海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


17



                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 国の顔でもある港町はどこも賑やかなものだが、ここコンラッドもその例外ではなかった。
所狭しと並ぶ市場に、行き交う旅人や船員、そして町で暮らす人々。
久々に肌で感じる活気に気分も高揚したらしい珠生は、思わずラディスラスの袖を掴んで自分の興味がある方へと引っ張ってい
こうとした。
 「おい、タマ、慌てるな。飯は逃げないからな」
 「そ、そんなのっ、違うよ!ゴハン、食べたいだけじゃないよ!」
 ラディスラスに笑いながら頭を叩かれた珠生は、自分の行動に気付いて慌てて手を離してしまった。
(そ、そうだった、先ずはお医者さん捜しだっけ)
美味しそうな匂いとカラフルな色彩に心を奪われかけていたが、珠生は自分達が今何を最優先で考えなければいけないかという
ことを改めて思い出した。
 「・・・・・」
失敗したと思いながら恐々振り向いてみると、そこではラディスラスだけではなく、父もミシュアも、そしてラシェルやアズハルまで笑っ
ている。
(あ・・・・・あいつまで)
 ユージンまで笑っているのにはちょっとムカツイてしまったが、珠生はプルプルと頭を振って意識を切り替えた。
 「えっと、じゃあ、今からどうする?」
 「アズハルはエイキとミュウを連れて町の診療所に向かってもらう。その近くに宿を取ってしばらく待機だな」
 「分かりました」
アズハルがうなずくと、ラディスラスは今度はラシェルを振り返った。
 「ラシェルはユージンに付いてくれ。こいつがちゃんと言ったことを守るかどうか見張るように」
 「了解した」
 「・・・・・」
(あ・・・・・城にいるお医者様を説得するのか)
かなり高齢の女医ということだが、今から捜す放浪医者が見付からなかった場合を考えれば大事な人材だろう。
彼女を取り込む為にユージンがどれ程心を砕くかは分からないが、自分からすると言い出したのだ、シャキシャキ働いてもらわなけ
れば困る。
 うんうんと頷いていた珠生は、顔を上げてラディスラスを見つめた。
 「ラディ、俺は?」
 「タマは俺と一緒に医者捜し」
 「分かった」
 「他の奴らも早速動いているからな、数日は情報が集まるのは無理にしても、大丈夫だ、きっと見付かる。それまで頑張れよ、
ミュウ」
 「はい」
ラディスラスが、ルドーに抱かれているミシュアの髪を軽く撫でる。
その様子を見て、珠生は一瞬ムッとしてしまった。
 「タマ?」
 伸ばされたその手を急に掴んできた珠生を、ラディスラスは不思議そうに振り返る。
 「どうした?」
 「なんでもない!」
言葉には出来ないが、とにかくモヤモヤしてしまったのだ。
珠生はフンッとラディスラスの視線から顔を逸らしながらも、掴んだ腕から指を離そうとはしなかった。



 それぞれが自分の役割の為に別れ、ラディスラスは珠生と一緒に市場の中を歩き始めた。
なぜだか急に不機嫌になってしまった珠生の機嫌をなおす為にも、何か美味い物でも食べさせようと思ったのだ。
 「タマ、ほら、あれなんかどうだ?少し甘辛いタレが絶品らしいぞ」
屋台の前に書かれた謳い文句をそのまま読みながら誘うと、口を尖らせていた珠生も気になったのかチラッと視線を向けている。
目の前には串に刺して焼かれた肉が、香ばしい匂いをさせながら並んでいた。
 「・・・・・おいしそ」
 小さなその呟きを聞き逃さなかったラディスラスは、その中で一番小さい串を選んで買った。もちろんケチ臭くてしているわけでは
なく、他にも食べれる余裕を腹に与える為だ。
 「ほら」
串を差し出すと、珠生は一瞬躊躇って、それでも、
 「ありがと」
礼を言って受け取ってくれる。
自分が好きでしていることに礼を言われるのはラディスラスも嬉しく、何時しか2人は笑いながら1つの串の肉を頬張っていた。
 「うわっ!これ、ちょっと、からで、でも、のーこー!美味しい!」
 「美味いか?」
 「うん!肉もやわやわ、外はパリ!テリヤキみたい!おいしーよ!」
 どうやらその味は珠生の好みに嵌ったらしく、盛んに美味しい美味しいと言いながら食べている。
すると、そんな珠生の様子に誘われたのか、その屋台には人垣が出来てきた。
 「おい、そんなに美味いのか?」
旅装束の男が珠生に話し掛けてきた。
それに、少しの警戒感も見せないで珠生が頷く。
 「うん!おいしー!」
 「子供は嘘は付かないだろうからな。オヤジ、2本くれ」
 「あ、俺も、1本」
 「私は5本だよ!」
あっという間に、注文が殺到した屋台の主人は嬉しい悲鳴を上げていた。



 「これはお駄賃だ。腹一杯食いな」

 なぜだか・・・・・満面笑みの屋台の主人に礼を言われた珠生は、その手に両手で持たなければならないほどの大きな木の筒を
持たされた。
どうやらそれは持ち帰り用の容器らしく、中にはかなりの数の肉を刺した串が入っている。
 「何でこれくれたかなあ」
 「そりゃ、タマがいい客寄せになったからだろ」
 「そう?」
 珠生自身は気付いていないのだろうが、確かに珠生が串を買って食べだした直後から、あの屋台の客は多くなった。
何人もに美味しいかどうかを聞かれ、にこにこ笑いながら素直に頷いていた珠生の様子を見ていたラディスラスの方がヤキモキして
いたくらいだ。
 「・・・・・変なの」
 「美味そうな顔をして食べてる可愛い子が店の前に立ってりゃ、誰だって誘われるだろう?」
そう言うと、珠生の手から筒を取って自分が持ってやる。
 「そう?」
 「そう」
(まあ、俺は串よりもお前の方を食いたいと思うだろうけどな)
 それが、けして自分だけが感じているわけはないということをラディスラスは感じていた。現に、店に並んでいた客の中には、珠生
の顔をじっと見つめていた者達も少なくない。
漆黒の髪に、白い肌。そして・・・・・闇を凝縮したような黒い瞳。華奢な体躯に愛らしい容貌は、少女か少年かどちらにも判断
が付きかねず、性的な意味で欲しいと思う人間も確実にいるはずだ。
(タマの世界は、皆そんな感じなのか?)
 珠生や瑛生を見ていれば、彼らの世界の人間は皆2人のような雰囲気を持っているのかと不思議に思う。
珠生が18歳というのにもそうだが、瑛生が40を過ぎたというのにもかなり驚いたものだ。
(年齢不詳な国だな)
 「ラディ」
 そんなことを考えていたラディスラスは、珠生の声に視線を向けた。
 「どうした?」
 「甘いもの、食べたい」
 「・・・・・直ぐ食えるのか?」
 「甘いのは、ベツバラ」
 「・・・・・」
(どこに入るんだ、その身体に)
普段見慣れている乗組員達や自分の食欲からすれば、食べる量としては多い方ではない。
ただ、見掛けの華奢な身体付きからすれば、パクパクと気持ちよく食べる姿はかなりの大食いに見えてしまうのだ。
もちろん、金が惜しいということは無く、珠生が美味しそうに食べる姿を見ているのは楽しいので、ラディスラスは苦笑を零しながら
も珠生に言った。
 「じゃあ、名物の焼き菓子を食うか?」
 「あっ、サビア?」
 「なんだ、食い物のことはちゃんと覚えてるんだな」
 「食い物も、でしょ!」
 「はいはい」
 自分達が何をすべきか、忘れているわけではない。ラディスラスも、珠生も、それぞれが強い思いをきちんと持っている。
ただ、今はまだそんな張り詰めた空気に身を投じるのではなく、ひと時の楽しい時間を存分に満喫したい。
それが2人の今の思いだった。