海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 まだ夕食の時間には早く、食堂の中では慌しく下準備が行われている。
そんな中、料理長のジェイと優秀な助っ人である瑛生も厨房から出てきて、ラディスラス、ラシェル、アズハルが座るテーブルに着
いた。
食堂の中では何かをきざむ音や、煮物のいい匂いがしているが、ジェイの教育が行き届いている料理班の乗組員達はいっさい
私語もせずに気配を殺していた。
 「明日、コンラッドに着く」
 おもむろにラディスラスが口を開いた。
 「ユージンから医者の情報を聞こうとしたが、あいつも一筋縄でいかない男で・・・・・条件を突きつけてきた」
そう、前置きしてから、ラディスラスはユージンの言葉を伝えた。
本当は、もっと前に相談した方が良かったのは分かっていたが、ラディスラスは全ての責任を自分が背負うつもりだった。
海賊船エイバルの頭領は自分で、どんなことも最終的には自分が決めなければならない。たとえ乗組員の誰かが傷付き、命を
落とすようなことがあったとしても、それも全て自分が背負うものになるのだ。
 今回のユージンが出してきた条件はかなり重い。
これを了承し、もしも失敗するような事があれば、エイバル号に関係する者は皆極刑に科せられる可能性が高かった。
 ラディスラス1人のことならば話が早いが、数十人の乗組員達の命と、海賊行為とは関係ないが船に乗っている珠生、瑛生、
そしてミシュアの命も関わってしまう。
 ラシェルには、昨日話した。
その条件にはかなり驚いたようで、ラシェルも直ぐに決断することは出来なかったようだ。
もちろん、ラシェル自身は何としてもミシュアを助けたいので、全く情報もないまま医者を捜すよりはユージンの持っている情報が
欲しい。
だが、そのせいで他の人間の命を差し出すことはもちろん出来なかった。
 元は国の兵士だったラシェルは、謀反を起こそうとした人間の末路を見たこともある。
あれほどに厳しく、残虐な罰を、自分の勝手だけで皆に科せられるはずがなかった。
前に進むことも、無かったことにすることも出来ない2人。
 しかし、明日の昼過ぎには、ベニート共和国の港町であるコンラッドに到着する。
ユージンに条件を提示されて返事を渋っていたラディスラスだが、とうとう最終的な決断を主だった者に伝える時がきたのだ。



 「・・・・・」
 さすがに、一同の表情は固かった。
特に、瑛生はこの中で一番ミシュアに近いので、何と言ったらいいのか分からないようだ。
 「・・・・・条件的にはかなり重みが違うような気がするな」
 そんな中、ジェイが静かに口を開いた。
 「確かに、ミシュアの命は重い。だが、俺達の仲間全員を犠牲にするほどかといえば違うような気もする」
 「・・・・・」
 「エーキ、どう思う?」
ジェイは瑛生を振り返る。
少し俯き加減に話を聞いていた瑛生は、やがて顔を上げて言った。
 「断ってください、アーディン。ミュウも、自分の為に誰かが犠牲になるかもしれないということは願っていないはずだ」
 「・・・・・だが、医者の情報は皆無だ」
ラシェルが呻くように言うと、瑛生はまるで自分の息子に言い聞かせるように静かに言った。
 「ミュウは、君達が努力してくれていることをちゃんと分かっているよ。希望を持つことによって、彼の容態も安定はしている。多少
は時間がかかっても、彼の条件は断って自分達で医者を捜す方がいいんじゃないかな」
 瑛生の意見は、多分この局面では一番模範的な答えだろう。
誰もが、その方がいいだろうと思っていたが、その反面、全てを納得しきれない何かが胸の根底に残っていた。
 「本当に、それでいいか?」
 その思いを、ラディスラスが口にした。
 「ラディ?」
 「アーディン?」
 「今・・・・・多分、俺自身も、皆失敗した時のことばかり考えていないか?確かに、危険度は高いが、それでも成功しないとは
言い切れないんじゃないか?」
 「ラディ、もしかしてこの条件を飲むと?」
 「・・・・・」
 正直に言えば、ラディスラス自身も今の今まで、ユージンの申し出は断るという方向で考えていた。乗組員達皆のことを考えれ
ば、それはごく当然の選択だと思えた。
しかし、心の中のどこかで、本当にそれでいいのかという思いがあるのも本当で・・・・・男として、これほどの大きな計画をみすみ
す見逃してしまうのかと囁く声があった。確かに、失敗すれば命はないだろうし、その可能性の方が大きいが、もしも成功すれば、
それこそ男として生きた大きな証になることには間違いはないだろう。
危険と隣り合わせだが、やってみたいと思う気持ちが僅かにでもある為に、今まで答えが出せなかった・・・・・とも、いえた。
 「・・・・・どうしますか?」
 アズハルの声に、ラディスラスは今の今まで顰めていた眉を僅かに緩め、口元に笑みを浮かべた。
 「アズハル、タマを連れてきてくれないか?」
 「タマを?」
急に何を言い出すのだと不思議に思ったのはアズハルだけではないだろう。
そんな一同に向かって、ラディスラスはきっぱりと言い切った。
 「あいつは海の神が俺にくれたものだ。是か非か、あいつに決めてもらおう」



 「あれ?みんな一緒?」
 アズハルに呼ばれて食堂にやって来た珠生は、そこにいる面々を見て不思議そうに口を開いた。
元々ジェイはここの主で、父は最近その手伝いをしている。
ルドーはラシェルの部下で、一緒にいることも不思議ではないのだが、一同が一度にこの場にいることは珍しいと思った。
 「とーさん?」
 珠生は直ぐに父に声を掛けたが、珍しく父は困ったような顔をしてラディスラスに視線を向けている。
もしかしてラディスラスが父に難題を押し付けたのかと、珠生はむっと眉を潜めてラディスラスを睨んだ。
 「ラディ、とーさんいじめた?」
 「まさか。お前の父親は俺の父親も同然だ。苛めるわけがないだろう?」
・・・・・少し、変な言い回しがあったが、どうやら珠生の懸念は思い過ごしのようだ。
それならば何だと首を傾げていると、ラディスラスはアズハルに向かって目の前のテーブルを指差しながら言った。
 「俺達は終わった。お前も好きなだけ混ぜてくれ」
 「・・・・・分かりました」
そう言ったアズハルは、木のテーブルの上にある伏せられた2つの器を何度も動かした。
(何・・・・・してるんだ?)
わけが分からない珠生が途惑っていると、やがてアズハルが手を止めてラディスラスに頷いてみせる。
それを受けたラディスラスが、困惑している珠生に向かって言った。
 「そこの伏せてる器のうち、好きな方を選んでくれ」
 「・・・・・なに?これ」
 「ん?ちょっとした運試し」
 「・・・・・」
(ちょっとしたって・・・・・なんか、皆の顔が真剣な感じがするんだけど・・・・・)
 「・・・・・」
珠生は父の顔を見、続いて、ラシェル、ルドー、ジェイ、アズハルと見て・・・・・最後にラディスラスを見る。
 「ラディ」
 「頼む」
ラディスラスは皆の顔よりはいっそさばさばした・・・・・どこか、楽しみだというような表情で珠生を見つめている。
珠生はどうしようかと一瞬考えたが、直ぐに気持ちを切り替えた。
(ラディが頼んでるんだから、応えてやらなきゃな)
 「・・・・・と、こっち!」
 2つ並んだうちの右側を選んだ珠生が器を取ると、中には赤い木の実が入っていた。
珠生以外の者達からは、さざめきのような溜め息が零れる。
 「あ、あの、ラディ、これ・・・・・当たり?」
くじ引きのような気分で聞くと、ラディスラスは珠生の選ばなかったもう一つの器を取った。中には緑の実が入っている。
 「・・・・・見事当たりだ。さすがタマだな」
 「そ、そう?」
それがどういう意味か分からないままそう言うと、ラディスラスは赤い実を手にとって握り締めながら言った。
 「これが海の神の意思だ。・・・・・是に、動くぞ」
 「?」
(ゼニ?・・・・・お金?)
 「さすがタマだな」
 「これも運命・・・・・ですか」
 「確かに、安全策を取るのは俺達らしくないな」
先程までの緊張感から一転、何かが吹っ切れたように口々に言う者達に、珠生はいったい何だというようにラディスラスの腕を掴
んでしまう。
そんな珠生に、ラディスラスは海賊の頭領らしくふてぶてしく笑いながら言った。
 「一国の運命を俺達が動かすんだ、タマ」