海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 波は、まるでエイバル号の味方をするかのように穏やかな日が続いた。
船内では、依然ユージンの扱いに途惑う事もあるが、彼は今はほとんどの時間を船内の一室に閉じ込められた状況で、日に何
度か部屋の外に出る時は必ずラシェルかルドーが付いている。
 それほどの厳しい監視を受けているというのにユージンは少しも焦る事も怒ることもなく、ただ静かな目で小さな窓から見える海
を見つめていた。



       


 海の上では恐ろしいほどにゆっくりと時間が流れることをユージンは初めて知った。
それまで、数日の短い旅は経験したものの、十数日も海の上で過ごすことなど初めてで、賑やかな街中では感じたことが無かっ
た色々なものが見えてくるような気がした。

 一番利用し易いバルア卿の船から移されてしまい、再び祖国ベニート共和国へ戻ることになるというのは予想外ではあったが、
それもまた必要であったことかもしれない。
(海賊船エイバルに遭遇するとは・・・・・笑えるほどに運がいいのか、悪いのか)
 いや、多分これは運命というものなのだろう。
まだしばらくは時間が掛かってしまうだろうと思っていたことが、エイバル号に・・・・・ラディスラス・アーディンと出会うことによって、かな
り短縮されたはずだ。

 懐かしい顔と再会して(まさか、彼がここまで身体を悪くしていたとは思わなかったが)。
見ているだけで楽しい遊具のような少年もいて。
厳しいはずだった道程が思い掛けなく楽しいものになりそうだ。
 「明日には、ベニートの海域に入るな」
 どの国の力も相殺されてしまう無籍海域をようやく抜け、いよいよベニート共和国の領域に入る。多分、直ぐにユージンの出番
になるだろう。
(さてと・・・・・どうするかな)

 彼らも、ベニート共和国の腕がたつ医師を捜す為に自分を利用する。幼い頃から知っているミシュアの為になることだ、もちろん
協力したいとは思った。
それと同時に、ユージンは思う。
彼らの為に自分が力を貸すのならば・・・・・それならば、自分も彼らを利用してもいいのではないだろうか。



       



 「そろそろ現れるか」
 「そうですね」
 ラディスラスは厳しい視線を水平線に向けた。
操舵室にはラディスラスとラシェル、そして3人の乗組員達がいる。
 「このまま警備船が来なければいいがな」
昨日の夜、エイバル号はベニート共和国の海域内に入った。
今からはいつベニートの警備船とすれ違うかも分からないので、見張りも数人増やした。
(今船の中を見られたら多少拙いしな)
 以前、かなり悪質な手合も増えた海賊の討伐軍として出会ったジアーラ国の海兵大将、イザーク・ライドに乗り込まれてしまっ
た時は、たまたま一隻も船を襲っていなかったので証拠になる物は船の中に何も無かったが、今回はバルア卿の船から幾つか明
らかに略奪したと思う品がエイバル号の中にある。
それが見つかってしまえば、今度は問答無用で捕らえられてしまうだろう。
今まで名前を轟かせていた海賊船エイバル号の船長ラディスラスを捕らえれば、それだけでかなり名前を上げることが出来るはず
だ。
役人の名誉の為に自分を利用されるのは真っ平なので、ラディスラスはかなり慎重に航路を選んでいた。
 「・・・・・ラシェル」
 「はい?」
 「あいつはどうしてる?」
 名前を言わなくても、硬いラディスラスの表情でラシェルは直ぐに分かったようだ。
 「今は部屋に」
 「・・・・・行ってくる」
 「俺が、行きましょうか?」
 「・・・・・冷静に話が出来るか?」
珠生のことでユージンにはかなり思うところがあるラディスラスだが、ラシェルもミシュアの命が関わっていることなのでかなり切羽詰っ
ている。
どちらがマシなのかという状態だろうが、恋愛と命ではどちらの比重が重いかだ。
 「・・・・・」
 「ここを頼むな」
 ラディスラスはポンッとラシェルの肩を叩いた。
適材適所。けしてラシェルが役立たずなわけではないと、ラディスラスはその手に思いを込めたつもりだった。



 ユージンが軟禁されている部屋の前には2人の乗組員が立っていた。
身体を動かすことの方が楽だろう男達は、ただ見張っているだけの役割はとても退屈なのだろう。2人で笑いながら何か話してい
たが、ラディスラスの姿を見るなりパッと姿勢を正した。
 「奴は?」
 「は、はいっ、横になってます!」
 「寝てるのか?」
 「いえ、起きてるみたいですけど・・・・・」
 「・・・・・奴と話をする。俺が中に入ったら鍵を閉めてくれ、いいな?」
 「1人でですか?」
 「心配するな」
 ラディスラスが笑ってそう言うと、乗組員も安心したかのように頬を緩めて鍵を開けた。
 「頼むぞ」
ラディスラスが中に入り、鍵は再び閉められた。



 「あれ?ラディは?」
 今は手が離せないだろう操舵室にいる人間に昼食を届けてやって欲しい・・・・・そう頼まれてやってきた珠生は、中にいる者達
の顔をぐるっと見回して首を傾げた。
きっとまたからかわれるだろうと身構えてきたのに、その相手の姿がないと拍子抜けした気分だ。
 「ラディはちょっと用があって」
 ラシェルが、他の乗組員達に珠生が持ってきたパンを差し出しながら言った。
焼きたてのパンに魚のフライを挟んだそれは、フィッシュバーガーよりも魚の味が濃厚で、父が作ってくれた特製タルタルソース(もど
き)がとても合っている。
珠生は自分も美味しくて2個も食べてしまったパンを、みんなはどんな顔で食べるだろうか。それを楽しみにしていたのに、ラディス
ラスがいないと少し面白くない気分だった。
 「・・・・・ん、美味いな」
 「ホント?」
 珠生が落胆してしまった顔をしたからか、ラシェルが直ぐにそのパンを口にして珍しく笑い掛けてくれた。
父とミシュアのことがあって、当初は珠生に対して少し距離を置いていたラシェルも、今や珠生の立派な保護者の1人になってい
る。
 「ああ、美味い」
珠生が笑うと、ラシェルも目を細めてくれる。
 「じゃ、みんな、頑張ってね!」
 「ああ」
 「ありがとな、タマ!」
 「じゃあな、タマ」
 珠生は嬉しくなって気分良く操舵室から出た。
ここは船の中でも特に大切な場所の一つなので、あまり立ち入らないようにと言われていたからだ。
そのまま鼻歌を歌いながら食堂に向かい掛けた珠生は、丁度船底から出てきた乗組員達が話す言葉がふと耳に入った。
 「え?お頭が自分であの男に?」
 「ああ、何か聞くことがあるんだと」
 「・・・・・」
(あの男?)