海上の絶対君主




第三章 顔の無い医師


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「・・・・・」
 珠生は足踏みをしていた。
そういってもただ遊んでいるというわけではなく、足の下には洗濯物があって、珠生は大きな木のタライに入れていた洗濯物を足踏
みで洗っているのだ。
 「・・・・・」
 この世界には当然のように洗濯機は無いので、船の中でしていたのと同じように手洗いや足洗いで洗濯をしなければならない。
朝から天気のいい今日は、珠生がその役をかって出ていた。
 「・・・・・」
自分以外の人間は皆忙しそうに動き回っているが、屋敷の中はそんな慌しさが感じられないように静かだ。
もちろんそれは療養中のミシュアを気遣ってのことであり、珠生もその状況をよく理解していた。
 「・・・・・」
 足踏みのような洗濯は、もうかなり長い時間続いている。
ただ、量をこなしているというよりは、珠生が一向に次の洗濯へと移らないということであり、それならば珠生は何を考えているのだ
といえば・・・・・夕べのラディスラスとユージンの会話のことだった。



       


 ミシュアが目覚めてから5日経った。
今だ痛みは続いているようで、珠生は1人でミシュアに会うのはまだ少し怖かった。ミシュアの痛みや辛さに引きずられ、自分まで
暗く落ち込んでしまいそうだったからだ。
 今はミシュアの側には父がいて、別の部屋ではノエルの指導で薬を調合しているアズハルをラシェルが手伝っている。
珠生は自分は何をしようかと考えながら廊下を歩いていると、窓の外に庭を歩くラディスラスとユージンの姿を見付けた。
ユージンは1日に一回は訪ねてきてくれ、ミシュアの身体に良さそうな食べ物や薬を届けてくれるので、ノエルが笑いながらこれで
大丈夫だと言っていたくらいだ。
(何してるんだろ?)
 今日も夕食時にやってきたユージンは、珠生の好きな肉入りサビアを持って来てくれ、ノエルやラディスラスと笑いながら話してい
た。
静まり返った空気の中で、珠生もホッとする時を過ごしていたのだが、何時の間に2人で消えたのか・・・・・何か2人きりで悪さで
もするつもりなのかと、珠生も急いで庭の方へと出て行った。

 少しだけ、驚かせてやるつもりだった。
きっと自分には内緒で遊びに行く計画でも立てているのだろうと、何時の間にか仲良くなっていた2人の性格を考えながら予想を
付けた珠生は、そうっと木の影に身体を隠しながら近付いていく。
 「で、どうする?」
 「まだ、ミシュアの容態がはっきりしないだろう?」
 「完全に回復するまで待っていられるか?」
 「・・・・・」
 「ノエルも、かなり容態は良くなったと言っていた。確かに楽観は出来ないだろうが、以前のように直ぐにどうなるか分からないよう
な状態では無くなったとな。お前の言葉でミシュアは生きる可能性の方が高くなった、そろそろ俺もお前の要望をきかなくてはなら
ない時だと思う」
 「・・・・・」
(何言ってんだろ・・・・・?)
 所々の言葉は聞き取れないものの、それでも大体の話は分かった。
どうやらラディスラスはミシュアの身体がかなり心配いらなくなったことで、ユージンとの何らかの約束を果たすと言っている様だ。
(それって、前に言ってた条件みたいなこと?)
 医師の情報を伝える代わりに、自分の条件をきいて欲しいというようなことをユージンが言っていたことを思い出し、珠生は思わ
ず眉を潜めてしまった。
あの時はラディスラスが誤魔化したので、ユージンの要求がいったいどんなことだったのかは珠生には分からないままだったが、もし
かしてそれはかなり無理難題なのではないだろうか。
 「ラディ」
 「作戦を考えよう」
 「・・・・・」
 「全てを破壊するぐらい、無茶なことやってみないか?」

 ラディスラスは何を言っているのか・・・・・ハカイスルというのはどういった意味なのか、珠生は一歩足を踏み出して聞きただしたく
てたまらなかった。
しかし、なぜか、怖くて足が竦んでしまう。
それはラディスラスの話の内容が怖いというよりも、珠生が飛び出して訊ねた時、

 「タマには関係ないよ」

そう・・・・・言葉や態度で切り捨てられることが怖かったのだ。
自分だけではなく、ラシェルもアズハルもいない場所で、2人きりで話しているラディスラスとユージン。2人だけしか分からない話を
しているその間に、自分が割って入ることなど出来るのだろうか。
 「・・・・・で、・・・・・・な」
 「でも、それじゃ・・・・・が、・・・・・・で」
 それからもしばらく2人は話していた。
ただ、その会話の中には固有名や難しい単語が挟んであるので、珠生にはどうしても内容は分からない。
(ラディ・・・・・俺に内緒で・・・・・)
もちろん、ラディスラスの全てを自分が知るという権利は無いとは思っているが、こんなに側にいるのに秘密があるというのはやはり
面白くは無かった。
 話では、どうやら2人は何かに向かって行こうとしているようだが、その中になかなか自分の名前は出てこない。
(俺のこと、置いて行っちゃうつもりなのかな)
珠生は木の陰に隠れたまま、2人が一応の話を終えて立ち去るまで、その場から動けないままだった。



       


 それから、一夜明けた。
2人が屋敷の中に入ってからしばらくして戻った珠生に、ラディスラスは笑いながら何をしていたんだと言ってきた。
その様子には少しも後ろめたい感じは見えなかった。
珠生はちょっとブラブラしていたと答えたが、これがラディスラスの芝居だとしたら相当な嘘つきだと思ってしまった。
 「・・・・・」
 そして、珠生は今洗濯をしている。
足でジャブジャブと水飛沫を上げながら、ズボンの裾を盛大に濡らしたままずっと足を動かし続けている。

 ラディはズルイ。
どうして自分を仲間外れにするんだろう。
自分よりも、ユージンと仲良くなった方がいいと思ったんだろうか。

 ずっと考えながら、珠生は結局自分がどうしたいのだろうという方へと思考が移っていた。
結局、珠生は何時も自分の思ったようにしてきて、それを後悔は・・・・・ほんの少しはしたと思うが・・・・・全体的にはしていないと
思う。
だから、今回も結局は自分が決めないといけないのだろう。
 「・・・・・」
(ラディがどうするのかじゃなくて・・・・・)
 『俺が、どうしたいか・・・・・』
(俺が・・・・・)
 「!!」
 いきなり、珠生は足踏みを止めると、裸足のまま庭を駆け出した。
多少は手入れをされているとはいえ、小さな小石や雑草はもちろん生えていて、珠生の柔な足は痛みを感じてしまうが、そんなも
のにはいっさい構わずに珠生は屋敷の中に入っていく。
 「ラディ!!」
 求める姿は食堂で直ぐに見付かった。
いきなり駆け込んできた珠生に、ラシェルとアズハルと話していたラディスラスは驚いたように振り返る。
 「タマ、どうし・・・・・」
 「ラディッ、俺も行くからな!!」
 「え?」
 「ラディが邪魔だ思っても、俺は一緒についてくから!置いてくつもりだったら、ラディの頭後ろからゴンッてなぐって、その間にしっか
り紐で離れないようにギュウギュウ結ぶから!!」
 「タマ・・・・・」
 「俺から逃げられる思うなよ!!」
一気に言いたいことを叫んだ珠生は、ゼイゼイと息を荒くしながら睨むようにラディスラスに視線を向けた。