海上の絶対君主




第一章 支配者の弱点





                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 空が赤く染まる頃、荷物の運び込みが全て終わった海賊船エイバルはいよいよ出航の時を迎えた。
出航とはいえ、船自体は湾内にあるわけではなかったが(さすがに海賊船なので)、それでも陸を離れるという事実に変わりはな
かった。
 『陸・・・・・離れるんだ・・・・・』
 甲板で、船員達の出航の準備を横目で見ながら、珠生は泣きそうに顔を歪めて街の方向をじっと見ていた。
電気というものは無いものの、蝋燭や松明、他にも様々な工夫で灯っている明かりが、船が動き始めれば遠く彼方になってしま
うのだ。
(もう、帰れなくなっちゃうのかな・・・・・)
 このヘンテコな世界に迷い込んで、一番最初に現われたのは海の上だった。
そこから一番近いこの街は、もしかしたら珠生が帰れる一番可能性の高い場所だったかもしれない。
あの、不思議な洞窟を、この街で探して戻りたかったのに・・・・・。
(駄目だよ、逃げられないもん・・・・・)
 珠生はチラッと自分の隣を見る。
少し離れた場所には自分と同じか、少し年下に見える少年が、人懐こい笑みを浮かべて自分を見ていた。
 「何か、御用がありますか?」
 『・・・・・』
 「タマ様?」
 『・・・・・』
(あいつのせいで、みんなそんな風に呼ぶじゃん・・・・・)



 「ご苦労だな、テッド」
 「甲板長!」
 出航準備を見回っていたラシェルは、甲板の片隅に佇んでいる子供2人の姿を見つけた。
珠生のお守兼見張り役を言いつけられたテッドは、ラシェル直々に声を掛けられて顔を輝かせて一礼した。
 「タマの様子はどうだ?」
 「それが・・・・・」
 テッドは少し声を落とし、心配そうに言った。
 「出航の準備が始まってから、全然元気じゃないんです。ずっと街の方を見ていて・・・・・甲板長、もしかして、タマ様は街にい
たいんじゃないでしょうか?」
 「・・・・・」
ラシェルは珠生を見た。
まるでラシェルが傍にいることに気づいていないかのように、珠生の視線は街から離れていない。
(テッドの言う通りか・・・・・)
ラシェルも、そんな珠生の様子は気になっていた。
ただ、ラシェルは珠生が街・・・・・というより、陸に執着しているような気がするのだ。その理由は分からないが、陸から離れること
に怯えているように見える。
 「タマ」
 ラシェルはそっと珠生の肩を叩いたが、珠生は振り向こうとしない。
 「タマ、海はいいぞ。自然の恐怖も、偉大さも、美しさも、全て教えてくれる」
 『・・・・・』
 「お前も、きっと海を好きになるはずだ」
(俺も、地面から足を離すことが出来たんだから・・・・・)
上昇意識もあり、皇太子の親衛隊長としての誇りもあった。
そんな自分が王子の失脚によって全てに絶望し、ただ生きているだけの日々の中でラディスラスに、海賊船エイバルに出会った。
新たな生きる意味を見つけたのだ。
元は国の役職に付いていたラシェルにとって、海賊であるラディスラスは本来対極にある存在のはずだった。
しかし、その考え方やラディスラスの性格に、ラシェルは時間を掛けることなく惚れこんでいった。
 「タマ、お前も・・・・・」
 『うるさい!』
 「・・・・・」
 『分からない言葉で分からないことばっかりしゃべるな!』



(煩い煩い煩い!)
 珠生は爆発したように叫んだ。
 『あんた達が何話してんのか分かんない!俺はあそこに行かなくちゃいけないんだよ!』
 「タマッ?」
自分でも、なぜこうしようとしたのか分からない。珠生は衝動のまま、船の船首に向かって走り出した。
 「タマッ!」
駆け抜ける小さな姿を乗組員達も驚いたように見るが、とっさのことで誰も珠生のことを捕まえることは出来ない。
珠生はそのまま船首まで辿りつくと、船体の両端よりは低くなっている部分から身を乗り出した。
(た、高い・・・・・)
 以前乗ったこともあるジェットコースターよりも高く見えるその場所から飛び降りる勇気は無く、かといってこのままノコノコと戻るこ
ともしたくない。
 『くそ!』
 これでは子供の癇癪ととられても仕方がない・・・・・くやしくなって思わず唇を噛み締めた時、騒ぎを聞きつけたラディスラスが
苦笑を洩らしながらやってきた。



 「何やってんだ、タマ」
 部下からの報告で、ラシェルと同様に出航の準備を確認して回っていたラディスラスは直ぐに船首にやってきた。
そこには、今にも海に落ちそうな格好のまま、まるで追い詰められた猫のように身体を丸くしている珠生がいた。
多分、本人は必死なのだろうか・・・・・ラディスラスの目から見ればその格好も可愛いものとしか見れない。
 「ターマ、下りて来い」
 『・・・・・っ』
 「幾らなんでも、この時間に海に飛び込めば寒いぞ、タマ」
 『タマっていうな!』
毛を逆立てるように叫ぶ珠生はまだ興奮しているようで、このままではそのまま背中から海に落ちかねなかった。
(・・・・・いや、そうか)
 急に、何か思いついた様に笑みを浮かべたラディスラスは、そのまま靴を脱ぎ、上着を取る。
 『な、何してんだよ!』
突然のラディスラスの行動に珠生は慌てたように叫んだが、ラディスラスは少しも慌てないままゆっくりと珠生の元へと歩み寄って
きた。
 『ち、近付くなっ!』
 「タマ、そんなに泳ぎたいなら付き合うぞ」
 『な、えっ・・・・・わあ!!』
 いきなり珠生のいる船首に飛び乗ったラディスラスは、そのまま珠生の腰をしっかり抱きかかえて海に飛び込んだ。
 「ラディ!」
 「頭!!」
 「タマ!」
 様々な声がする中、2人の姿は海の中に消え、直ぐに頭が2つ浮かんできた。
 「どうだ?この時間の海はもう冷たいし、大体お前は泳げるのか?」
真っ青な顔色で、大きく目を見開いた珠生は、苦しいほどギュッとラディスラスの首にしがみ付いているが、小さく細い身体は可
哀想なほど震えている。
(少し・・・・・可哀想だったか・・・・・)
出来るだけ衝撃が少ないような飛び込み方をしたつもりだが、意識がある状態で深い海に初めて飛び込むのはさすがに恐怖を
覚えただろう。
少し懲らしめ過ぎたかもしれないが、隙あらば船から逃げ出そうと思っているような珠生にはよい薬になったはずだ。
多分・・・・・しばらくは怖くて、泳ぐことなど出来ないだろう。
 「ラディ!タマはっ?」
 船の上からアズハルの焦ったような声がしている。
(あー・・・・・相当絞られるな)
船を上がった後の小言をうんざりと想像しながらも、ラディスラスは珠生の身体をしっかりと抱きかかえ、直ぐに下ろされた縄梯子
に向かって泳ぎ始めた。