海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 食事を済ませ、それから少しジェイと美味しい物談義に花を咲かせ、ラディスラスと意味の無い言い合いをしてから、珠生はよう
やくアズハルの部屋へと向かった。
ドアの前でいったん立ち止まった珠生は、はあ〜っと深呼吸をしてから勢いよくドアを開ける。
 「おはよー!おーじ、気分いい?」
 「おはよう、タマ。ええ、大丈夫ですよ」
 「ホントだ、今日の顔はちょっと赤」
 「ちょっと赤?」
 珠生の言葉に首を傾げたミシュアに、アズハルが笑いながら説明をした。
 「血色がいいと言いたいのでしょう?確かに、今日は調子が良いようですね、食欲もあったし」
 「ここの食事は美味しいですから」
穏やかに、静かに話すミシュアは、ごく普通の寝巻きを着ているだけなのに十分王子としての気品と優美さがあった。
背丈は珠生よりも少し高いのだが、体重は多分珠生よりも軽いはずだ。珠生が太っているというわけではなく、珠生自身もかな
り細い方なのだが、ミシュアがそれ以上に痩せてしまっているということだった。
 幽閉生活と、逃亡生活。
それに加えて、病気がさらに追い討ちを掛けたのだろう。
 しかし、出会った頃からすれば、日にちはそれほど経っていないのに、ミシュアの様子がかなり変わったような気がする。
好きな人と一緒にいながらも、ただ死を待つだけだった日々とは違い、今は生きる可能性に向かって進んでいるのだ、その表情に
明るさが出てくるのも無理はないだろう。



 ミシュアはアズハルと同室だ。
大海を行く船は直ぐに陸に着けられるというわけではないので、何時何があってもいいように船医のアズハルが側にいることになっ
たのだ。
ほとんどがベッド上という生活なので、食事だけは父がこの部屋に来て一緒に食べている。
その間、アズハルは食堂に来て、他の乗組員達と交流するのだ。
(ミシュアがいい人だっていうのは分かるんだけど・・・・・)
 ミシュアは、珠生の父親である瑛生を帰さなかったことに罪悪感を持っているらしく、珠生に会うたびに謝罪を口にしていた。
確かに、珠生にとってたった1人の肉親といってもいい父が死んだと思った時、言葉では言い表せられないような絶望感と虚無感
を抱いたが、こうして無事に生きていることを知ってから・・・・・自分でも現金だとは思うが、自分の悲しみや辛さを忘れてしまった。
いや、記憶を全く消去する事は出来ないかもしれないが、過去の辛さよりも遥かに、今再会した喜びの方が勝っているのだ。
 「はい、おやつ」
 「あ、ロクト」
 「タマ」
 「1個くらいいいよー、ね?」
 始めはアズハルに、相槌はミシュアに向かってすると、アズハルは溜め息をつきながらも許してくれた。
 「ミシュア、1つだけですよ」
 「はい、先生」
小さなロクトを、更に少しずつ嬉しそうに食べるミシュアは可愛いと思う。
自分よりも年上の、それも王子様だが、守ってあげたいと思うラシェルやイザークの気持ちが分からないでもない。
だが、やはり父とミシュアが2人きりでいることには慣れなかった。
(父さんは恋愛感情なんて無いって言ってたけど・・・・・)
 父は嘘は言わないと信じている。
だが、ミシュアに傾きそうな気持ちをどうにか誤魔化そうとしているのではないかと思ってしまうのだ。

 「タマキも一緒に食べよう」

 船で取る初めての食事の時。
片時も父の側から離れたくなかった珠生は、その言葉に嬉々としてついて行った。
ミシュアも大勢で食べる方が楽しいと歓迎してくれたし、2人がけして自分を邪魔にしていない事はよく分かっていた。
・・・・・それなのに。
 ミシュアが父を見つめる視線に気付き、途惑ってしまった。
父も、珠生に向ける優しさとは違う種類の眼差しでミシュアを見ていると思った。
そんな2人の間に自分がいるのは邪魔なような気がして、それから珠生はお代わりが自由に出来るからと何とか誤魔化して、食
事は2人とは別に取るようにしたのだ。
 この部屋を訪ねる時も、父が出て行ったであろう時間を見計らって来るようにしている。
そんな風に妙な気を遣ってしまう自分が、珠生は本当は嫌だった。



 ラディスラスが操舵室に入ると、昨日は遅番だったラシェルが振り向いた。
 「おはようございます」
 「おはよう」
 「異常はないですよ。風もいいし、海も穏やかだ」
 「病人にはいいな」
ラディスラスがそう言うと、ラシェルは素直にええと頷いた。
元は大国ジアーラ国の皇太子ミシュアの親衛隊長だったラシェル。
しかし、ミシュアが同性との恋愛で非難され、皇太子の地位を剥奪されて他国へと静養の目的で国をおわれた時、その地位に
見切りをつけて軍人であることを辞めてしまった。
その後、偶然出会ったラディスラスの誘いでエイバルに乗り込むことになったが、彼はいずれミシュアと再会することを信じていた。
 ミシュアが皇太子の地位から追われる原因となった男が珠生の父親だったという驚愕の事実があったものの、結局はこうして無
事再会する事が出来たのだ。
(まあ、無事って言うのも変だがな)
 元々身体が弱かったらしいミシュアは、この数年の過酷な生活の為にさらに身体を弱くしてしまい、医師から余命を宣告される
ほどの深刻な状態だった。
怒りを瑛生にぶつけるよりも先に、ミシュアの命を救うことを考えなければならなくなったが、かえってそれは皆の結束を固くし、ラシェ
ルの心の中の瑛生への憎悪も小さくしたらしい。
 その切っ掛けを作ったのは、もちろん、諦めないと叫んだ珠生だった。
多少考え無しで言っている部分もあるだろうが、あの勢いやバイタリティーは貴重なものだろう。
 「今回は金だけにするか」
 「バルア卿の船ですか」
 「汚い武器輸出で稼いだ金だ。その金で卿(きょう)という貴族の地位を買ったって有名だからな」
 「噂を信じるんですか?」
 「噂じゃない、事実だ」
 出航前、ちゃっかりと船路の確認をしたラディスラスが目を付けたのは、カノイ帝国の貴族、バルアの船だ。
元々武器商人だったバルアは、金は腐るほど持っていたが、元々は商売人の出身だ。貴族に憧れたバルアは金でその地位を手
に入れ、今や各国の戴冠式や様々な行事にも堂々と参加していた。
 今回はどうやら武器を売った帰りらしく、かなり金を持っているらしい。
 「イザークが知ったら、即拘束ですよ」
 「あいつは頭が固いからな。あれはあれで面白いが」
 「あんまり遊んでいると手を噛まれます。あれでも優秀な俺の部下でしたから」
 「はいはい」
軽い口調で答えたが、もちろんラディスラスは油断はしていなかった。
一度で大金が手に入るこの海賊の行為は一見割りはいいものの、その分自分が討たれても文句は言えないほどの罪でもある。
気ままな一人身ならばまだしも、今の自分には珠生がいるのだ。
(あんな面白い奴、他人にやれるか)
 泣かせたくない・・・・・というよりも、手放したくないと思うところがラディスラスのラディスラスたる所以だが、どちらにせよ、今は海賊
を取り締まる側も、海賊の首を狙う者も、そして同じ海賊も、とにかくこのエイバルを第一に目を付けているのは確かだと思う。
火の粉は振り払うが、自分から掛かりに行く程馬鹿じゃない。
 「・・・・・いや」
 「ラディ?」
 「・・・・・」
(うちには、1人いたな。自分から火を浴びに行く奴が)
 自覚はないだろうが、珠生の騒動を引き寄せてしまう力は結構強いと思う。
ラディスラスが考えなければいけないのは、もしかしたらその珠生の扱い方かもしれなかった。
 「・・・・・じっとしてるか?あいつが・・・・・」
 「タマですか?」
ラシェルの口からすんなりとその名前が出てくるのも問題だ。
 「今回はエーキがいますから、多分大人しくしてるでしょう」
 「多分って言うのが危ないんだって」
 「・・・・・」
 「おい、ラシェル」
 「タマの保護者はあなたでしょう、ラディ。よろしくお願いしますよ」
あっさりとそう言われたが、ラディスラスは内心お前も道連れだからなとほくそ笑んでいた。