海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ラディスラスが中に入ると同時に鍵が閉められる音がする。
そのまま寝台に歩み寄ったラディスラスは、服を着たまま仰向けに横たわっているユージンの側で立ち止まった。
 「起きているな?」
 「・・・・・」
 「話があるんだ」
横たわっているユージンは全身隙だらけのようでいて、その実どこにも隙がなかった。この男が見掛けだけで判断出来るような男で
はないとラディスラスは思う。
 「・・・・・」
 やがて、ユージンの目が開かれた。
珠生の言う蜂蜜色の瞳が、じっとラディスラスを見上げた。
 「大事な話?」
 「ああ」
 「・・・・・」
誤魔化すこともないのではっきり頷くと、ユージンは意外なほどすんなりと起き上がって寝台に腰掛ける姿になった。
もう何日も軟禁状態と一緒の措置をとっていたが、その表情には少しも疲労や焦りは見て取れない。
(本当に王子なのか?)
 ミシュアが嘘をつくとは思わないが、何不自由なく育った大国の王子にしては肝が太過ぎるし、少々の荒い扱いもものともして
いないユージンがただの王子にはとても思えなかった。
(だが、こいつが唯一の前に進む手掛かりかもしれない)
自分達がベニート共和国に向かっている理由・・・・・ミシュアを何としても助ける為には優秀な医師が必要だ。
人助けを進んでするほど偽善者ではないが、それでももうこうして一緒に旅をしているミシュアは既に自分の仲間で、仲間を助け
たいと思うのは誰でも思うことだろう。
 それに、ミシュアの身に万が一のことがあれば瑛生が悲しむ。
瑛生が悲しめば、結果的に珠生も悲しむことになってしまうだろう。
ラディスラスはそれが自分の利己的な思いだとは十分分かっているが、自分にとって何よりも大切なのは珠生の気持ちで、珠生
を泣かさないようにする為にも、ラディスラスはミシュアを助ける可能性がある医師を捜さねばならなかった。
 「お前が知っている中で、一番優秀な医師を教えて欲しい」
 「・・・・・ミシュアの為か」
 「俺の為だ」
 きっぱりと言い切ったラディスラスに、ユージンは意外にも焦らすことなく口を開いた。
 「俺が知っている中で一番有能なのはビアンカ・・・・・かな」
 「・・・・・女か?」
意外な名前の響きに、ラディスラスは困惑してしまった。
勝手に頭の中で考えていたのだが、高名な医師というからには年配の男を想像していたからだ。
 「ビアンカはもう60近い御婦人だがな、並みの医師よりは経験豊富で有能だ。ただ、彼女は王室直属だから、簡単には近づく
ことは出来ないだろう」
 「・・・・・金を積んでもか?」
 「金はあまり意味はないかもしれないな。彼女の一番好きなものは、切り裂いて取り出した臓器という噂だからな」
 「・・・・・」
 ラディスラスが顔を顰めると、ユージンは低く笑いながら言葉を続けた。
 「ビアンカが無理なら、もう1人、ノエルがいるが・・・・・」
 「そいつはどんな奴だ?」
 「知らん」
 「知らない?」
 「一つの場所にいない放浪医者だ。金もほとんど取らず、変わった病気を好んで診ているらしい」
 「・・・・・」
(そいつの方がいいか?)
確かに王宮が抱えている医師は腕も立つだろうが、いくらユージンを手にしているとはいえ近づくのは容易ではないだろう。
しかも、60代近い女となれば、扱いがちょっと分からない。
 「そいつがどこにいるのか分からないのか?大体の居場所や、容姿の特徴とか・・・・・」
 「分からん」
 「おい」
 「別に出し渋っているわけじゃない。ノエルのことは本当に診て貰った人間しか分からないんだ。どうやらわずらわしいことが嫌いみ
たいで、治療費が格安なのも自分のことを口外しないという条件を含んでのことらしい。我が国の貴族達も懸命にノエルの所在
を捜しているが、彼の所在はもちろん、年齢も容姿の特徴も一切洩れては来ない」
ただ、神業ともいえる医術の腕だけは噂になっていて、まさにノエルはベニート共和国の《顔の無い有能な医師》なのだ。



 ペッタリとドアに張り付いた珠生は、時折洩れ聞こえてくる会話に耳をそばだてていた。
(ノエル・・・・・っていうのが、お医者様なのか)
細かな言い回しは良く分からないが、どうやらその人物が今回ミシュアの救世主となるだろう人物らしいということが分かった。
 「タマ、拙いってっ」
 「お頭にバレたら・・・・・」
 「うるさいよ、聞こえない」
 見張りの乗組員の顔を見ないままそう言うと、珠生はそのままの格好で考え始めた。
(やっぱりこの男知ってるんだ。顔知らないなんて、嘘ついてるんじゃないか?)
自分の立場を優位にする為に、ラディスラスには小出しにしか情報を与えていないのではないかと思った。
 「ここは俺が・・・・・」
 「お、おい、タマ」
 「鍵、あけて」
 「いや、だからな?」
 「早く!」
 多分、ラディスラスとユージンは似過ぎているのだろう。
同属嫌悪ではないが、あまりにも似ている相手には意地悪をしたくなるものだ。
(アズハルとかに頼んだ方が良かったのに・・・・・ラディも考えが浅いんだから)
したり顔でそう呟いた珠生は、渋る乗組員に向かって口を尖らせた。
 「はーやーく!!」



 自分が何も言わないのに鍵を開ける音がする。
いや、その前から何だか扉の向こうが騒がしいとは感じていたが、

 「早く!」

その叫び声を聞いた時、ラディスラスはその騒ぎの元に気付いた。
 「タマ?」
(どうしてここに・・・・・)
ラディスラスが訊ねる前にバンッと大きく扉を開けて部屋の中に入ってきた珠生は、そのままズカズカと寝台に腰掛けているユージ
ンの前まで歩み寄り、
 「はけ!」
いきなり、ユージンの襟首を掴んで凄んだ。
座っている者と立っている者の差で、本来ならユージンの肩ほどしかない身長の珠生が、今だけはユージンよりも上からの目線で
(それでもそれほどに差が無いが)睨んでいる。
ただ、やはり珠生は珠生で、少しも怖いという雰囲気ではない。
ラディスラスがそう思っていると同様にユージンもそう思っているようで、先程までラディスラスに向けていた表情に更に楽しそうな笑
みを浮かべて珠生を見つめていて、ラディスラスはとっさに珠生の手を掴んでユージンから引き離した。
 「ラディッ、何するっ?」
 「お前こそ、どうしてここに・・・・・」
 「ラディ、何騙されてる?こいつ、医者のことしってるよ!吐かさないと!」
 「あのなあ」
 「お前っ、医者のことしってるな!早く言わないと、ラディにけちょんけちょんにしてもらうから!」
 「ケチョン・・・・・」
 「ケチョン?」
 ラディスラスもそうだが、ユージンも珠生が何を言っているのかはよく分からないらしい。
ただ、今まで話していた医者の情報に不満を持っているらしいということは見当がついたのか、ユージンは一瞬ラディスラスを見てか
ら、なぜか意味深な笑みを浮かべた。
(何を考えてるんだ?)
 止めた方がいいかもしれないと思うよりも先にユージンが口を開いた。
 「一方的な取引は面白くないだろう?医者の情報が知りたければ、そちらも俺の条件を飲んでもらわないと」
 「それは」
 「言ってみろ!」
勢いに任せた珠生が叫ぶ。
それで言質を取ったと思ったのか、ユージンが頬から笑みを消さないまま言った。
 「我がベニート共和国の王・・・・・我が父を倒す謀反の片棒をお前達に頼みたい」