海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(誰だろ?)
珠生はユージンの兄であるローランの顔は当然知らない。と、いうよりも、他に兄弟がいることさえ思いつかなかった。
確かに本人もミシュアも第二王子ということは言っていたし、先日は兄弟間の確執の話も聞いたはずなのに、珠生の頭の中から
はすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。
むしろ、最後の方で話していた王室の菓子料理人のことの方が印象に残っていた。
「・・・・・タマ」
珠生が駆け寄ると、ユージンは珍しく眉を潜めた硬い表情を向けてきたが、珠生の視線はユージンの隣に立っている男に向けら
れたまま聞いた。
「ユージン、ともだち?」
「ユージン、何者だ、この少年は」
「・・・・・しょーねん?」
(俺のことか?)
それが、かなり歳若い者に対しての物言いだと気付いた珠生は一言文句を言おうと口を開きかけたが、その口は後ろからいきな
り塞がれてしまった。
「そこまで」
「ムゴッ」
珠生の口を塞いだラディスラスは、ユージンとローランに向けて笑いながら言った。
「よお、ユージン、こんな所で会うなんて偶然だな」
「・・・・・本当に」
「ふごっ」
(ぐるじーって!)
ラディスラスの大きな手で口ばかりか鼻までも塞がれ、珠生はバシバシとその腕を叩いた。
会ってしまったからには仕方が無いが、出来るだけ印象に残らないようにしなければならないと思ったラディスラスは、喧嘩腰にな
りそうな珠生を何とか宥めて目の前の2人に視線を向けた。
取りあえずは以前からの顔見知りという風を装うつもりだったが、ここでローランに触れない方が不審だろう。
ユージン、ローラン共に国民に慕われているという話なので、名前を知っていてもおかしくは無いだろうと思った。
「そっちが、お前の兄貴?」
「・・・・・ああ」
ようやく、ユージンの頬に笑みが浮かんだ。どうやら、ラディスラスの話に合わせる気になったようだ。
「じゃあ、次期おーさまか」
「・・・・・」
「お近付きになっておいた方がいいかな?えーっと・・・・・」
ラディスラスは、ようやくローランを真正面から見た。
5年間、放蕩を続けているということだったが、ローランの目の中には消えることが無い英知の光があった。初めて対する相手に向
ける用心深い眼差し・・・・・とても彼が、誰彼構わず遊びまわっているという人間には思えなかった。
しかし。
「兄上、彼らは私の遊び仲間です」
「・・・・・遊び仲間?」
「ええ、この国の民ではありませんが」
「・・・・それは、失礼したな」
ユージンの説明を聞いたローランは、直ぐにその表情を和らげた。
「ユージンの今までの仲間とは少し違うように思えたからな」
「いーえ」
言葉遣いも表情も柔らかくなったというのに、その眼差しの奥には厳しい光が残っている。多分それはよく見なければ気付かない
ほどの僅かなものかもしれないが。
「うそっ、ユージンのおにーさんっ?」
珠生は驚いたようにユージンとローランを交互に見つめる。
「似てないねー」
「おい、タマ」
全く意識していないで口にしているのだろうが、それだけに性質が悪い。
だが、今度はローランは表面上は気にしていないというように珠生に向かって笑って言った。
「では、お近付きの印に酒場にでも行こうか?」
「いや、ありがたいが、これは酒が飲めなくて」
ラディスラスが珠生に視線を向けると、ローランはああと微笑んだ。
「先程は失礼したな。名前は、何と言う?」
「・・・・・タマキ」
「タマ?では、タマ、お前には甘い物の方がいいか?」
「あ、甘い物・・・・・」
「この先に、美味いサビアが売っている屋台がある、季節の果物をふんだんに使っていて、女子供に人気があるぞ。それを食べ
ないか?」
珠生に食べ物の話をするのは禁句だし、ラディスラスとしたら自分以外に珠生の餌付けをして欲しくないというのが本当のところだ
が、この先のことを考えるともう少しこのローランという男の人となりを見ておきたいと思った。
「タマ、案内してもらうか?」
「え?」
珍しく、珠生は即答で頷かなかった。
それは目の前のローランという男の初対面の印象があまり良くないということもあっただろうが、ミシュアの治療中に自分だけが美
味しいものを食べるということへの罪悪感もあるのだろう。
しかし、丁度その治療のことからも目を逸らしたいと思っていたラディスラスは、躊躇う珠生の頭をポンッと叩いて言った。
「腹が減っては悪いことばかり考えるって前にも言っただろう?これから忙しくなるかもしれないんだ、今のうちに美味いもの食って
おこうぜ」
「うわ・・・・・」
木の台にずらりと並べられた菓子に、珠生は目が釘付けになっていた。
噂では聞いたが、確かに数はかなり豊富のようで、見た目はパイと同じだ。
「わ、これ、ロクトッ?」
焼いた生地の上にたっぷりと掛かっているこげ茶のソース・・・・・甘いその匂いは珠生の好きな菓子であるロクトの匂いだった。
溶かして掛けてあるだけなのだろうが、チョコパイのように甘く香ばしい匂いだ。
それだけではなく、赤や黄色、そして緑色という鮮やかな果物がたっぷりとのせられた物。
珠生は思わず見ているだけで満足げな溜め息を漏らしてしまった。日本にいた頃はあまり食べなかったフルーツパイだが、この世
界に来てからは自然な甘さがとても美味しいと思うようになった。
「どれがいい?」
「どれ・・・・・どれがおいしい?」
「今の時期だと、このブリュイの実を使ったものがいいんじゃないか?甘過ぎなくて美味い」
「これ?」
ローランが指差したのは、紫色の大きな実が幾つものっているものだ。見た目はブドウにも見えるが、いったいどんな味なのか興
味をそそられた。
「じゃあ、これ、食べていい?」
「ああ、切ってやってくれ」
屋台の主人は、当然のようにローランとユージンの顔を知っていて、愛想よく大ぶりに切った一切れを珠生に手渡してくれる。
頂きますと口の中で呟いた珠生は、パクッと大きな口で一口食べた。
『!うわっ!騙された!』
「タマ?」
いきなり、日本語で叫んでしまった珠生を、ラディスラスだけではなくユージンもローランも驚いたように見つめる。
しかし、珠生は手にしたサビアをじっと見下ろしていた。
『見た目ブドウのくせに、モモの味がする・・・・・詐欺だ』
「おい、タマ?」
「美味くなかったのか?」
大の大人の男が3人、遥かに小柄な(見た目)少年の珠生を見つめている様子は傍から見ればかなり滑稽な様子だっただろう。
「タマ」
「おいし・・・・・」
「え?」
「想像とは違うけど、だけどおいしー」
そう言って、パクパクとサビアを口にする珠生を呆気にとられたように見つめていたラディスラスは、次の瞬間ぷっと大きくふき出した。
「・・・・・?」
何を笑われているのか全く分からない珠生は怪訝そうにラディスラスを見上げるが、そのラディスラスはバンバンとユージンの肩を叩
いて笑い続けている。
「な、面白いだろ、こいつ」
「全く・・・・・お前は何時でも楽しいだろうな」
「やらねえぞ」
「欲しいって言ったら殺されそうだ」
「何言ってんの?・・・・・んぐ」
そう言いながらも、珠生は手と口を止めることはなかった。
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