海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 そして、それから3日後ー



 そろそろ日が真上に差し掛かろうとした頃、珠生はああっと大きな声で叫んだ。
 「ふね!おっきいふね!」
 「ああ、航路は間違っていなかったようだな」
自分の肩に手を置いて笑うラディスラスに、珠生はその手を振り払いながら聞いた。
 「あれ、おそうの?」
 「激しい抵抗をしなきゃ、傷一つ負わせるつもりはないぞ」
 「・・・・・」
(それでも、他人の物を取っちゃうんだよなあ)
今まで自分が食べてきた食べ物も、今着ている服も、全てはラディスラスがお金を出してくれたもので。そう考えれば、自分も海賊
の仲間になってしまっているんだなと珠生は複雑な思いだった。
誰かを殺すのなんていうのはもちろん、傷付けることもして欲しくない。ただ、それが自分の住んでいた世界の常識に当てはめたも
のだという事は分かるし、生きる為には綺麗ごとばかり言っていられないことも分かる。
 「・・・・・」
 「ん?なにか質問があるのか?タ〜マ」
 珠生の視線を受けたラディスラスは深い紫の目に愛情を込めたまま、からかうように笑いながら聞いてくる。
潮風にたなびく肩よりも長い黒髪は、今は一本に結わえていて。
日焼けした肌に彫りの深い顔立ちで、2メートル近くある大柄な身体はがっしりとしていながらスマートで。
嫌味なほどに高い腰の位置に長い手足と見惚れるほどにバランスがいい。
(外国の映画俳優並みにカッコいいんだよな・・・・・悔しいけど)
 これほどに人目を惹く男が、自分を好きだといってくるのはどこか心地いい気もしないことも無い。出来ればその相手は美人の
女ならもっといいが、実際にこんな大きな女に迫られたら・・・・・。
(や、やっぱり、怖いかも)
 「タマ?」
 珠生はブンブンと頭を振って怖い想像を振り払うと、もう一度遠くに見える白い帆船に目をやった。
 「遠くに見えるけど・・・・・どのくらいで近づく?」
 「この距離と風なら・・・・・日が沈む前だな」
 「顔を見られなくていーね」
 「そうか?」
 「だって、顔分からなかったら、ラディ犯人か分からないでしょ」
 「犯人?」
 「ラディ、捕まったら・・・・・やだもん」
その短い言葉が珠生の気持ちを全て表していた。



(まあ、あなたがいなくなったら寂しいとまでは言えないか)
 ラディスラスは苦笑を浮かべながらもう一度珠生の肩を抱き寄せた。今度は珠生も振り払うことはせず、真っ直ぐに海の向こうに
見える船を見つめている。
出来れば、珠生の目の前で船を襲う事はあまりしたくないと思うのも正直な気持ちだったが、自分が海賊だということを珠生にも
ちゃんと理解して欲しいとも思っている。
(俺の我が儘なんだがな)
 「タマ、お前はエーキと王子と、食堂で大人しくしてろよ?」
 「うん、だいじょーぶ」
 「どんな物音がしても出てくるな」
 「うん、分かってる」
 「美味いものをくれるって言っても、だぞ?」
 「俺、子供じゃない!」
 執拗に言い聞かせると、珠生は機嫌を損ねたように口を尖らせて睨んできた。
そんな顔も可愛いが、あまり怒らせ過ぎて瑛生にばかりくっ付いていく珠生を見るのは面白くない。
ラディスラスは悪かったとポンッと珠生の頭の上に手をやった。自分では愛情ゆえの行為だと思っているのだが、こういう態度が子
供相手にする行為だということにラディスラスは気付いていなかった。





 「よし!舵を右一杯に切って横にぶつけろ!」
 ラディスラスは愛用の長剣を手に持って叫んだ。
そろそろ空が赤く染まってきた頃、目的のバルア卿の船が面前に迫っていた。
元々海賊船は帆にも船体にも名称を入れていないが、特に手入れの行き届いたエイバル号は、一見貴族の所有しているような
立派な船に見えるので、多分向こうの船長も今この瞬間まで相手が海賊船とは思わなかったのだろう。
船先に立ったラディスラスが上げている剣を見てようやく慌てたように進路を変えようとするが・・・・・もう遅い。
 「行くぞ!」
 「行け!」
 相手の船にぶつけるように舷側(げんそく=船体の側面)を当て、素早く渡り板を渡した。
その瞬間、準備した乗組員達が口々に叫びながら相手方の船になだれ込むように渡って行った。普段は気のいい船員達である
男達も、実際は気の荒い海賊なのだ。
 「こっちだ!」
 「こっちにも1人いるぞ!」
 「抵抗するならこのまま切る!大人しく従え!!」
 「・・・・・」
 その間、本当にあっという間だった。
ラディスラスは統率の取れた手下達の行動に満足し、ゆっくりと渡り板を渡って相手の船に移って行く。
さすがに金に飽かして作らせた船は装飾一つにも凝っていたが、海で生きる人間にとってはこの船はただ浮いているだけの宝箱に
しか見えなかった。
 「ラディ」
 先陣を切って乗り込んでいたラシェルがやってきた。
 「男は25人、女が7人です」
 「どこだ」
 「全員甲板に」
 「よし」
行動が素早ければ素早いほど、血を流す事はほとんど無い。時折血気に逸った若者や、船主が雇った用心棒達が抵抗してく
ることもあるが、ラディスラスは今まで誰かを殺した事はなかった。
人を殺さないようにと考えていたというよりも、殺す意味があるような場面に出くわした事が無いというだけかもしてないが。
 「・・・・・」
 ラディスラスが甲板に行くと、男達は後ろ手に縄で縛られた格好で、女達は固まって、その場に座らせられた格好でいた。
 「バルア卿はどちらだ?」
ラディスラスが言うと、一同の視線は痩せぎすの男に向けられた。
それに合わせてラディスラスが視線を向けると、ひっという声なき声を上げて尻餅をついている。
(なんだ、意気地の無い奴だな)
これでは脅す必要も無いと、ラディスラスはわざと剣を見せ付けるようにしながら言った。
 「俺は海賊船エイバルの頭領、ラディスラス・アーディンだ。悪いがお前のお宝を少し分けていただくぞ」
 「エ、エイバル・・・・・」
 「ラディスラス・・・・・」
 その名はやはり皆知っているらしく、男達は怯えたような視線を向けてきた。
しかし、女達の目線は少し違う。熱のこもった意味深な視線を盛んに飛ばしてくるのは、この船にいるよりもラディスラスについて行
きたいという思いが見え見えだった。
今まではそんな女の中から見栄えのいい者を捕らえていたが、今のラディスラスにとって女の存在は鬱陶しいだけだ。
 「異存はあるまい?」
ラディスラスはバルア卿の目線にまで身を屈めた。そのバルア卿の首筋には、ラシェルが剣の切っ先を突きつけた状態だった。
 「こ、殺さないんだな?」
 「殺して欲しいのか?」
冗談のつもりだったが、バルア卿の顔は真っ青になる。ラディスラスはくっと唇に笑みを浮かべた。
 「・・・・・取引は成立だな。貴殿のご好意でありがたく施しを頂こう」
 そう言い捨てたラディスラスは、ラシェルに言ってバルア卿に金がある場所に案内させ、自分は全ての仕事が滞りなく終わるのを
待つ為に船首に腰を掛けた・・・・・が。
(・・・・・誰だ)
強い視線が自分を見ている気がした。それは女の粘ついた視線とは全く異質のものだ。
この甲板にいる中の誰が・・・・・そう思いながら鋭い眼差しを一同に向けていたラディスラスは、その視線をある一点にきた時に止
めた。
 「・・・・・お前」
ラディスラスの視線の先には、緩くカーブをした金色の髪を後ろで縛った無精髭の男がいる。
(俺と同じくらい・・・・・か?)
ラディスラスの言葉に顔を上げた男の茶色の瞳が、煩そうに細められて視線を向けてきた。