海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(全く、少しは俺も構えって)
自分の目の前にある白いコハンに、怪しい物体と乗組員達も恐れるシオカラをのせて、満面の笑みを浮かべながら食べている
珠生を見つめながら、ラディスラスは溜め息をつきそうになるのを何とか噛み殺した。
以前から珠生の父親への思慕がかなり強いことは感じていたが、実際にこの目で見るとその度合いはかなり大きい。
自分自身が幼いから独立心が旺盛で、物心ついて早々親離れした自分にはとても理解は出来なかった。
「タマ」
「んぐ?はひほはへふ?(なに?ラディも食べる?)」
目の前にシオカラの入った器を差し出されたラディスラスは、丁重に辞退しながら言った。
「2、3日後、少しごたつく事があるから、お前は大人しくしてろよ?」
「へ?」
「この近海に貴族の船が通る。少し、そのお宝を頂くつもりだ」
「・・・・・どろぼう、する?」
珠生の口元がへの字になった。
この船が海賊船で、ラディスラス以下乗組員皆が海賊だということは理解しているようだが、どうしてもその略奪行為を簡単には
納得出来ないようだった。
もちろん、珠生のいた世界と、自分達が生きるこの世界の常識は違うだろうし、何よりラディスラスにはこの数十人の乗組員達の
生活を見ていかなければならない責任がある。
乗組員達が海賊になった事情は様々で、自由に生きたい者、自分の腕を試したい者、金が欲しい者、身寄りがいない者と、
一括りには出来なかった。
ただ、この中には故郷に金を送っている者もかなりいて、金もそれなりに必要なのだ。
「お前は、エーキと王子と一緒に部屋に閉じこもってろ。間違っても前みたいに出てくるなよ?」
以前、別の海賊船と衝突して、この船で戦ったことがあった。
その時、無謀にも珠生が出てきて(それなりに事情はあったようだが)危ない目にも遭ったのだ。
「・・・・・分かった。おとなしくしてる」
「よし」
ラディスラスは手を伸ばし、珠生の髪をクシャッと撫でる。
それに嫌そうに顔を顰めた珠生だが、その手を振りほどくことはしなかった。
海賊船エイバルの船長、ラディスラス・アーディン。
無血で、金持ちの船や貴族しか狙わない彼を、人は義賊としてある種英雄のように噂していた。
しかし、ラディスラスは自分をそんなに立派な人間とは思っていないし、やっていることが悪事だということは十分理解していた。
ただ、自由に、好きなこの大海で生きていくことはラディスラスの夢だった。
そんな風に自由奔放に生きていたラディスラスの前に突然現れたのが珠生だった。
海の中に漂っている珠生を見つけ、海に飛び込んでその身体を捉えた時から、ラディスラスは珠生を欲しいと思った。
それまで、どんな美女も選び放題で、それぞれの港町で遊んでいたし、略奪した女達を味見したこともある。
ただ、色に溺れることはなく、どこか冷静に自分の下で喘ぐ女達を見てきたラディスラスだったが、自分に堂々と文句を言い、嫌っ
ていることを隠しもしない珠生から目が離せなかった。
容姿も、目を惹いた。
闇を凝縮したような黒い瞳に、艶やかな黒髪、そして女よりも白い肌。
実際の年齢を聞くまで、せいぜい12,3歳だろうと思っていたが、そんな子供に手を出してしまうほど、ラディスラスは珠生という存
在に心を奪われてしまった。
今、実際珠生が自分のことをどう思っているかは分からない。
嫌われているとは思っていないが、それでも今回の旅で偶然再会した珠生の父親よりは、多分愛情は低い気がしている。
それでも、その存在が自分の腕の中にある限り、ラディスラスは珠生に自分を愛させる自信はあった。
「ラディ、ベニートの医者、大丈夫かな」
「アズハルがそう言ったんだ、多少は腕はいいんじゃないか?」
「たしょーじゃダメだよ」
今、エイバル号が向かっているのはベニート共和国。高名な医者のいる国だ。
アズハルが嘘を言うはずがないと信じているものの、どうしても不安になってしまっているのだろう。
ラディスラスも噂は聞いたことがあるが実際に会ったことがない相手なので何とも言えないが、それでも珠生を宥める為にふっと笑
い掛けて言った。
「お前、アズハルの言葉は信じるんだろ?」
「ラディよりしんよーしてる」
「まあ、それにはちょっと言いたいこともあるが、それならその言葉を信じてろ」
「・・・・・うん」
「よし」
ラディスラスは渋々ながらも頷く珠生に目を細めた。
(無駄にカッコつけ過ぎっ)
珠生は赤くなりそうな顔を慌てて俯かせて内心呟いた。
男の珠生から見ても、ラディスラスは(認めたくないが)カッコいいと思う。
そんな大人の男が、自分のことを好きだと言い、その上とうとう最後までセックスもしてしまった仲だ。
口では嫌だと言いながらも結局は受け入れてしまった自分に目を逸らしてしまいたいが、その手を振りほどく勇気も無い。
(卑怯だけど・・・・・仕方ないじゃん)
「ベニート、何時着く?」
「そうだな・・・・・まあ、このまま風がうまく吹いてくれれば、20日は掛からないと思うが」
「ふ〜ん、どんなとこ?」
「大国なのは間違いない。頭がいい奴が多くて、貿易が盛んだな。だから、医術も進んでいるってわけだ」
「・・・・・」
どんな国なのかと思った。
これまで寄った港町はどこも賑やかで、珍しい美味しい物も多くて、いわば珠生はタダで海外旅行をしているようなものだった。
元の世界に帰りたいという思いももちろん強かったが、今父が側にいる状況ではその思いも多少は薄れてしまっている。
「確か、焼き菓子が有名だぞ」
「え?」
ぼんやりと考え込んでいた珠生を元気付ける為なのか、ラディスラスが珠生が喜びそうな話題を振ってきた。
ラディスラスの思惑通り・・・・・というのは面白くないが、珠生はその言葉に思わず顔を上げて聞き返す。
「どんなの?」
「サビアっていうんだ。穀物の粉を練って、薄く何枚も重ねていくんだ。その間には季節毎の果物がたっぷりと挟んであって、蜜と
乳を混ぜた濃厚なソースを掛けて食う。俺が食べたのは甘酸っぱいアロの実が挟んであったやつだったな。甘い物はあんまり食べ
ないんだが、あれは美味かった。地域でソースの味も色々あるらしいぞ」
「へ〜・・・・・」
(パイかミルフィーユみたいな感じなのかなあ)
珠生はぼんやりとそれを想像した。
今まで食べてきた菓子もごくシンプルな味付けで、現代のように様々な甘味料や道具があるわけではないものの十分美味しかっ
た。
(・・・・・期待しても良いかも)
楽しみを一つ見つけたような気がして、珠生はふふっと笑った。
もちろん、ミシュアの身体を医者に見てもらうのが一番の目的だが、このくらいの小さな幸せは見逃して欲しい。
「タマ、どうだった、コハンは」
その時、ジェイが食後のデザートを持ってやってきた。
珠生の好物といってもいいチョコ菓子のロクトだ。
「うん、すっごく美味しかった!ジェイ、天才!」
まるで兄のように優しく笑いかけてくれるジェイに、珠生もにっこりと笑い返す。
「お〜い、タマ、俺に対してとは態度が違うな」
「だって、ジェイは大事なこっくさんだもん!」
「コ・・・・・ク?」
「りょーり人のこと!ラディも何か作ってくれたらほめるよ」
にやっと笑ってそう言うと、ラディスラスは珍しく腕を組んで唸っていた。
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