海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
手術は2日後、場所はノエルが用意すると言った。
「その間、ミシュア、お前は出来るだけ食事はスープや薬湯だけにしてくれ。体力を付ける為に栄養がある物を食べた方がいい
んだが、身体を開く時に中に余計なものが無い方がいいしな」
「・・・・・」
(わ・・・・・何か、本当に手術するって感じ・・・・・)
ノエルの言っていることは手術をする上で正しいだろうというのは分かる。
周りの緊張感が珠生にも伝わってきて、思わずコクンと唾をのみ込んだ。
「はい」
「うん、いい返事だ」
ノエルはミシュアの返事に笑顔で頷くと、側にいるラディスラスを振り返った。
「とにかく、一度荷物を取りに帰らせてくれ。大丈夫、このまま逃げたりはしないって」
笑いながら言うノエルの言葉を、珠生はとても信じることが出来なかった。そうでなくても自分をあのまま置いていこうとした(しつこ
いかもしれないが)男なのだ、ちゃんと見張っていなければ安心出来なかった。
それはラディスラスも同様だったようで、チラッとラシェルに視線を向けて言う。
「お前が付くか?」
「ええ」
ラシェルも当然のように頷いた。
「ノエル、ミシュアの治療を了承してくれたのはありがたいが、俺達はまだお前を完全に信用しているわけじゃない。ここを出るなら
このラシェルがお前に付くから」
「おいおい」
「了承してもらおう」
「・・・・・」
(・・・・・なんだ、ラディもたまにはカッコいいな)
珠生は内心そう思ったものの、それを口に出すのは一応止めておいた方がいいだろうと、そのままふと視線をベッドに横になって
いるミシュアに向けた。
(やっぱり・・・・・怖いよな)
自分の身体が開かれるのだ、いくら覚悟をしても怖いと思う気持ちは完全には消えることは出来ないだろう。表面上そんな様子
を見せないミシュアはとても強い人間だなと珠生は思った。
そして。
「・・・・・」
ミシュアの側に立っている父の様子をじっと見つめた珠生は、漏れそうになる溜め息を何とか押し殺した。
恋人ではない・・・・・お互いにそう言いながらも、父とミシュアの間には特別な空気が流れている。それは息子の珠生でさえも入り
込めないようなもので、珠生も、そこに自分が入れるとは思わなかった。
(もう、父さんは俺だけの父さんじゃないのかな・・・・・)
寂しくは思うものの、ミシュアの存在を知った当初に感じた不安や違和感、そして・・・・・面白くないという思いは、かなり少なくなっ
たように思える。
自分が2人の仲を認めたのだとは思わないが、そうなっても仕方が無いのかもしれないという思いが自分の中に生まれたのは確か
なのだろう。
ラディスラスは、宿に残らずに自分と一緒に外に出てきた珠生を見下ろした。てっきり珠生はこのまま瑛生と共にこの宿に泊まる
と思ったのだ。
「どうした?エーキの側にいなくていいのか?」
改めてそう聞くと、珠生は少し困ったような顔をしたが、直ぐに思い直したように胸を張った。
「ラディ1人じゃ心配」
「心配って・・・・・本当にエーキは・・・・・」
「とーさん、おーじについてるし・・・・・」
そう言った珠生の顔は一瞬クシャッと歪んだが、直ぐにそれを隠すようにラディスラスを睨みつける。精一杯意地を張っているのが
良く分かって、ラディスラスはそれ以上瑛生のことは言わないでおこうと思った。
「俺、ラディみはらなきゃだし。それより、あれ、ラシェルだけでいいの?」
あれと指差されたノエルは思わずといったように笑った。
「見張りは1人で十分だって」
「タマ、ラシェルは少なくともお前の5倍は頼りになる」
「・・・・・」
「だから、こいつに付けるのはラシェル1人で十分だ、そうだろう?」
ラディスラスとしては珠生を納得させる為にそう言ったのだが、改めて考えれば珠生にとっては随分失礼な言葉だっただろう。
しかし、珠生はその言葉の裏を考えなかったようで(単に聞き逃していただけかもしれないが)ふ〜んと納得したように頷き、ラディ
スラスを見上げて言った。
「ラディはどうする?」
「俺はちょっと行くところがあるから」
「どこ?」
続けて言う珠生に、ラディスラスは眉を潜める。
(どういうつもりなんだ?)
「聞いてどうするんだ?」
「俺も行く」
「タマ?」
「俺も、ラディと一緒に行く。ラディ、1人じゃ心配だし」
「あのなあ」
「どこ行く?」
これ以上言い渋っても、珠生はきっと自分が白状するまで問い詰めてくるだろう。そうされれば抵抗出来ない自分をよく知ってい
るラディスラスは、少し間を置いて・・・・・仕方なさそうに言った。
「城に行くつもりだ」
「城?」
「そうだ。ミシュアを診てくれる医者は何とかお前が見付けてくれたが、その手掛かりを教えてくれたのはあいつ・・・・・ユージンだっ
ただろう?今度はこっちの方があいつとの約束を守らないといけない」
「ユージン・・・・・」
(あいつ、何か条件出してたっけ?)
ラディスラスの言葉を聞いて、珠生は改めてあの王子らしく無い男の面影を思い浮かべた。
確かにラディスラスが言った通り、今回自分がノエルを見付ける事が出来たのはユージンの言葉のおかげだった。目の色や火傷の
痕等、目に見えるそんな特徴を教えてもらわなければ、今もってノエルを見付ける事が出来たかどうかは難しい所だっただろう。
「ラディ、条件って・・・・・」
「・・・・・タマ、今回は大人しくしてろ」
珠生の言葉に被せるようにラディスラスは言った。
「あんまり楽しいことじゃないんだ」
「ラディ、でもっ」
「大人しく言うことを聞いてくれ、な?」
珠生の身体を大きな腕の中に抱きしめ、まるで子供に言い聞かせるように言ってくるラディスラスが何を思っているのか、ユージン
の言葉の意味をちゃんと聞き取っていない珠生には分からなかった。
それでも、ラディスラスが何か重大なことを決めようとしているのは分かる・・・・・と、いうか、感じる。
(俺・・・・・いいのか・・・・・?)
ラディスラスが言うように、自分は何もしないでいいのだろうか?珠生はラディスラスが直ぐに立ち去ってしまわないように、思わず背
中の服を掴んでしまった。
「待ってよっ!俺、何も決めてないよっ」
「タマ、いい子だから・・・・・」
「ちょっと、いいか?ユージンというのは第二王子のユージン・クライスのことか?」
「・・・・・いたんだ」
とっくにその場を立ち去ったと思っていたノエルがまだそこにいることに珠生は今更ながら気が付いた。いや、ラディスラスも今まで忘
れていたのだろうが、いきなりノエルの口からユージンの名前が出てきて驚いたように目を見開く。
「知っているのか?」
「いや、会ったことは無い。俺が知ってるのは皇太子の方だ」
「こーたいし?」
「次期王だ・・・・・一応、だけどな」
そう言って、ノエルは皮肉気に唇を歪める。
妙に引っ掛かる言い方だったが、珠生にその意味は分からなかった。
「どういう関係だ?」
しかし、ラディスラスは何か考えがあるのか、珠生を胸の中に抱いたまま視線だけをノエルに向ける。珠生の顔を自分の胸に押し
付け、わざとノエルの方を見せないようにしたままだ。
「関係?そんなの、言っても仕方ないだろう?」
「じゃあ、言っても構わないんじゃないか?」
「・・・・・」
見えない火花が散っているのが、珠生の身体にもびしびしと感じてしまう。
(な、なんだろ、何があるんだ?)
聞きたいが、聞けない。珠生は背筋がゾワゾワとして、何だか嫌な予感がするのを止めることが出来なかった。
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