楽しいことが好きで。
胸の大きな女が好きで。
誰か1人ではなく、摘み食いのように渡り歩く浮気性な男。
 そんな享楽主義な海賊の頭領を気取っているが、本来のラディスラスは生真面目な男だ。
特定の女を作ることをしないのは、自分が海賊であるので相手の女に何かあったらと危惧するからで、奪った女達にも手当り
次第手をつけているわけではない。
自分の容姿のみに惹かれる女達を、ラディスラスはどこかで一線を介して拒絶しているくらいだった。
 そんなラディスラスにとって、自分に媚を売らないどころか、反発さえしてくるこの生意気な少年が珍しくも可愛いのだろう。
不思議な出現も探究心をそそっただろうし・・・・・。
(この綺麗な夜の瞳も・・・・・)
見たことがない黒い瞳は、今もまるでアズハルを吸い込みそうなほどに輝いている。
これだけでも魅力的だなと思っていると、首を傾げた珠生がもう一度名を呼んだ。
 「アズハル?」
 「・・・・・ええ、そうです」
(参った・・・・・可愛い生き物だな・・・・・)
 「・・・・・タマ、何か食べますか?」



 ラディスラスがラシェルを伴って部屋に戻ってきた時、珠生とアズハルは和やかにお茶を飲んでいた。
(・・・・・この香りは、レシンか)
甘い香りのこのお茶はアズハル秘蔵の物で、滅多に他の人間には分けてくれないほどに貴重なお茶だった。
そのお茶と、温かい甘い蒸かしパンを頬張りながら、珠生は可愛い笑顔をアズハルに向けている。
この短期間に2人の間に何があったのか、ラディスラスはアズハルに聞いた。
 「タマの機嫌は直ったのか?」
 「ええ、腹が空いていたのでしょう」
 「・・・・・」
 「タマ、私の分も食べなさい」
 「アズハル」
 「・・・・・」
(名も・・・・・呼ぶのか)
 たかがそれだけで腹をたてる道理はないかもしれないが、それでもラディスラスは面白くない気分になり、そのまま珠生が腰掛
けている自分の寝台に自分もドカッと座った。
 「・・・・・」
 自分の直ぐ隣に腰掛けたラディスラスを珠生は一瞬睨んだが、直ぐにあむあむとパンを食べ続けている。
その姿は何かの小動物のように可愛らしいが、自分に対しての余りの素っ気無さが少しだけ癇に障った。
 「タマ」
 その時、入口に立っていたラシェルが珠生の傍まで歩いてくると、片膝を着いて視線を合わせてから静かに言った。
 「お前に対して冷たい態度を取ってしまった、すまない」
 『・・・・・?』
 「自分の感情を、何も知らないお前にぶつけてしまった。まだ子供のお前には関係のないことだったのに・・・・・」
言葉が伝わらないことは分かっていたが、とにかく一度きちんと謝りたかったラシェルは、珠生に向かって深々と頭を下げた。



(何・・・・・言ってんの?この人)
 一方的に話しかけられ、頭まで下げられた珠生は途惑うしかなかった。
何かを謝られているのは雰囲気で分かるが、一体それが何なのかまでは分からなかった。
それでも、きちんと頭を下げてくれる目の前の男には好感が持てるし、何時までも腹をたてているのも大人じゃない気がする。
 『まあ、いいって。何言ってんのかは分かんないけど、大の男が頭を下げることないよ』
 「・・・・・何を言っている?」
 『それより、あんたの名前教えてよ。名前くらい知らないと、何かあった時呼べないし』
ラディスラスの魔の手から逃れる手段は幾つか確保しておいた方がいいだろう。後々の脱走の時にも何か手助けになるかもし
れない。
 珠生は、
 「ラディ、アズハル」
と、それぞれを指差しながら言い、次に男を指さした。それが名前を聞いているのだろうと直ぐに分かったらしく(頭の回転はい
いようだ)、目の前の男は苦笑を零しながら言った。
 「ラシェル。ラシェル・リムザン」
 「ら・・・・・」
 「ラシェル、ラシェルだ」
 「ラセル、ラセ・・・・・ラシェ・・・・・ラシェル」
 「そうだ」
何度も繰り返した名前が正解した時に笑ったラシェルの顔は意外にも整っており、珠生は、
(この世界の美形度って高いなあ)
と、のんびりと思っていた。