海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
『珠生、起きなさい』
(父さんの声だあ)
優しく大好きな父の声が聞こえ、珠生は夢の中でぐふふと笑み崩れた。
もう、死んでいないはずの父の声。夢の中でもその声が聞けて嬉しい珠生は、甘えるように言い返した。
『もうちょっと〜』
『でも、起きないと朝食抜きだよ?』
『ちょ・・・・・しょく?』
『えぇっ?』
珠生は反射的にパッと目を開いた。
自分でも現金だとは思うが、ジェイの料理はとても美味しいし、男所帯のこの船の中では、ちゃんと自分の食べる物は確保して
おかなければ食いっぱぐれてしまうのだ。
『・・・・・あれ?と・・・・・さん?』
『おはよう、珠生。また寝ぼけてるのかい?』
優しい眼差しに、優しい口調。
それは夢ではない・・・・・珠生はガバッと起き上がった。
『父さん、生きてたんだ!』
大学1年生の水上珠生(みなかみ たまき)は、故郷の不思議な言い伝えのある洞窟にひょんなことから足を踏み入れ、その
まま不思議な世界へと呼ばれてしまった。
中世ヨーロッパの雰囲気に、剣や海賊、そして王様などがいる世界。
海に流されていた珠生を救ったのも、海賊船エイバルの若き船長、ラディスラス・アーディンだった。
彼は言葉も分からぬ異邦人の珠生を保護してくれたが、それには良からぬ思いもあったらしい。
男同士というのに強引に求愛され、なぜか身体まで重ねてしまったが、今もって珠生は自分の気持ちをちゃんと認めようとはしな
かった。
そんな中、仲間であるラシェル・リムザンの昔仕えていたジアーラ国の王子ミシュアに会いにカノイ帝国という国にやってきたが、王
子は行方不明となっていた。
いなくなった王子を探しているうちに、浮かび上がった1人の男。
それは、2年前に海で行方不明になって死んだと思われていた珠生の父、瑛生(えいき)だった。
それ以前にこの不思議な国に来た瑛生は、その時にミシュアと知り合っていたらしい。
一度は元の世界・・・・・珠生のいる世界に戻ってきた瑛生だったが、再びこの世界へと舞い戻ることになってしまった。
自分が原因で王位継承権を剥奪され、他国へと静養という名目で追い出されてしまったミシュアを何とか捜し出したが、その時
はもうミシュアの身体はかなり衰弱をしていた。
ミシュアを捜して、父と再会した珠生。
死んだと思っていた父が生きていることに、珠生は嬉しさしか感じなかった。
ミシュアの父への恋慕には複雑な思いがしたが、2人は恋人同士というわけでもないらしい。
とにかく、ミシュアの弱った身体を直す為にも、一行は名医がいると名高いベニート共和国へと船を出港させることになった。
『おはよう、父さん!』
珠生は弾んだ声で挨拶をした。とにかく父とこうして挨拶を交わせるのが嬉しかった。
船がカノイ帝国を出発して、今日で5日目。
まだ側に父がいる事に慣れない珠生は、ほとんど毎朝起こしてもらうというのに毎回驚いてしまっているのだ。
「タマキ、言葉が違うよ」
「あ、はい」
この世界にいるのならばこの世界の言葉を。そう言う父は2人きりでいる時も極力日本語は話さないようにしていた。
ただ、《おはよう》と《おやすみ》だけは、まるで日本語を忘れないようにするかのように言っているが。
「おーじの様子、どう?」
「安定しているよ。アズハルさんが常に様子を見てくれているし、今までよりずっと調子がいいようだ」
「そっか、よかったね」
「ああ、タマキ達に出会ったおかげだ」
「とーさん・・・・・」
2年前よりも少しだけ皺が増えた感じがするが、その優しい笑顔は全く変わらない。その笑顔を自分以外の人間にも向けると
いうのが気に入らないが、それでも生きてくれていたのだ。
(それだけでもよしとしなくちゃ)
それから急いで着替えた珠生は、父と腕を組んで食堂に向かった。
初日はさすがにみんな驚いた表情をしていたが、もう5日目となるとこの光景にも慣れたようだ。
「おはよう、タマ」
「おはよ」
「今日は早いじゃないか、タマ」
「いつも遅くないよ」
入口から乗組員達と話をしながら奥に向かった珠生は、一番奥にいる見慣れた一団にムッと眉を潜めた。
(何時もとっくに食べて出て行ってる時間なのに・・・・・)
以前の生活サイクルを考えれば、珠生が起きる時間は確実に遅い。それは父親という存在が側にいて安心しているという状況
もあるだろうと自分で思っている。
しかし、そんな自分にわざわざ合わせたかのように食事の時間をずらしているこの男の思考は・・・・・良く分からなかった。
「よお、タマ」
「・・・・・」
「おはよう、ラディ君」
「おはようございます、エーキ」
この船の船長であり、海賊の頭領でもあるラディスラスは、珠生の顔を見てにっと笑った。
(朝っぱらから、無駄にフェロモン垂れ流すなってーの!)
「今日も随分遅いお目覚めだな。俺の腕の中で寝かせてないっていうんならまだしも」
「!と、とーさんの前で変なこというなよっ!」
ラディスラスと自分の関係を父に知られるのは嫌な珠生は慌ててそう言った。
別に、ラディスラスとのことを無かったことにしたいと思っているわけではないが、それでも自分の父親に男同士のそういったモロモロ
を知られるのは・・・・・。
(ラディには恥ずかしいって気持ちがない!)
そんな2人の掛け合いを笑いながら見ていた父に、厨房から出てきたジェイが湯気の立つリゾットのようなものが入った椀を差し
出した。
「今日は昨日よりも野菜を多めにしたので」
「気を遣っていただいてすみません。タマキ、また後でな」
「う、うん」
これから父はミシュアの元に行く。
慣れない船旅で、調子はいいといいながらも自由に歩き回れないミシュアと食事を取る為だ。
ミシュアの為を思えばそれが一番いいことだろうし、珠生もちゃんと納得している。納得しているが、毎朝起こしに来てくれる父がミ
シュアの元へ行く背中を見送るのはやはり寂しかった。
「タ〜マ、ほら、今日はお前の好きなコハンだぞ」
「コハン・・・・・」
カノイ帝国の港町ルーカで見つけた米粒のことだ。通常は炒め飯や先程のようなリゾットのような料理に使うことが多いらしいが、
珠生がジェイに炊き方を教えて、白飯もどきを作ってもらったのだ。
「コハン・・・・・」
「お前の好きなシオカラもあるだろ?」
「・・・・・食べる」
食欲に負けたわけではない・・・・・そう心の中で言い訳しながら、珠生はラディスラスの隣に腰を下ろす。
これが、今のエイバルの朝の風景だった。
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