海上の絶対君主
第三章 顔の無い医師
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※ここでの『』の言葉は日本語です
危険な事はないだろうというラディスラスの言葉は信じているものの、珠生は食堂の中をウロウロしてしまった。
「タマキ、少しはじっとしていなさい」
「う、うん」
父に苦笑交じりに嗜められたが、それでも珠生の足は止まらなかった。
珠生の頭の中には、以前同じ海賊とぶつかって戦ったあの光景が鮮やかに思い出されているからだ。
(あの時は不意をつかれたって言ってたけど・・・・・)
あまり褒められたことではないと思うが、海賊船エイバルはそれなりに強いという評判で、ラディスラスもかなりの有名人らしい。だか
らこそ返ってやられる事もあるのではないかと、珠生は気になって仕方が無いのだ。
(ぜ、全然心配じゃないんだけどっ)
自分が心配しいるのはラシェルやルドー、そして他の乗組員達で、けしてラディスラスを心配しているわけではない。
「タマは心配なんですね」
久しぶりにベッドから起き上がっているミシュアは、アズハルの身体に寄りかかって静かに言った。
本来はその役目は父がするのだろうが、珠生の気持ちを考えたのかミシュアはアズハルの手を借りたのだ。
ドンドンッ
その時、慌しく食堂のドアが鳴った。
ビクッとした珠生をよそに、調理長であるものの、この中では一番頼りになるジェイが剣を持って用心深くドアを開く。
中に飛び込んできたのは敵でも何でもなく、見張り役である最年少のテッドだった。
「全員取り押さえました!後は金貨を頂いて離れるだけです!」
「みんな、大丈夫っ?」
「はい、こっちも、向こうも、傷を負う事は無かったです。向こうの船主が腰抜けで直ぐに手を上げた状態で」
「そっかあ、みんな大丈夫かあ」
ホッとした珠生の頬に笑みが浮かぶ。
すると、その耳にはテッドの次の言葉が聞こえてきた。
「かなり金を掛けた船みたいで、装飾とか素晴らしですよ。さすが貴族の船って感じで」
「そんなに凄い?」
「俺は初めて見ました。あ、食べ物も珍しい物が一杯で、お頭、タマの為にサビアを貰って行こうって・・・・・」
「サビ、ア?・・・・・あー!!おかしっ?」
「は、はい、そうですけど」
「俺、見に行く!」
「タマ、大人しく待っていろ」
「タマキ」
「だいじょぶ!もうみんな捕まってるし、俺見に行くだけだから!」
豪華だという船と、それ以上にラディスラスが言っていた菓子を現物に見れるということで、珠生は周りの注意も聞き流して足取り
も軽く食堂から出て行く。
「タ、タマ!」
その後を、テッドが慌てたように追っていった。
「・・・・・」
(何者だ、あいつ・・・・・)
ラディスラスはじっと男を睨みつけた。
自分の視線が生易しいとは思わないが、金髪の男は大して気にしていないかのように視線を逸らしている。それは怖くて逸らした
というよりも、興味が無くて視線を外したようにしか見えなかった。
ラディスラスは、チラッと金の入った箱を運ぶ乗組員達に視線を向ける。このまま渡り板を外して船を遠ざければそれで終わりだ
が・・・・・このままあの男を野放しにしてもいいのかという警戒感が頭の中から消えなかった。
危険・・・・・というのとも少し違う気がして、ラディスラスは珍しく決断を迷っていた。
すると、
「ラディ!」
「・・・・・タマ?」
聞こえてきた声に思わず振り向けば、渡り板の前に珠生が立っていた。
「お前、大人しくしてろって・・・・・」
「す、すみませんっ、お頭!」
珠生の後ろで、テッドが焦ったように頭を下げていた。一応心配しないようにと順調に行っていることをテッドに言付けたのだが、ど
ういったわけか珠生はこんなところまで来てしまったようだ。
「そ、そっちいくよ、手!」
「おいっ」
波に揺られている2つの船をつなげている渡り板はかなり揺れている。慣れている乗組員達は簡単に渡る事が出来るが、珠生は
支えがないと海に落ちかねなかった。
「うわあっつ!」
案の定、覚束ない足取りで板を渡っていた珠生は、板の真ん中辺りで波で船が大きく揺れた拍子に身体が板の外に飛び出
ていきそうになる。
ラディスラスは間一髪その腕を掴むと、軽々とバルア卿の船の上へと華奢な身体を引っ張った。
「う、腕、抜けるよ!」
「馬鹿か、お前は!」
乱暴なラディスラスの行動に文句を言ってきた珠生だが、それに被せるようにラディスラスは怒鳴った。
もう、かなり海の上で生活をしているはずだが、珠生にはまだ海の怖さというものが実感出来ていないようだ。それには、危ない事
は事前に避けさせてきたラディスラスの責任かもしれないが、命に関わるような事は何度注意してもし足りないということはないだろ
う。
「・・・・・」
頭ごなしに怒鳴ると、珠生はムッと口を尖らせて、上目使いに見上げてくる。
その口から文句の一つでも返ってくるかもしれないと思っていたが、どうやら自分でも少し無鉄砲だと思ったのか言い返すのを我
慢しているようだった。
「・・・・・タマ」
ラディスラスはその髪をゆっくりと撫で、一度強く抱きしめると、その場の空気を和らげるように冗談っぽく言った。
「俺の無事を確認したかったのか?」
「・・・・・っ、そんなわけない!!」
痕が付くかもしれないほどに強く腕を掴まれ、きつく叱られ、珠生も文句を言いたいところをぐっと我慢していた。
確かにラディスラスの言葉を聞かずにノコノコ外まで出てきてしまった。たとえ危険が無いことが分かったとしても、何も出来ない自
分が勝手な真似をしてしまえば何があるか分からない・・・・・心配してくれている事はよく分かるので、珠生は何も言い返すことが
出来なかった。
ただ、素直にごめんなさいを言うのも悔しい気がして、そのままラディスラスから視線を逸らす。
すると、珠生の目の端にキラッと光るものが映ったような気がした。
「・・・・・」
(金髪だ・・・・・)
そこにいたのは、金髪の男だった。
アメリカ人かとも思ったが、そもそもこの世界にその国が存在しているとは思えず、珠生はこんなにも綺麗な金髪の人間もいるのか
とまじまじと視線を向けてしまう。
その視線にまるで応える様に、男の茶色の目が細められた。
(蜂蜜色の瞳・・・・・)
「この世界に、闇の色をした目を持つ人間がいるとはな」
一瞬、誰が言ったのかと思うほどに楽しそうな、余裕を感じさせる甘い声。
「!」
珠生は慌てて視線を逸らした。この世界にはいないといわれる黒い目を滅多に人に見せるものじゃないとラディスラスに言われた
ことを思い出したからだ。
(ど、どうしよ・・・・・)
「ラディ」
困った時のラディ頼み・・・・・ではないが、珠生は無意識のうちにラディスラスの腕を掴む。ラディスラスもそのまま珠生の身体を抱
きこみ、男の視線から珠生の身体を隠すようにしてくれた。
(な、なんか視線を感じるんだけど・・・・・気のせい、だよな)
「え、えっとお、俺、船に・・・・・」
戻ろうかなと言う前に、先程の声が再び聞こえてきた。
「俺を連れて行ったら金になるぞ」
「・・・・・」
思わず振り向こうとした珠生の頭を押さえたまま、ラディスラスが訝しげに男を睨む。
「別に命乞いをしなくても、お前達の命までは奪わないぞ」
「海賊エイバルの噂は私も知っている。別にこの命が惜しいとは思わないが、このままこっちの船にいるよりは面白いことがありそ
うだからな。それに、お前達だって、今奪った金の何十倍もの金が手に入るかも知れないぞ」
「・・・・・どういうことだ」
威嚇するようなラディスラスの声にも全く怯まず、男は視線を珠生に向けたまま言った。
「私の名はユージン・クライス。ベニート共和国の第二王子だ」
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