海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






(いったいどこに行ってるんだ?)
 珠生は宿の食堂で見掛けた男の後ろを、少し間をあけて追っていた。
あまりに慌てていたので、アズハルに何も説明しないまま宿を出てしまったことが少し気にはなるものの、せっかくもしかしてという人
物を見つけたので逃がしたくはなかったのだ。

 ただ、珠生は気付かなかった。
自分は先を歩く男の姿しか目に入っていなかったのだが、珠生自身も人混みの中で目立っていたのだ。
あまりいない黒髪ももちろんだが、大きな黒い瞳・・・・・これはこの世界には持っている者がいないので、気付いた者は皆驚いたよ
うに振り返っている。
 何時もは常にラディスラスが側にいて守っていたし(ラディスラス自身が目立つ男なので、そちらの方に視線も行っていた)、頭から
マントも被って顔を隠していたのだが、今はまるっきり素顔を晒しているのだ。
自分の姿を追う幾つもの意味深な視線には全く気付くことはなく、珠生は男の姿を見失わないようにと必死に追い掛けていた。



 男はゆっくりとした足取りで賑やかな港の市場を抜け、そのまま小さな家が点在する住宅地へと入っていった。
海に近いせいか、家は石やレンガで作られおり、どこかテレビで見たヨーロッパの・・・・・地中海の町並みのような感じがした。
(どうしよう・・・・・どんどん港から離れていく・・・・・)
 初めは追いかけることに必死だった珠生も、やがてこのまま付いて行ってもいいのかと不安になってしまった。
今ならば何とかアズハル達のいる宿まで帰れるとは思うが、もしもこの先横道にそれたりすると、見掛けは同じような家並みなので
迷子になってしまいそうだ。
(一度戻って・・・・・でも、ここまで追い掛けて来たのに・・・・・っ)
 男が本当に捜している医者なのか・・・・・珠生がチラッと目に留めた火傷の痕は、既にシャツの中に隠れてしまっているし、ずっ
と背中を追い掛けているので、左右違う目の色は今だ見ていない。
(あ、そっか)
 唐突に、珠生は思いついた。
この男が捜している人物かどうか、目を見れば分かるのだ。
(どうやって前に回れるか・・・・・)
相手がどんな人物か分からないだけに、気軽に声を掛けていいのかどうか判断が付かない。
もしも違う人物なら、すみませんと一言言って逃げることが出来るが、もしも当人だったら・・・・・。
(な、何て言おう)
簡単には患者を見ない捻くれた(珠生の印象では、だ)医者相手に、自分のつたない言葉で説得が出来るかどうか・・・・・思わ
ず足を止めて考えてしまった珠生に、

 「待てよ!」
 「わー!!」
 「うわあっ?」

 いきなり、細い横道から数人の子供が飛び出してきて、そのまま道の真ん中に突っ立っていた珠生にぶつかってしまった。
体格から言えば、珠生の腰くらいしかない幼い子供なのだが、あまりにも無防備に立っていたせいか、珠生は呆気なくその場に尻
もちをついてしまい、
 「・・・・・痛っ」
そのままとっさに地面に着いた手が変な具合に捩れてしまい、珠生は思わず涙目になってその痛みをやり過ごそうとした。
 「わっ、だ、だいじょうぶ?」
 「おねえちゃん、いたい?」
 「・・・・・っ」
(お姉ちゃんじゃない!お兄ちゃん!)
 声を出して思い切り否定したいのに、ズキズキする痛みに声も出ない。
しかし、もしかしてこの騒ぎで男が振り向くかも・・・・・そう思い直した珠生は、涙で潤む視界を何とか前方に向けた。
が・・・・・。
 「!」
(さ、先行ってるっ?)
男と自分の距離は先程よりも開いていて、男が足を止める気配がないのは目に見えて分かった。
(なっ、なんだ、あいつ!怪我してる人間を無視して行くかっ?)
まだその男が捜している医者だと決まったわけではないのに、珠生の頭の中では既に男はその医者になっていた。
だから・・・・・なのかもしれないが、怪我人を見捨ててさっさと歩いていく男が許せなくて、捻った手が痛くて、珠生はとうとう思い切
り大きな声で叫んでしまった。
 『お前、それでも医者なのか!このヤブ医者!!』



       


 食堂で食事を済ませて外に出てから、ずっと後をつけられているのは分かっていた。
その追跡はあまりに見え見えで、わざとそうしているのかと思ったくらいだ。
自分の正体を知って、何とかその腕を・・・・・と、これまでも誘拐紛いのことをされたことはあったので、気持ち的にはああまたかと
思いながら、角を曲がるのを利用して追跡者の姿を見てみた。
(・・・・・子供?)
 どうやらそれは、まだ子供のようだった。
華奢な容姿に、どうしてこんな子供が自分を追いかけているのかと不思議に思った。
(親か兄弟が病気か?)
それでも、こんな子供が自分の正体を知るのは考えられなかったし、ここで簡単に立ち止まることはしなかった。
自分の医者としての腕が、自分の意思以外で利用されるのは我慢ならなかったからだ。

 少しも足を止めることなく、港町から離れた。
この先の住宅地に入れば、小さく入りくんだ道が縦横無尽にあるので、姿をくらますことなど簡単だ。
出来れば港町からあまり離れないうちにと、幼い追跡者のことを考えて歩いていた時、

 「待てよ!」
 「わー!!」
 「うわあっ?」

子供の高い叫び声がして思わず振り向くと、そこには小さな子供と追跡者が道に倒れていた。
(ぶつかったのか?)
ざっと目を走らせたが、どうやら血も出ておらず、酷い怪我はしていないようだった。
この隙にさっさと立ち去ってしまった方がいい・・・・・そう思い直すと、再び背中を向けて歩き始めたが・・・・・。

 『お前、それでも医者なのか!このヤブ医者!!』

 いきなり、今まで聴いたことがないような言葉の怒鳴り声が聞こえた。
(今の言葉は・・・・・どこの国のだ?)
それまで、自分ではかなりの国を歩いたと思っていたが、今の不思議な響きは一度も耳にした事がなかった。
なぜか、気になって、もう一度その言葉を聞きたいと思ってしまった好奇心の塊である男は、不意に足を止めるとゆっくりと後ろを
振り返った。



       

 「おい、傷むのか?」
 珠生からすれば今更のような言葉の気がしたが、それでもようやくこちらを振り返った男の顔を見ることが出来た。
 「!」
(やっぱり・・・・・!)
男の目は・・・・・左右違っていた。
碧と、金。ユージンが言った通りのその色に、珠生は思わず息をのんだ。
 「おい?」
 色違いの目が、ゆっくりと目の前に近付いてくる。
珠生は思わずその服の裾を掴んだ。
 「助けて!」
 「え?」
 「お願い!助けて!助けて!」
 「おい、少し落ち着け」
同じ言葉しか繰り返すことが出来ない珠生を、男は少し眉を潜めて宥めるように言う。
それでも珠生はこみ上げる感情を抑えることが出来なくて、更にギュウッと男の腕にしがみついてその身体を揺らしながら叫んだ。
 「助けて!お願い!」