海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 かなり長い沈黙があったと思うが、ラディスラスはユージンを急かせようとは思わなかった。
謀反を企てるというのはかなり大きな話だし、それが王族の・・・・・それも第二王子という立場のユージンならば尚更に大きな問
題だろう。
彼が決意を決めるまでラディスラスは待つことが出来たし、側にいる珠生も今のところは大人しくしていた。
 「俺には兄上がいる。皇太子の・・・・・それは話したかな?」
 「そういう存在がいることは聞いた。人となりは聞いてはいないが」
 しばらく黙っていたユージンは、やがて何かを決意したように顔を上げると口を開いた。
ユージンが第二王子だということは既に聞いていたが、皇太子がどんな人物かはまだ知らない。
ただ、先程のノエルの様子は気になって覚えていた。

 「次期王だ・・・・・一応、だけどな」

その言葉の意味をどう捉えていいのか・・・・・それが今からのユージンの言葉の中にあるような気がして、ラディスラスはじっとユージ
ンの口元を見つめた。
 「兄の名は、ローラン・クライス。私よりも5つ年上の、とても穏やかで勤勉な・・・・・優しい方だった」
 「だった?」
 「兄上は5年前、ご自分が父上の・・・・・王である父上の実子ではないと知った時から、以前とはまるで違う性格になられた」



       


 ユージンよりも5歳年上の兄、ローランは、皇太子に相応しい人柄だった。
容姿から言えば第二王子のユージンの方が秀でてはいたものの、真面目で穏やかな第一王子と、華やかで陽気な、悪戯好き
の第二王子の2人は、共に国民にも愛され、王宮に仕える者達からも慕われていた。

 そんなローランが変わってしまったのは5年程前。
父親である王に、そろそろ譲位の準備をするようにと言われた頃、心無い側近の一派がそれに異を唱えたのだ。
正妃である方の腹から生まれなかったローランが王位を継承するのはおかしい。真の王となるのは、形的には次男ながら、王妃
の腹より生まれたユージンがなるべきだ、と。
 ユージンはもちろん、ローランもそんな話は初耳で、2人は共に両親に責めより、王は過ぎ去った過去の話だと前置きをしてから
ローランの真実の出生を教えてくれた。

 ローランは、王の実子でもなく、王の忠臣で26年前に戦死した男の長子だった。
その男が戦地で身を挺して王を守ったおかげで命を救われた王は、まだ許婚であった現王妃に向かって言った。

 「母もおらず、父も無くしたこの赤子を、私の実子として迎えようと思う」

出産の際に母親も死んでしまっていた生まれて2年もしない赤ん坊を、そのまま施設に入れるのは忍びないという王の気持ちを
理解した上、許婚は正式に王と婚儀を挙げ、赤ん坊を我が子同然に育てた。
その後、ユージンが生まれたが、2人が差別して育てられることは無く、当然次期王は長子として迎えたローランに譲る・・・・・2
人の間ではそれはもう話し合って決められていたことだった。

 王は、20数年も育てたローランは我が子同然だと言った。
いくら血が繋がっていないとはいえ、王としての全てのことを伝えてきたつもりだということも。
しかし・・・・・その日から、ローランは変わってしまった。

 あれほど真摯に政務に取り組んできたローランは、夜毎町に遊びに出るようになった。
全く政務にとり行わず、女と酒と、あまり良くない素性の者達と付き合うようになり、勝手に王宮の財宝も売り飛ばしてしまった。
 初めはローランの更生を願っていた臣下達も、やがてローランから離れていき、それまでは気楽な立場だった第二王子であるユ
ージンを次期王にと推す声が大きくなり始めた。
その声を聞いても、ローランは皮肉気に笑って、諌める臣下達に言い放った。

 「たとえ私がどんな所業を働いたとしても、私が王位に就くことは決まっている」



       


 「じゃあ、お前はそのロクデナシになっになった兄貴を追い落とすつもりか?」
 ラディスラスがそう言うと、ユージンは冷ややかな視線を向けてきた。
 「兄上はロクデナシなどではない。あまりにも心がお優しい方ゆえ・・・・・父上とは血が繋がらない自分よりも俺を王位につける
為に、わざとそのような行為をなさっているだけだ」
ユージンの言葉からは、血の繋がらない兄に対する深い情愛が感じ取れた。それほどに兄を、ひいては国を思っているこの男が、
どうして謀反などという大罪を犯そうとしているのだろうか?
 「ユージン、お前がしようとしていることは何だ?」
 「この国に嵐を起こす」
 「嵐?」
 「そして、やはり次期王は兄であるローランでしかありえない・・・・・そう、臣下達に知らしめる」
 「・・・・・なるほど」
 ようやく、ラディスラスは納得した。
ユージンは血が繋がらない兄を疎んじて謀反を起こそうとしているのではなく、愛する兄の真実の力を皆に知らしめる為に、わざ
わざこんな大事を起こそうとしているのだ。
(かなり、馬鹿な兄弟だな)
 ローランという皇太子が真実国の為、ユージンの為に、そんな遊び人風を装っているのかどうかまではラディスラスは分からない
が、どちらにせよかなり人騒がせな兄弟喧嘩ということだ。
 「面白い」
しかし、そんな男は嫌いではなかった。
そして、こんな大掛かりな遊びなど、滅多に出来る事ではない。
 「協力するよ」
 「ラディスラス・・・・・」
 「ラディで結構だ、ユージン。俺は王子って呼ばないぜ?」
 「その方が気楽だ」
 「そういえば、ノエル・・・・・あの医者は、皇太子のことを知っているのか?」
 「ああ、かつては兄上の家庭教師をしていたらしい。今回も兄上にはかなり以前から注意を促す手紙を送ってくださったようだが
兄上は全て無視をされている。その関係で、俺は多少あの人のことを知っていただけだ」
 「ああ、それでか」
(あの医者・・・・・単に拗ねてただけか)



(結局・・・・・どうなったわけ?)
 2人の話は難し過ぎて分からなかった。
ただ、2人が笑って手を握り合っている姿を見ると、結局怖い話にはならなかったような気がする。
 「ラディ」
 「ん?ああ、タマ」
まるで、今まで珠生がそこにいることを忘れていたようなラディスラスの態度は頭にきたが、それでも珠生は結局話がどう着いたのか
聞きたかった。
 「どうなった?こいつ、変なこと言ってなかった?」
 「なんだ、分からなかったのか?」
 「分からないから聞いてる!」
 「はは、いいか、タマ。これから出資者付きのでかい遊びを始めるぞ」
 「でかい遊び?」
 「ああ。ユージン、タマには変わった食べ物を用意してくれ。出来れば甘い菓子がいい。こいつが笑ってくれていたら、俺もやる気
が更に増すしな」
 「タマは菓子が好きなのか?母上が甘いものが好きで、王宮には菓子作り専門の料理長がいる。一度遊びに来るか?」
 「せんもんの、りょーりちょう・・・・・」
 「我が国名物のサビアも、色んな種類が作れるぞ」
 「サビア・・・・・」
ぐうっと、腹が鳴ったような気がする。
そういえば、今日は色々忙しくて、まともな食事をしていなかった。
 「ラ、ラディ」
 「どうした?」
 「おなか空いた〜」
 全く緊張感を感じさせない珠生の言葉に、一瞬目を見張ったラディスラスとユージンは次の瞬間声を合わせて盛大に笑い始め
た。
 「やっぱり最高だな、お前は!」