海上の絶対君主
第一章 支配者の弱点
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※ここでの『』の言葉は日本語です
『・・・・・』
熱いスープをすすっている珠生と。
「美味いか?タマ」
そんな珠生の様子を楽しそうに見つめながら話しかけるラディスラス。
そんな光景がここ数日で日常になってしまっていた。
船が出港してからしばらく、ラディスラスは航路の確認や、行き交う船への警戒、船内の装備や備蓄の再点検など忙しい時
間が続き、あまり珠生に構うことも出来なかった。
抱いて海へ飛び込んで以来、珠生はラディスラスの顔を見るだけでビクッと身体を震わせるのでその距離もいいかとも思ったが、
1日珠生の顔を見ないだけで落ち着かない自分を発見し、ラディスラスは珠生が絶対に現われる食堂に姿を見せるようになっ
た。
「!」
初日、食事をしている珠生の前に無言で座ると、その大きな目はますます大きく見開かれた後、キッと睨むようにラディスラス
に向けられたが、海への飛び込みのショックがまだ抜け切っていないのか、反発するような言葉は(言われても意味は分からない
が)言うことは無かった。
それから三食、必ずといっていい程、ラディスラスは珠生の食事の時間に合わせて食堂に行った。
珠生は大体、世話をしているテッドかアズハルと一緒だったが、ちらりとも視線をこちらには向けない。
(頑固な子だ)
しかし、ラディスラスにとってはそれさえも楽しくて、今までならば食事は上で取っていたのが、今では乗組員達と同じ下の食堂で
とるようになった。
乗組員達も、普段はなかなか身近に接することが出来ない憧れのラディスラスとこうして同じものを食べているということが嬉し
くて、結果的にラディスラスをここに呼び寄せた(?)珠生を歓迎するようになり、珠生は自分でも知らないうちに乗組員達に感
謝される立場になっていた。
「タマ、肉も食え」
華奢な見かけによらずよく食べる珠生だったが、脂身の多い肉は苦手で、どうしてもあっさりとした鳥や魚を好んで口に入れて
しまう。
そんな偏食ともいえない好き嫌いを目聡く見つけたラディスラスは、自分の皿からテッドの皿に肉を移そうとした珠生の動きを見
咎めて声を掛けてきた。
『・・・・・』
「好き嫌いばかりじゃ、大きくなれないぞ?」
『・・・・・』
言っている言葉の意味は分からない。
しかし、からかうように笑っているラディスラスを見ると悔しくて、珠生は行き場を失った肉を口に放り込んで慌ててスープで喉の奥
に流した。
『うげ・・・・・油っぽい・・・・・』
(何で朝から晩まで、こんなしっかりした肉料理が出るんだよっ)
同じ味付けではないが、三食必ず肉料理が出るのを珠生は不満に思っていた。
多分それは、海の上での力仕事の為に、それだけ体力をつけなければいけないからなのだろうとも思うが、今のところ何もすること
が無くてただブラブラと船の中を歩き回っている自分にとってはかなり重い。
(デザートはミカンみたいのを1日1個だけだし、水だって飲み放題ってわけじゃないし・・・・・)
限られた物資の中での生活というものは初めてで、飲み水さえ制限されたことの無い珠生にとってはそれもきつかった。
ただ、自分よりも幼いはずのテッドもそれで我慢しているし、ラディスラスにいたってはほとんど水分を取らない。
(アズハルやラシェルも、他の人達よりもあまり水分取ってないし・・・・・)
「ほら、これ好きだろう?」
ラディスラスが珠生の目の前に置いてくれるのは、珠生が一日で一番楽しみにしている果物だ。
これも大切な水分補給の食べ物だろうに、ラディスラスはこうして珠生に与えてくれる。
『・・・・・ありがと』
食べ物に釣られるわけではないが、何かをしてもらった時はきちんと礼を言うようにと父に教わった。
それがどんなに気に食わない相手でも仕方がないと、ぼそっと呟いた珠生は再びサジを動かし始めた。
(面白いよなあ)
誰かの食事風景を見るだけで、こんなに楽しい気分になるのをラディスラスは初めて知った。
その為ならば、1つ2つの食べ物など全く惜しくない。
短くて2週間、長くてひと月ほど掛かる航海では、船に備蓄しいている食べ物や水は貴重なものだ。
ラディスラス以下、主だった上の者達は、実際に働く乗組員達に出来るだけ食べ物や水の割り当てを多くするようにしており、そ
の為果物は貴重な水分補給だったのだが、珠生の美味しそうに食べる姿を見てしまうとどうしても自分の分まで分けてやりたく
なった。
「きつくないか?タマ」
『・・・・・』
「早く体力が戻るといいんだがな」
日常生活には支障が無いものの、著しく体力が落ちているようなのでしばらくは安静にさせるように・・・・・。
アズハルの診断は少し偏った意見が入っている気もしたが、慣れない船の上での生活に珠生が途惑い、体力を消耗している
のも本当だと分かるので、しばらく放し飼いにしていたが・・・・・。
「タマ、俺のも食べろ」
軽くラディスラスに頭を下げたルドーが自分の果物を珠生の前に置いてやったのを切っ掛けに、何人かの乗組員達がわらわら
と寄ってきて、何時の間にか珠生の目の前には十数個の果物が山になっていた。
『ありがとう』
それを見た珠生は不思議な言葉を言った後、にっこりと一同に笑いかけた。
それはラディスラスには一度も向けたことが無いような可愛らしい顔で、周りを囲んでいた者達もホンワカと和んだような笑みを浮
かべる。
(おいおい・・・・・)
「・・・・・お前達、交代の時間じゃないか?」
「あっ、はい!」
バタバタと食堂を出て行く一同を見送りながら、ラディスラスは内心大きな溜め息をつく。
どうやら予想外の変化が起きているようだった。
「妬きもちを妬くあなたなんて初めて見ますね」
不意に声を掛けられたラディスラスは、あまり面白くなさそうな顔をして振り返る。
そこには白い服を着た大柄な男、料理長のジェイが立っていた。
乗組員達に劣らないたくましい体躯の主であるジェイは、服を肘までまくり上げ、前掛けをした格好のままだ。
「タマ、これはお前だけにやろう」
そう言いながら珠生に差し出したのは、瑞々しい甘さの赤い果物。明らかに料理長の特権を利用して用意されたものだろう。
しかし、珠生はその実よりも、目の前に立つジェイの顔を驚いたように見つめていた。
「・・・・・顔を見せるのは初めてか?」
「ええ。怖がられると思いましてね。でも、あなたが傍にいるなら大丈夫かと」
浅黒く日焼けした肌になかなかの精悍な容貌のジェイだが、その片目には黒い眼帯をしていた。
喧嘩の末だとか、戦った傷跡とか、病気とか、様々な噂をされたが、その真意を知っているのはラディスラスくらいだ。
ラディスラスも他人に言いふらすような男ではないので、その眼帯の謎は謎のままで今日に至っている。
「タマ、料理長のジェイだ」
『・・・・・?』
「ジェイだ。よろしくな、タマ」
大きな手で珠生の手を握り締めるジェイを、ラディスラスは複雑な思いで見つめた。
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