海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「どうする?」
ノエルは珠生でもラディスラスでもなく、ミシュアに向かってゆっくりと聞いた。
「私が・・・・・決めるのですか?」
「君の命だ、君が決めなさい」
自分の身体が、自分が思った以上に弱くなっていることに気付いたのは、カノイ帝国に静養という名目で流されてしまった頃だっ
た。
元々、生まれながらに健康という身体ではなかったが、それでも通常の生活は送れていた。
エーキという、不思議な異国人と出会ってからは、自分でも信じられないほどの活力が体中に満ちていたくらいだった。
しかし、エーキがまるで煙のように自分の側から消え去り、そのことを楯に皇太子の地位を追われてしまった頃から、ミシュアの気
力というものは日々削がれていってしまった。
想いを寄せる人も、信頼する側近もいない。
一国の王子であるという矜持を持つミシュアは、自分から命を絶つことは出来なかったが、生き続けたいという思いは徐々に無く
なってしまっていた。
そんな時、エーキと再会した。
彼が自分を見捨てずに、この異国の地まで捜してくれたことが泣きたいくらいに嬉しかったが、その時はもうミシュアの身体は終末
へと確実に向かってしまっていた。
もう、長くはない。
自分自身で命の限界を悟り、それでも取り乱すまいと唇を噛み締めて、ただ静かに最後の時を待っていた。
恋慕う相手に看取ってもらえる・・・・・ただそれだけを心の拠り所にした。
そんな自分の身に起きた新たな嵐。
エーキの息子であるタマの出現と、海賊であるラディスラス。
そして、かつて信頼していた側近達との再会。
生きていて良かったと、これで思い残すこともないと思っていたのに、エーキの息子であるタマはそんな自分の後ろ向きな気持ち
を叱咤してくれた。
可能性があるならばと、はるばるベニートまで連れてきてくれた。
そして・・・・・顔も分からぬ医師を見付けるという奇跡まで起こしてくれたのだ。
自分の答えは、とっくに決まっていた。
「お願い出来るでしょうか」
きっぱりと言い切ったミシュアに、珠生は慌てて聞き返した。
「い、いいの?もっと、ちゃんと考えていーよ?血、どばっとか、痛いの、ずんずんとか、もっと何とかしろって言っていーよ?」
自分で見付けたとはいえ、目の前のこの冴えない男が本当に名医なのかはまだ確信が持てない。
手術の設備もとても整っているとは思えず、珠生は先ずは薬で少しは良くする事は出来ないのだろうかと思った。
しかし、ミシュアはそんな珠生の手をそっと掴んで、静かな・・・・・しかし、力強い目を向けてきた。
「タマが教えてくれたのですよ?」
「え?」
「病気はきっと治る。だから、生きることを諦めないで」
「おーじ・・・・・」
「少しでもその可能性があるのならば、私はそれに賭けてみたい。傷なんか、男なのだから全く構わないし」
「・・・・・」
(王子、自分が綺麗なの・・・・・分かってない)
心根はもちろんのこと、その容姿もまるで真綿の中で育てられたかのように繊細で美しいミシュア。
いくら生きる為とはいえ、この綺麗な肌に醜い傷が付いてしまってもいいのだろうかと思ってしまう。
「・・・・・ラディ」
珠生は無意識に立ち上がると、父ではなくラディスラスを振り返った。
(さすが一国の王子といったところか)
ラディスラスもミシュアの即断に驚きは感じたものの、やはりという思いの方が強かった。
説得をされたからとはいえ生きると決め、見知らぬ医師を捜しにベニートまで来た時から、ミシュアは何があっても全てを受け入れ
る覚悟をしていたのだろう。
確かに、ラディスラスも身体を切って病気の原因の何かを取り出すという治療があるということは聞いたことがあった。
ただ、その方法は何時死んでもおかしくはないほど危険で、実際に執り行う医師はかなりの腕を持っていなければならないというこ
と、それでも3人に2人は命を落とす可能性があるということも聞いた。
死ぬことを宣言された人間にとってはこの方法は最後の手段なのかもしれないが、それでも生と死が隣り合わせのこの方法を
選択するのは相当な勇気が要るはずだった。
「ラディ・・・・・」
まるで自分の身が切り裂かれるような顔をする珠生を、ラディスラスは肩を抱き寄せて抱きしめた。
人の痛みをここまで感じ取れるというのは、珠生がとても素直で・・・・・優しい心を持っているからだろう。
「ミュウの・・・・・王子の意思を尊重しよう」
「・・・・・」
「傷なんか、男の勲章だ。そうだろう、王子」
「ええ、ラディ」
ゆっくりと頷いたミシュアは、そのまま珠生に視線を向けた。
「タマ、どうか私に力を下さい。あなたの言葉で、私は生きたいと思ってここまで来ました。今度は、あなたの言葉で必ず生きると
信じたいのです」
「・・・・・」
「タマ」
珠生は泣きそうになっていた。
胸を開くという行為がどれ程に危険なものかを珠生も知っているようだった。
それでも止めることが出来ないのは、それをしなければ確実に死を待つしかないということと、生きたいというミシュアの強い思いを
感じるからだ。
「・・・・・」
「タ〜マ」
ラディスラスが宥めるように珠生の身体を揺する。
ミシュアの気持ちも分かるものの、珠生の気持ちが最優先のラディスラスは、その心が決める思いを自分だけは全て受け止めよう
と思った。
例え、珠生が泣いて駄目だと言ったとしても・・・・・だ。
「どうする?」
「・・・・・」
珠生はラディスラスの腕の中から抜け出すと、もう一度ミシュアが横になっている寝台の側に跪き、骨ばってしまったミシュアの手
を握り締めて強く言った。
「・・・・・うん、ぜったい、大丈夫・・・・・っ」
「タマ」
「生きる、生きる、生きる!大丈夫!」
「・・・・・ありがとう、タマ」
にっこりと笑ったミシュアの頬を、ゆっくりと涙が流れていく。
珠生はギュッとミシュアの手を握り締めたまま、側に立つノエルを睨むようにして見上げた。
「手、ぬくなよ!」
こんな場面でそんなことを言う珠生に、さすがにノエルが苦笑した。
「それほど俺は信用出来ないかな」
「俺がこけた時、このままいっちゃおーとした人間、しんよーしない!」
「おいおい」
「・・・・・」
(タマ、それはちょっと問題が違うんじゃないか?)
内心ラディスラスはそう思ったが、どうも珠生はそのことを深く根に持っているらしい。
「ちゃんとするの、俺、みはってるから!」
「・・・・・」
(・・・・・無理だな)
珠生なら、刃先が身体に食い込んだ時点で絶対に卒倒してしまう・・・・・ラディスラスはそう説明しても絶対に立ち会うと言い張り
そうな珠生をどう納得させようか、今から頭を痛めなければならなかった。
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