海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
智の国と呼ばれるベニート共和国は、海外から勉学の為にやってくる留学生がかなり多かった。
医学だけではなく、神学や商法なども、かなりの高い水準で学べるベニートは積極的に人材を受け入れているので、ますます賢
国誉れ高くなっているのだ。
「なんだか、商人ってかんじじゃない人、多いね?」
コンラッドに着いた翌日から、早速ラディスラスと一緒に町の宿や、ラディスラスの情報源ともなっている役人に金を渡して、最近
大病を患ったという人物を訪ね歩いていた。
一国の、たかが港町とはいえかなり広く、その上人間の数も多くて、ラディスラスは珠生が歩くだけで疲れている様子なのは分かっ
ていた。
「彼らは皆学生だ。コンラッドにはいくつか大きな院があるからな」
院というのは、4、5年間専門の知識を学ぶ場所であり、コンラッドはそれが港町に近い場所に立っていることもあって、こうして
目に見えて学生の姿が多いのだ。
「お医者さんも、たくさんいる?」
「まあ、他の国よりは多いだろうな」
「さがしてる人、いるかな」
「・・・・・あの男は嘘は言っていないだろう」
纏っている雰囲気の軽薄さとは裏腹な硬質なものをユージンに感じているラディスラスは、ユージンがあの場面で口からでまかせ
を言うはずが無いだろうと思った。
多分、ユージンは嘘は言わないが、肝心な情報はギリギリまで隠していただけなのだろう。
(自分の目的を達する為の共犯を見つける為にな)
それにまんまと乗せられたと思わないでもないが、安全な方向ばかり向いているのは海賊という立場を選んだ自分らしくない。
(なるようになる・・・・・自分の大切なものを見失わなければそれでいい)
何より、今はユージンのことではなく、ミシュアの身体を見てくれる医師を捜さなければならないのだ。
「な、なんか、人多いね」
「・・・・・」
「ラディ?」
「・・・・・」
ラディスラスは人混みに押し流されそうな珠生の身体をしっかりと抱きこみながら、夕べのアズハルの言葉を思い返した。
「少し、熱が高いんです。それに、夕べ血も吐いて・・・・・。気丈な方のようですから、周りには知られないように明るく振舞われ
ていますが」
今は町の少しいい宿に身を寄せているミシュアに付いているアズハルは、ミシュアの病状が見た目よりも進んでいるようだと眉を潜
めていた。
町の医者くらいではどんな薬が効くのかも分かっておらず、また、そんな高級な薬も所持していないというのが本当のところだろう。
急がなければならない・・・・・ラディスラスが眉を顰めた時、珠生が不意に訊ねてきた。
「ラディ、ここ、オンセンある?」
「オンセン?何だ、それは」
「えっと・・・・・みんなで入るお風呂?お医者さん、腕、ヤケドしてるっていったね?服ぬいだらわからない?」
「あ」
(そうか)
確かに、盲点だった。
火傷の痕は服で隠れて見えないと思い、左右違うという目を頼りにしていたが、考えを変えれば服を着ていなければそれほど目
立つ目印は無い。
「あるぞ、船員達が寄る公衆浴場がな」
「よし!行こう!」
「・・・・・待て、タマ、お前は駄目だ」
「え〜っ?今のヒント、俺が言った!」
「ヒント?ああ、いや、お前が風呂に入ることは無いというだけだ。お前はそうだな・・・・・少しミシュアの元で待ってろ」
「え〜〜〜〜〜!!」
「タ〜マ」
はっきりと、お前の肌を誰にも見せたくないと言った方が話は早いのかもしれないが、珠生のことだ、それならばと突拍子も無い
ことを考えそうだ。
ここは強制的にでも大人しくさせていた方がいいと思ったラディスラスは、眉を顰め、頬を膨らませるという最大限の珠生の意思表
示に苦笑しながらもきっぱりと言い切った。
「お前は留守番、いいな?」
「タマ、このサビアは中に肉が詰められているらしいですよ、食べませんか?」
「・・・・・」
(いい歳した俺がそんな手に懐柔されるわけ無いじゃん!)
珠生はむっとした表情を崩さないまま窓から行き交う人々の姿を黙って見下ろしている。
今日も朝から暑くて、行き交う人々の格好もかなり薄着になっていた。
「タマ」
「・・・・・」
優しいアズハルの言葉にも、珠生は簡単には振り向かなかった。自分は怒っているのだという意思表示を見せておかないとと思っ
ていたからだ。
「タマ、私の食事に付き合ってくれませんか?誰かと一緒だと食も進むので」
「・・・・・」
それでも、穏やかにそうミシュアに切り出されれば、それでも嫌だと反発は出来なかった。
そうでなくても少し痩せた感じがするミシュアが少しでも食が進むなら・・・・・そう思うと、珠生はペシッと自分の頬を軽く叩いてから
振り返った。
「うん、食べよ」
小康状態だと言っていたアズハルの言葉。多分、嘘なのだろうと見ていて分かった。
パッと見は柔らかな笑顔を浮かべているミシュアの容態は落ち着いているように見えるが、服の袖から覗く手首は自分の半分くら
いではないかと思うほどに細く、色白の肌はますます透き通るような白さになっていた。
(早くしないと・・・・・)
ベニート共和国に着いて、今日で5日目だ。
早々に見付かるとは思えなかったが、これほど情報は入ってこないものなのだろうか?
ラディスラスを始め、乗組員達も、そして2日ほど前まではミシュアに付いていた父も、今は町で顔も分からぬノエルという医者を捜
している。
珠生も、じりじりとした気分ではあったが、ここは大人しくと黙って木のテーブルの前に座った。
「これ、美味しそうでしょう?」
素直にこちらに向き直った珠生に笑い掛けたアズハルは、肉詰めのサビアを取り出した。
確かに美味しそうな匂いがするが、ミシュアには食べることは出来ないだろう。
「ちょっと、下まで行ってきますから」
アズハルがミシュアの食べる粥を取りにいこうと立ち上がりかけた時、珠生は素早く自分が立ち上がった。
「俺が行く」
「タマ」
「直ぐ来るから」
どこもなんとも無い自分が何もせず動かないということにどうしても納得がいかなかった珠生は、ここぞとばかりに手伝いを申し出
た。
動くといっても宿の食堂に行くくらいだ、直ぐに終わってしまう手伝いだが。
「気をつけて」
「大丈夫っ」
(アズハルは心配性なんだよなあ)
珠生は軽い足取りで木の階段を下り、そのまま奥の厨房へと顔を出した。
「あの、二階のびょーにんの食事、出来てますか?」
「ああ、ちょっと待ってな、今出来る」
「は〜い」
昼よりも少し前なのでそれほどに忙しくは無いようで、料理人もにこやかに笑いながら直ぐそう言ってくれた。
この宿は1階では食堂をしているので既に何人かの客で賑わっていたが、珠生はあまり気にしないでそのままそこで料理が出来る
のを待っていたが・・・・・。
「?」
ふと・・・・・本当に何気なく視線を動かした時、何かが視界に引っ掛かったような気がした。
(何だろ?)
それを確かめるようにもう一度店の中の客を1人1人見ていた珠生は、丁度食事を終えて立ち上がろうとしていた男に視線を止
めてあっと目を見開いた。
「!」
(や、火傷の痕っ?)
肘まで捲くっていた服の隙間から、ちらっと覗いた赤黒い痕。
それが火傷の痕だとはっきりはいえなかったが、それでも珠生は慌てて男の顔を見た。両目の目の色を確かめようと思ったからだ。
「ほら、出来たぞっ」
そんな時、タイミングよく頼んでいた料理が出来上がったと言われ、珠生は一瞬どうしようかと思ったが、男はさっさと支払いを済
ませるとそのまま外に出て行ってしまう。
「も、持っていって!」
思わずそう叫んだ珠生は、そのまま男の後を追って走り出してしまった。
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