海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
とにかく、せっかく捕まえた男を離さない様にしなければ・・・・・そう思った珠生は、しっかりと男の腕に身体ごとしがみ付くようにし
ながら、ようやく瞳以外の男の顔を見ることが出来た。
(お・・・・・おじさん?)
瞳は左右違う珍しいものだったが、その容貌自体は飛び抜けて整ったというものではなかった。
どちらかというとたれ目気味で、顎には無精髭で・・・・・ラディスラスやラシェル、アズハルを日々見慣れた珠生にとっては、男はどう
見ても《さえない男》だった。
「とにかく、落ち着け」
「・・・・・」
「先に聞くが、お前は俺のことを知っているのか?」
「・・・・・」
珠生は頷いた。
そして頭の中の記憶をひっくり返し、何とか男の名前を思い出す。
「ノエル?」
珠生がその名を呼ぶと、男は諦めたように大きな溜め息をついた。
「どうやら本当に俺のことを知っているようだ。病人は誰だ?お前の親か?兄弟か?」
「・・・・・」
(な、なんか、凄く話が早いんだけど・・・・・大丈夫なのか?)
この男が捜していた医者に間違いはないと思う。珠生がいた世界とは違い、コンタクトレンズで目の色を変えるということは出来な
いと思うからだ。
それでも、ユージンが脅かしていたよりも話が分かりそうなその雰囲気は、とても変わり者には思えなかった。
(同名、同目の別人物ってことはない・・・・・よな?)
「見て、くれる?」
「そう答えないと、お前は手を離さないだろう?」
「答えても、行くまで離さない」
「分かった、分かった」
仕方ないと、男・・・・・ノエルは笑った。
そして、珠生を起こしてパンパンと身体をはたいて土汚れを落としてくれながら、今来た道を見つめながら言う。
「とにかく、病人を診ないと何とも言えないからな。どこに行けばいい?」
「・・・・・え?」
その言葉に珠生はパッと道を振り返った。
同じような石やレンガで出来た町並みがずっと並んでいる光景・・・・・。
「うわ・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・分かんない」
何時までも戻ってこない珠生を迎えに食堂に下りたアズハルは、そこにいたでっぷりと太った料理長にいきなり謝られた。
「ああ、すまん!急に客が押し掛けて、上に持っていくのを忘れてた!」
「あ、いいえ、それはいいのですが」
アズハルはにこやかに対応しながら、その視線を素早く店の中に巡らした。
(・・・・・いない?)
もしかしたら、何か摘み食いでもしているのかもしれないとも思ったが、その姿はどこにもない。
「すみません、先程これを取りに来た者がいませんでしたか?」
アズハルが粥を指しながら言うと、料理長は手を止めないままああと答えた。
「珍しい黒髪の小さい子供だろ?あの子なら何か慌てて外に飛び出して行ったが」
「外に?」
その言葉にアズハルは慌てて自分も店先に飛び出すが、当然のことながら既に珠生の姿はなかった。
「タマ・・・・・」
ラディスラスにじっとここで待っていろと言われた珠生は、不本意そうな顔をしながらも大人しく部屋にいた。その時点で、珠生にど
こかへ行こうという意思は見えなかった。
ミシュアの食事を取りに下に下りてきて、その気持ちを変えるような何かがあった・・・・・もしくは見たということしか考えられない。
アズハルは直ぐに動いて珠生を捜しに行きたかったが、いったいどこに行ったのか全く見当がつかない状態だし、それに、ここにミ
シュア1人を残してはいけない。
焦燥を感じたアズハルが唇を噛み締めた時、
「アズハル?」
丁度、公衆浴場から戻ってきたラディスラスが怪訝そうに声を掛けてきた。
アズハルの言葉を受けたラディスラスは直ぐに動いた。
確かに珠生がどこに向かったか、自分の意思か、それとも誰かの・・・・・そんなことが全く分からない状態のままだったが、アズハル
の言葉では珠生は何の防着も着ていなかったということだ。
(誰かが絶対に見ているはず・・・・・っ)
本来は誰にも見せたくはないほどの、珠生の綺麗な漆黒の髪と闇の瞳。
それでも今は、それが所在を捜す目印になるのだ。
「黒髪の子供を見なかったかっ?」
ラディスラスは露天の店主に聞き捲くった。
案の定、珠生の容姿は小柄な体格はよそにかなり目立っていた上、その態度が少しおかしかったようで、余計に人の記憶には
残っていたらしい。
「何かを追い掛けている?」
「ああ、本人は隠れているつもりだったんだろうがバレバレだったぜ」
「・・・・・」
(誰かを追い掛けていた?・・・・・誰だ?)
顔見知りの相手に姿を隠す必要などないはずで、その相手というのは・・・・・。
「まさか?」
これだけ捜していてもなかなか手掛かりさえ掴めなかった相手を珠生が見付けたのだろうか?
それはとても凄い確率だと思うが、本当にそうだとしたら何としても珠生の所在を掴まなければならなかった。
(タマの奴っ)
人混みを縫うように走りながら、ラディスラスは珠生を・・・・・と、いうより、自分に対して叱咤した。
どうしてこんな肝心な時に自分は珠生の側にいなかったのかと、こんな後になって思ってしまうことが腹立たしかった。
露天の店主達に聞きながら珠生の後を追っていると、どうやら港町から抜けて住宅地に向かっているようだった。
港町ならば、どんな道も最終的に海に出るようになっているのだが、住宅地の場合なら・・・・・それもこんな港町に近い町ならきっ
と迷路のように細い道が入り組んでいるはずだ。
捜している医者らしき男を追っている珠生だが、一歩間違えば自分の方が道に迷うはずだ。
それはある意味とても拙いことだった。珠生自身は自分の容姿に無頓着なようだが、普通に見ても珍しい黒い髪と瞳を持つ珠
生は人攫いに攫われてもおかしくはないのだ。
早く珠生を見付けなければならないと焦るラディスラスだったが、
「ラディ!」
住宅地に入って間もなく、いきなり名前を呼ばれて視線を向けたラディスラスは、
「タマッ?」
その目に、男の背に負ぶわれた珠生を見付けて思わず目を見開いた。
「ラディ、こっち来てた?すごい偶然!」
男の背中から少し身を乗り出した珠生は、暢気に手を振って笑っている。
ラディスラスは一瞬怒鳴りそうになった自分の気持ちを何とか抑えると、一度大きな溜め息をついてから鋭い視線を珠生を背負っ
ている男に向けた。
(左右違う目・・・・・こいつが、医者か)
「・・・・・ノエル?」
「・・・・・ああ」
「俺達は、あんたをずっと捜していたんだ」
「そうみたいだな。この子が必死に叫んでいた、助けてくれって」
「・・・・・力を貸してくれないか?」
「聞いているかもしれないが、俺はかなり捻くれた医者なんでな。先ずは病人を診て、俺が面白そうだと思ったならば力を貸して
もいい」
一応男の言葉に安心したラディスラスは、何時までもノエルの背にいる珠生を見ているのも面白くないので名前を呼びながら手を
伸ばす。
「タマ、お前、楽し過ぎだろ」
「足、クネッとしたんだよ」
「え?」
そこで、ラディスラスはようやく珠生の足に視線を向けた。
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