海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「ほんとーっに、死ぬ気でがんばれ!」
 「おいおい、あんまり脅かすなよ」
 ノエルは暢気に笑っているが、珠生は見上げた視線を逸らさなかった。
もどかしくて仕方が無いのは今も続いているものの、後はもうこの医師に全てを任せるしかないのだ。
(王子にもしものことがあったら・・・・・本当にけちょんけちょんにしてやるからな!)



 いよいよ、ミシュアの手術の当日。
朝早く約束通りに(逃げずに)宿までやってきたノエルは、直ぐにミシュアに持参してきた薬を飲ませた。どうやらこれが麻酔の代わ
りになるらしい。
そして、宿から出ると、それほど離れていないどこかの屋敷のような立派な家の中に入っていった。
 「俺にも色々手を貸してくれる人間がいるんでね。ここは、この辺りで大きな治療をする時に使わせてもらっている場所なんだ」
 屋敷の中には2人の青年がいた。
自分の助手をしてくれている、普段は個人で開業している医師達だと紹介された。
 「私達もノエル先生の治療を間近で見るのは勉強になるんです」
 「全力でお手伝いさせて頂きます」
大学病院みたいだなと、珠生は思った。
きっと昔の日本でも、腕のいい医師に弟子入りした者達が経験を積んで一人前になっていったのだろうが、この時ばかりはもっと
腕の良さそうな、経験も豊富なおじさん医師を呼べばいいのにと(若いとどうも不安だ)思ってしまう。
 「とにかく、すっごく、がんばれ!」
 現代のように効き目が即効というわけではないので、ミシュアは今はベッドに横たわったまま、うつらうつらとした視線を言い合って
いる珠生とノエルに向けていた。
 「タ・・・・・マ」
 「え?」
 ミシュアに名前を呼ばれた珠生は、慌ててその枕元に駆け寄った。
もう、あと少しで意識が無くなってしまうような表情・・・・・この目が再び開くことを珠生は信じているが、この後の手術次第で全て
が変わってしまうかもしれない。
 「おーじ・・・・・」
出来るだけ声を震わせないようにと努力したつもりだったが、ミシュアは珠生の顔を見上げて僅かに微笑んだ。
 「手紙を・・・・・」
 「てがみ?」
 「ラシェルに、あずけて、あります。何かあったら・・・・・受け取って、くださ・・・・・い」
 「・・・・・」
 「へ、変な言い方、やめてよっ」
まるでこれが最後のような言い方に、珠生の顔は歪んでしまった。泣いたらいけないと思っていると、ますますこみ上げるものがあっ
て鼻をすすり上げる。
そんな珠生の肩をラディスラスがポンと叩いた。
 「タマ、文句を言うのはこの後ミュウが目を醒ました時でいいだろ」
 「う、うん」
 「ミュウも、後ろ向きなことは考えるな。絶対、生きて帰ってくることだけを信じていればいい」
 「・・・・・は・・・・・い」
頷いたミシュアはそのまま目を閉じる。
どうやら麻酔が効いたようだった。



 「・・・・・」
 ノエルが鋭い針でミシュアの全身を突いていく。
薬が効いているのかどうかを確かめる為のようだが、針がミシュアの肌に突き刺さるたびに珠生は身体をビクビクと震わせていた。
 「・・・・・よし、効いたな」
 ノエルのその言葉が合図のように、2人の手伝いの医師とアズハル、そしてラシェルの4人がミシュアの身体を移動させる為に寝
台の台ごと持ち上げた。
 「治療は別の部屋だ。話があってから消毒の役割をする草を煎じた薬をまいて準備した部屋がある。悪い感染とか考えると用
心に用心を重ねなければならないからな」
 「・・・・・」
意外にも、ノエルは医術に関してはかなり真摯な考えの持ち主だった。
 「俺の治療に時間が掛かるのは、実際の治療時間だけじゃない。その前準備の時間からが全てが治療に含まれているんだ。
今から俺達は熱い湯に入って身体を清めて、薬草を煎じた薬を入れて洗った服を身にまとう。使う器具も全てそうして準備をし
ている。・・・・・タマ、お前は俺を見張ってると言ったが、どうするんだ?」
 ノエルは、珠生に立ち会うなとは言わなかった。ただ、これだけ万全を期して治療をするのだという説明をしただけだ。
そんなノエルに、珠生は小さな声で答えた。
 「・・・・・待ってる」
 「そうか」
 「・・・・・がんばれ」
 「頑張るのはミシュアの方だ。俺は何時でも自分の命を懸けている」
ノエルの言葉に、珠生はコクコクと頷いている。
ラディスラスはそんな珠生の肩をぐいっと抱き寄せた。



 手術室(こういう言い方も変かもしれないが)に入ったのは、ノエルと2人医師。
そして、アズハルとラシェルと・・・・・父だ。
大人しく待っていなさい・・・・・優しくそう言って背中を向けた父に掛ける言葉など見当たらず、珠生は部屋を出て行く一同をただ
見送ることしか出来なかった。
 「タマ、ちょっと外に出るか?」
 唐突に、ラディスラスが言った。
 「じっとここで待っていても、色々考えるだけだろう?ノエルは終わるのは日が暮れた頃だと言っていたし、その間少し町でも歩か
ないか」
とてもそんな気持ちではないのだが、ラディスラスが言うようにじっとしていたら頭の中で嫌なことばかりを考えてしまいそうだった。
とにかく外の空気を吸って、少し落ち着いた方がいいのかもしれない・・・・・珠生はそう思って頷いた。



 「でも、ここってすごい家だよな。かねもち、知り合い、ラディ、いる?」
 「・・・・・まあ、いないこともない、か」
 一瞬言葉に詰まってしまったのは、珠生の質問が唐突だからだったわけではない。港港でそれなりに遊んできたラディスラスの相
手の中には、貴族の奥方や王族の姫君もいたからだった。
もちろん、ラディスラスは一夜を楽しんだ相手から金品を受け取ることはしなかったし、珠生と出会ってからはそんな女達とも交渉
を持っていない。
ただ、いきなり珠生に金持ちの知り合いと言われて、頭の中にその女達の姿が浮かんでしまったのは・・・・・多少大目に見て欲し
い。
 「ふ〜ん」
 しかし、珠生はその微妙な間には気付かなかったらしかった。
それに柄にも無くホッとしたラディスラスだったが・・・・・。
 「あ」
 「ん?」
 「ユージン、いる」
 「ユージン?」
 珠生の言葉にラディスラスが視線を向けると、確かにそこにはこの国の第二王子であるユージンの姿があった。
何時ものように1人も共を連れていないが、どうやら1人ではないらしく、その直ぐ側には1人の男がいた。
 「誰だろ?」
華やかな容貌のユージンとは違い、同じ茶色い髪と瞳を持ちながらも、少し硬質な感じがする男っぽい容貌の人物。静と動、ま
るで正反対の2人であるし、容貌の中にも似通った箇所は無い。
それでも、ラディスラスは2人の間に共通する雰囲気を感じ取った。
(あれが・・・・・兄貴か)
 2人に共通するもの・・・・・それは、高貴で気品あるもの。ただの民には持つことの出来ない王族としての誇りとある種の傲慢さ
が、容貌の似ていないこの2人を結び付けていた。
 「こんなとこでなにしてるんだろ?おい!ユージン!」
 「ばっ、タマ!」
 この先のことを考えれば顔を知られない方がいいというのに、珠生は無防備にもユージンの名前を言いながら近付いていく。
ラディスラスは思わず舌打ちをしたものの、既に後の祭りだ。
(この始末、どうする気だよ、タマ・・・・・)
詳しい事情を説明していない(ミシュアの治療が終わってからと思っていた)自分が悪いのかもしれないが、こちらを振り返って僅
かに目を見開いたユージンと、怪訝そうに目を眇める兄王子・・・・・皇太子ローランの視線を浴びて、ラディスラスはぶっつけ本番
の覚悟をしなければならなかった。